顧客満足の複雑さ」カテゴリーアーカイブ

顧客満足の複雑さ155(表題の真偽と相対性)

     顧客満足の複雑さ155「表題の真偽と相対性」 

新聞は読んでいる。購読部数が全新聞社で減少しているが、新聞にはネットには無い良さもある。色々な情報が誌面に詰めあわされているので、読みたいものだけを取捨選択できる。またシリーズ化している記事が興味を惹けば、ひとつの楽しみにもなる。あとでじっくり読み返したい場合は切り取りも出来る。これらはすべてネットやユウチューブでも出来ないことはないが、選び方次第で情報がかなり偏ってしまうきらいはある。新聞は一紙の中で、政治・経済・文化・娯楽等々、寿司詰め状態だ。ただその内容がいい加減で、子供だましとしか言えないとすれば問題だ。 

某新聞の2021衆院選関連記事で、女性議員志望の少なさを提言していた。表題は「女性議員志望わずか8%」。どういう数字かと読めば、日本財団が18~69歳の女性1万人を対象に行った調査で、政治家になりたいかを尋ねたところ、“思う”と“やや思う”を合わせてもわずか8%弱だったという。記事は「議会には多様な世代と性別の人がいるべきだ」と訴えている。じっくりと読み進んで驚いた。その調査は31年前の平成2年に実施されたものだった。現状を提言するときに、31年前の調査結果を元にして内容を組み立てることなどあり得ない。しかも男性を対象にした結果は無い。男性の議員志望率が女性のそれよりもはるかに高いというデータが何もない。すべては比較対象してこその訴求力であって、ただ単に主張したいことを、はるか前のデータで無理やり関連付けしたとしか思えない。

比較することで物事を実証するのは相対的評価であって、正確で信頼できる最新のデータまたは実際の見聞が必要だ。コロナ情報はそれに属するが、往々にして情緒論に陥り、ただ不安をあおるのが目的になってしまっている場合も多くある。本当の情報を欲しければ自分でデータを探し、自ら分析することは可能だが、面倒ではある。よってテレビや新聞(新聞の方が少しはマシだが)の情報を表層的に受け取ってしまう。ここで思い出した。日本の著名なジャーナリストが中近東の王族の方と対談している場面で、彼は自分の持論を“国民はみんなそう思っている”と伝えた。いつもの常とう手段だ。日本ではだれも反論しない。ところが相手は、“それは貴方の意見でしょう。(I‘t Your Opinion)“とすぐに切り返し、当のジャーナリストは何も反論できなかった。日本のマスコミ層の甘さが露呈した場面だ。主張や論議の元は、相対的な判断力が不可欠で、データのすべては相対的評価の基となる。飲食店や宿泊施設も相対的価値感による評価が基となり、実際の体験が加味され、満足度が決まる。ただし、自分自身に対する幸福度や満足度は、絶対的評価に基づいた方がストレスは少ない。 

淡路島のリゾートホテルに泊まる機会を得た。すべてに整ったホテルだったが、内外の広いスペースを各種プールが占めているのがいかにも勿体ないと感じた。それらプールが息づくのは夏の3カ月ほどだろうか。代わりに温泉の大浴場があれば、より魅力が増すだろう。バブル景気末期に誕生したそのホテルは運営主体を変えていた。これからも続く厳しい時期を乗り越えてほしいと願うと共に、地に足の着いた日本ならではの魅力の発信に期待したい。日本人客のニーズにいかに合わせられるかが、今後の成否を決めるだろう。   2021年11月1日 

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顧客満足の複雑さ154(日本における平等の感覚)

   顧客満足の複雑さ154「日本における平等の感覚」

 宿泊施設にしても飲食店にしても、高級路線を取っているところは多くある。宿泊に関しては、施設そのものが一泊6万円以上の富裕層限定対応の特別豪華仕様のところとは別に、様々な利用目的に応じて値幅を広く取っている高級旅館やホテルもある。その場合、価格差は、部屋の広さや設備によって決められている。スイートをはじめとする高価格帯客室を設けてはいるが、都心の場合はビジネス客から一般客まで幅広く受けいれているのが現状だ。よってパブリックスペースはすべての客の共有利用スペースとなる。あくまで価格差は部屋次第というわけだ。内部飲食店も予算に応じて、好きな場所を選べる。そこには予算次第で自由に楽しんでください、というおおらかさがある。だからホテル利用時には、どのクラスの部屋を選んでも、それは部屋の中だけの満足感となる。高級旅館にしても、露天風呂付きや広さ如何での価格差が一般的で、大浴場やロビー、その他はすべての客が利用できる。そのスタイルが変わりつつある。 

日本では高級ホテルに宿泊することなどめったに無いが、かつてカナダに取材訪問した際は、主催がカナダ大使館ということもあり、大使館側が用意してくれたのは、すべてが高級ホテルだった。部屋も高層の高価格帯であろうと思われ、殆どのホテルに高価格帯客室利用客専用のエグゼクティブラウンジがあったのを覚えている。強く記憶に残っているのはそのゆとり感とリッチ感、そして特別感だ。殆ど客がいない空間には、常時スタッフが待機し、利用者が入るや否や、至れり尽くせりのサービスを受け、高層ゆえの広がる眺望を独り占めできる。まさに特別待遇そのものだ。ただ、リラックス感と一抹の罪悪感を覚えつつ、このスタイルは日本ではなじまないだろうな、とも思っていた。予算に応じた選択肢は勿論あるものの、独特の平等意識が日本にはある。そして今、遅まきながら、高価格帯の客室利用客専用の「エグゼクティブラウンジ」をハイアットリージェンシー東京ベイ、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、帝国ホテル大阪が新設するという。密を防ぐという、コロナ禍での需要や、コロナ禍収束後の富裕層インバウンドを見込んでの新設なのだろうが、それが高額消費者を取り込む一因になるのかどうかは分からない。 

友人が数年前にバリ島観光に行ったところ、あまり楽しめなかったという。理由を聞くと“周辺から疎外されたリゾート地で、そこだけがリッチな空間だった。周りは貧しそうに見えた“のが気になったらしい。随分とセンシティブだなと思ったが、自分自身のフィリピンのセブ島観光を思い出した。充分にリゾート感覚を楽しませてもらったが、バスで市街地に行った際に見た、裸足で重い荷車を曳く痩せた男性、家の前でぼんやりとただ地べたに座っている男性の姿が、胸に重く入ってきた。友人と同じ感覚だ。この感覚は、多分欧米人には無いだろうと思う。かつてアジア・アフリカに植民地を持ち、奴隷制度も歴然とあった国々の人々は、特権をいとも簡単に享受してためらうことはないだろう。日本人のナイーブな、そして独特の平等感覚は、いつまで続くだろうか。

          2021年10月1日 

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顧客満足の複雑さ153(真実を見極めたい)

     顧客満足の複雑さ153「真実を見極めたい」 

JR渋谷駅近くの、16歳から39歳を対象とした予約不要なコロナワクチン接種会場に、初日の8月27日早朝から接種希望の人たちの長蛇の列が、1キロに及んだ。限度300名でもって接種は打ち切られ、28日からは並んだ人たちによる抽選制に移行したという。外れれば“労多くして成果なし”ということだ。黙々と並ぶ若者の映像を見て、胸が痛くなった。“若者にはワクチンを打ちたがらない人が多い“とのメディア報道の決めつけが、いかにいい加減なものかが分かる。確かに確率からみれば、ワクチンに拒否反応を示す人は、その他の年代よりも若干多いかもしれないが、圧倒的に打ちたい人が多いのだ。冷静に考えれば、打った方がメリットで勝ることくらいはだれでも分かる。喫緊の年齢別感染者数をみれば、一目瞭然だ。8月26日の65歳以上の大阪府内感染者数割合は全体の3.4%だが、半年前の2月の時点では、35%を占めていた。今、65歳以上の2回ワクチン接種率は85%を超える。いくらメディアがワクチンへの恐怖をあおっても、データには勝てない。そして若者たちも一部を除いては、ワクチンを打ちたがっている。酷暑の中で静かに並んでいた彼らの表情が目に焼きついて離れない。一日も早く、ワクチンを希望する人たちへの接種を、ありとあらゆる知恵と手段を結集してすみやかに完了してほしい。

さて最近、驚愕というより、むしろ嗤える事件があった。テレビ朝日のオリンピック担当者たち総勢二ケタ台の人間が集まって、オリンピック閉会後の8月8日夕刻から9日未明にかけて、一次会から二次会まで打ち上げを十二分に楽しんでいたというものだ。緊急事態宣言下での堂々たる会合だ。従来なら、外部にはばれなかったところが、二次会のカラオケ店で同席していた女性が二階踊り場から飛び降り、道路に転落。外を歩いていた一般人が驚いて警察に通報したことから、この前代未聞の醜聞が明らかになった。あくる日、同局の朝のニュースで、MCが謝罪したらしいが(観ていないのでその時の様子は分からない)、その後、何の説明も無い。最も不思議なのが、週刊誌に関連記事が一切掲載されないことだ。官僚や議員、その他著名人のコロナ自粛破りを事細かくあげつらって非難していたのに、揃って沈黙を守っている。同じ穴の貉だからか?と思ってしまう。テレビ・週刊誌・新聞等メディア関連者のレベルは所詮こんなものです、と自ら言っているようなものだ。それとも内部調査に真剣に取り組んでいるがゆえの沈黙で、追って上層部の謝罪や説明が聞かれることになるのだろうか。いずれにしても、久々に嗤わせてもらった。そりゃ皆、楽しみたいよね、と寛大な気持ちになりそうなのが恐い。                              2021年9月1日 

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 顧客満足の複雑さ152「勝つことの価値」

     顧客満足の複雑さ152「勝つことの価値」 

東京オリンピックが開催された。日々熱戦が繰り広げられ、日本選手の活躍ぶりに目が離せない。主催国の有利さは当然としても、増えていくメダル数は率直に誇らしくもある。無観客開催に関しては否定的な意見の方が多いようだが、苦渋の決断であったのだろう。プロ野球などは観客を入れているではないか、との指摘はあるが、50種類もの競技が日々展開されるオリンピックと同列には扱えない。競技に伴い会場も時間帯も規模も異なるのだ。観客を入れてのコロナ対策にも限界があろう。無観客なら、感染者数の多さに苦しんでいる他国でもどこでも開催できる、というのも暴論だ。開催がどれだけ大変なことか、の想像力に欠けていると言わざるを得ない。大変だからこそ、4年に一回であり、最近では手を上げる候補地が減少しているのだ。名誉ではあるが、負担がとてつもなく大きい。連日の戦いを観るにつれ、現場で競技を支える人達の働きに敬意を表したい。そして何より無事に閉会式を迎えられることを祈るばかりだ。

メダルを勝ち取った選手の喜びは一様に晴れ晴れとしている。一方、期待されながらメダルを逃した選手もいる。勿論花舞台には立てず、メディアも黙殺する。スポーツは強弱を競う勝負なのだと改めて痛感する。技を極めるために、そして頂点に立つためにどれだけ日々の訓練が重ねられたのか、素人には想像もつかない。世の中にはスポーツを得意とする一般人は多い。レベルの高い人も結構いるが、オリンピックでの勝利の果実は、ただそのことだけに、飽きることなく、日々練習を重ねることによってしか得ることが出来ない。そして勝負はほとんどが微差によって決着がつく。特にオリンピックでの勝利は選手にとっては一生の勲章となる。そこが他の大会と大きく異なるところだ。その意味でも、東京オリンピックが開催出来たことは意義があると思う。大会運営に関しての各国の選手や関係者の不満を、ことさらに取り上げて放映するメディアのだれが、力を駆使して戦う選手たちを観る以上の喜びを視聴者に与え得るだろうか。

さて、コロナ感染者数が激増している。この2年、年齢別感染者数を追っているが、ここ数週間は明らかに年代別感染者数に大きな変化が表れている。60才以上の感染者が激減し、7月30日では、大阪でも94%を50代以下が占めた。現役世代であるこの層の感染者数は、緊急事態宣言を再動しても著しい減少は難しいだろう。各国の状況を見ても分かる。とにかく事業所、学校、その他コミュニティごとに、ワクチン集団接種を急ぐしかない。ワクチン接種後の特典付加も一案だ。“不平等だ!”の声をはねのけるパワーが現政権にあるとすればだが。
                                間島      2021年8月1日 

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 顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」

     顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」 

緊急事態宣言を受けて休業していた近隣の日本料理店が、このほど久しぶりに営業再開した。早速、昼食に訪れたところ、広い店内は平日にも関わらずほぼ満席状態だった。なかには10名以上の団体客もおり、“生ビール!”のオーダーも飛び交っていた。都心から離れているとはいえ、自粛疲れを吹っ飛ばしたい、という声が聞こえるような風景だった。三世代の集まりとも見られる家族連れは、楽し気な解放感から、祖父母や両親のワクチン接種が完了した上での会食なのだろうと推察された。大阪市が要請する“アルコール提供は二人客のみを対象とし、時間は19時までとする“の内容が、誤解を恐れずに言えば、いかにもみみっちく感じたのは、亡国の極みだろうか。“いや、他国はどうであれ、日本はこのくらいの慎重さで良いのだ”と素直に受け入れるべきなのだろうか。

さて、この5月に東北の仙台と平泉を旅した。半年前から予定を立てての旅行だった。飛行機も宿もその他の観光エリアも、万全のコロナ対策を施しており、その努力に支えられ、無事に行程を終えて帰還したのだが、これほどゆったりと楽しむことが出来た旅行はかつてない。ちょうど梅雨入り直後のあいにくの天候も加味したとは思うが、従来なら観光客でにぎわいを見せているであろう、平泉の世界遺産である金色堂も独占させてもらった。規模はさほどではないが、予想通りの絢爛豪華さは日本の誇る歴史的建造物の一つに違いない。何より感動したのは、昭和期に改修されたとはいえ、平安時代から美しいままに現存していることであった。すさまじいまでの富の偏在がもたらした稀有な建立物は、その背景や目的如何に関わらず、技の叡智が結集された超一級の芸術品として、これからも多くの人に感動を与えていくだろう。考えてみれば世界の観光スポットは、自然を別にすればほとんどが歴史的建造物で、城であれ大聖堂であれ、時の権力と富の象徴だ。音楽にしても、人を惹きつけてやまないクラシック音楽は宮廷音楽、つまり強いパトロンに支えられた才能が産みだしている。彫刻も絵画もしかりだ。長い年月を経てもなお燦然と輝いている。

米国では歴史を見直そうという動きがあるらしい。建国の父といわれるジョージワシントン像も奴隷を所有していたとして、人種差別活動家によって撤去されたのを始め、各地で元大統領らの像がターゲットとされている。ジョージワシントンにしてもその功罪は複雑で、清濁併せ呑む政治家だったのだろう。幸い、日本では歴史認識の違いはあれど、現存の像などを撤去しようという動きは無い。歴史の見直しはいつの世でも起こって当然だとは思うが、現在の価値観で自国の歴史や人物を断罪することの危うさを、日本人が持ち合わせていないことに安堵する。それにしても、世界は恐ろしい動きの波にのまれはじめていると感じるのは杞憂だろうか。                           2021年7月1日         間島

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 顧客満足の複雑さ150「発想の転換」

      顧客満足の複雑さ150「発想の転換」 

日本でも、ようやくワクチン接種がスタートした。徐々に軌道に乗り、7月までに高齢者の接種が終了したとするなら、コロナ禍の状況は大いに改善されるだろう。高リスク層の感染者が激減すれば、重症者数・入院数ともに減少し、騒がれている病床数の逼迫も一息つくものと思われる。今、もっとも危機感があらわになっているのは、病床数の余裕の無さだからだ。医療先進国日本において病院数を誇っていたはずが、何ゆえに病床数不足になるのか、考えるのも嫌になる。理由は簡単だと思うが、とにかく感染者数を抑えましょうね、の号令に乗っていくしかない。で、ワクチン接種だ。その浸透の度合いが、コロナ禍を脱する実現度を高くする。 

一方、東京オリンピック・パラリンピック開催の是非に関して、巷間にはかまびすしい意見主張があふれている。これもいずれかで決着がつくだろうから、悩むことも無いのだが、何だか背骨の部分が欠落しているような気がする。中止を望む声の中心は、コロナ禍が収まっていないのに開催すれば、またまた感染者が増えるではないか、オリンピックなど開催できる状況下か、ということだろう。世論調査もなぜか頻繁に行われ、中止を望む人が半数を占めているらしい。もっともだとも思う。ただ、コロナ禍にあっての特殊な形式での、つまり無観客や縮小型のオリンピックも、歴史の中でそれなりに記憶に残るものになり得るのだ。世界的災厄状況下で、どのように東京でオリンピックが行われたのか、選手たちがどのような輝きを見せたのか、また感染者の推移がどうだったのか、が数年先、数十年先に、オリンピックの歴史のひとつとして刻み込まれる。派手な開会式も閉会式も無く、観客の歓声も聞こえない中で、選手たちの試合に臨む心意気と勝利を競う躍動だけが一層、感動を与えるに違いない。華やかなオリンピックが出来るはずもない。それでいいのではないか、とも思う。あの選手の試合、あの選手の活躍、あの競技を見てみたい。そして多分、彼らは充分に期待に応えてくれよう。勝っても負けても、4年に一回のスポーツの記録として立派に残っていく。

コロナ禍は、収まった後が各国の勝負所になる。どの国がいち早く景気を回復させるのか。すでに米国のV字回復は始まっている。種類は違えど今後、再び危機が襲ってきたときに、コロナ禍の教訓が生かせるのか。今までの対処法ですり抜けられるとは到底、思えない。日本人特有と評される真面目さ、誠実さに加え、肝の座った発想と実行力が為政者・国民双方に求められる。               2021年6月3日

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 顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」

        顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」 

レジ袋有料化が発令されて十カ月になるが、その間、確実に家計費は増えた。自前のエコバッグを使用しようが、レジ袋仕様のポリ袋を使おうが、いずれにしても負担は増える。エコバッグは度々、洗濯しないと不潔極まりないし、ポリ袋は別に購入する必要がある。結果として儲かったのはエコバッグを売っている企業と、レジ袋の原価代が不要になった小売り店、そしてポリ袋生産業者だ。今、スーパーのレジ袋仕様のポリ袋の商品棚は種類も増え、価格も上がり、ポリ袋特需現象を生み出している。元々、商品購入時に手渡されていたレジ袋は、殆どがゴミ収集時に二次利用されていた。一体、何のための法律かと問えば、地球環境問題の国民への意識づけ、という美辞麗句が返ってくるのだろう。一種の啓蒙活動か。海洋ゴミにならない条件を満たしたレジ袋は、有料義務化の範疇外となるが、殆どの小売店ではその条件を満たしたレジ袋への転換による無料配布をする気は無い。そして従来型の海洋ゴミ化の恐れのあるポリ袋が、市場で売れに売れている。冗談のような話だ。 

地球環境問題と言えば、温室効果ガス上昇を抑える動きも、実際のところよく分からない。自然に発生する大気中の二酸化炭素やメタンガスなどの温室効果ガスは、太陽からの強烈な熱を封じ込め、地表を温めるのに欠かせない働きをするので、無くては困る。だが大量に発生すると、これら温室効果ガスは地球温暖化の原因になり気象災害をも引き起こすと、悪玉扱いされている。で、先進国各国が、人間が出す温室効果ガスをゼロにすると意気込んでいる。我が国でも、米国が主導した気候変動サミットにおいて、2030年に温室効果ガスを46%削減、2050年を目途にゼロにするという宣言が出された。電気自動車への転換や電気熱源をすべて太陽光発電や風力発電にするということだろうか?それでクリーンな地球に生まれ変わり、めでたしめでたし、ということだろうか?そもそも、地球温暖化そのものの定義が非常にあやふやで、確固たる数値は無い。一時間に50mm以上の雨量を指す、いわゆるゲリラ豪雨の頻度の高さも、地球温暖化の影響と危惧されている。ちなみに、気象庁データによる日本全国での年間発生数をみると1990年に380回、2000年が320回、2010年が265回、2015年260回、2016年330回、2017年320回、2018年350回、2019年380回、そして2020年300回だ。極端に増えているとは思えない。台風の上陸数にしても1990年が6個。2000年が0個。2010年が2個、2015年4個、2016年6個、2017年4個、2018年5個、2019年5個、そして2020年0個。微妙な変異で明白な数値の変化はとらえにくい。気象庁も、地球温暖化が影響しているとの明言は避けている。多分地球温暖化が進んでいるのではないか、というニュアンスだ。統計をみるに、災害の激甚化は起きてはいないのだ。

結局、温室効果ガス削減は、世界規模で巨大なビジネスとなり得るのだろう。先のレジ袋有料化と根っこは同じだ。本質を解明せずに形だけの変革へ向けての、日本の真面目一辺倒な姿勢は、国力を疲弊させ、ひいては富の減少につながるのではと心配になってくる。ちなみに、太陽光発電を電流に変換する際に必須素材のポリシリコンは、中国が世界の50%の生産量を占めている。                          2021年5月1日

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 顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

     顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

  久々に胸のすくような文に出会った。産経新聞に掲載されたスポーツジャーナリスト増田明美さんのコラムだ。東京五輪の開閉会式のクリエーティブディレクター辞任に関して、女性タレントの容姿を侮辱したという根拠がいかに理不尽であるかを、理詰めで主張されている。詳しい説明は避けるが、要は1年前のしかも色々な意見が出されるべき会議での発言について、今、糾弾しようという卑しさに怒りを感じるというものだ。極めて正論だろう。ディレクターが出した案はその場で没になったもので、本人もすぐに謝罪して撤回されたという。会議では様々な意見が交わされ、時には極端な案も出るものだが、おおむね常識範囲内の結論に収束していく。その場で取り上げられなかった意見ひとつひとつが後になって糾弾されるとするなら、誰も何も言わなくなる。会議は成立しない。的外れな告げ口によって辞任に追い込まれたと一喝されている。この一連の問題の根は、卑怯な告げ口を仰々しく取りあげた、大衆ご注進メディアの劣化としか言いようがない。しかし、そのメディアに大きく影響を受ける人たちは存在する。ある日の飲食店での昼食時、嫌でも耳に入ってくるほどの大声の客がいたが、その人の話はテレビの某番組コメンテーターの主張と全く同じ口調と内容であった。誤解を恐れずに言えば、その内容は無見識かつ一方的に、ある人を糾弾するもので、せっかくの料理がまずくなってしまった記憶がある。 

 さて、最近は家の固定電話を殆ど使用しなくなった。大体が携帯電話で事足りる。むしろ携帯電話の方が受信送信いずれにおいても便利だ。だから固定電話のベルは殆ど鳴らない。鳴ったとすれば10数年前の電話の持ち主あてにかかってくるか、 営業の電話なのだが、たまに世論調査なる電話もある。すべて自動音声で、答えを促すメッセージが流れるとすぐに切ってしまう。自動音声の世論調査に付き合うほど、暇ではない。新聞社ごとに定期的に世論調査の結果が公表されるが、あのような方法で、つまり自動音声による電話での調査に真摯に答えてくれる人たちがどれほどいるのかを考えるとき、調査結果はにわかに信じがたいものになってしまう。世論調査結果を盾に、自社の主張を正当化しようとしているのではないか、などと穿った見方もしてしまいそうになる。世論をリードするのが、メディアの役割ではないのだ。彼らは勘違いをしている。たまにメディアの扇動が政局を動かすこともあるが、重なる選挙によって、やがて良識ある結果に落ち着いてくるように思う。 その選挙結果をも、民意を反映していないと主張するメディアは、民主主義を理解していない。                     2021年4月1日

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 顧客満足の複雑さ147「金科玉条の公平と平等」

     顧客満足の複雑さ147「金科玉条の公平と平等」 

やはりというべきか、何故というべきか、日本でのワクチン接種スケジュールは当初の発表から大幅に遅れる見通しとなった。ま、想定通りの成り行きではある。ワクチンそのものの生産数が世界の需要に追いつかないのに加え、コロナワクチンの管理の難しさがスムーズな工程を阻んでいるようだ。止むを得まい。ただ率直に不思議に思うのは、GDP規模世界第三位であり、ノーベル賞輩出でも好レベルにいる日本が何故、コロナワクチン製造では完全に後れを取っているか、ということだ。

自然科学分野での日本人ノーベル賞受賞者は24名で、これは世界5位に当たり、米国、英国、ドイツ、仏、日本の順となるが、2001年からに限ると18名で、アメリカに次ぐ堂々の2位である。ただその内訳は物理学賞8名、化学賞6名と比べ、医学・生理学賞は4名ともっとも少ない。ちなみに米国の医学・生理学賞受賞者はノーベル賞発足から総数105名にのぼる。英国31名、ドイツ16名、仏10名、そして日本は5名。自然科学分野など、まるっきり無知な自分ではあるが、この数字をみて浮かび上がったものはある。医学・生理学を実際に生きたものにするのは、厚労省の役目ということだ。日本にはかつて、ペスト菌を発見し、破傷風の治療法を開発した北里柴三郎博士がいた。諸事情でノーベル賞は取れなかったが、まさに日本の誇る医学界の巨星だ。今もし、博士が生きておられたなら、などとかなわぬ夢を抱いてしまいそうになる。コロナ収束後は、官民あげて医学界の危機管理の見直しと、柔軟で才能を伸ばす土壌の養成に真剣に取り組む必要があろう。いざというときに役に立たない技術は、技術とはいえない。

さて最近、日本はつくづく公平と平等が好きな国民だと思う事案に遭遇する。公平と平等は追い求めるべきではあるが、あまりにそれに執着すると、社会は全体主義ないし共産主義にならざるを得ない。現実は日本は指折りの公平かつ平等社会である。だれでも自由に生きることが出来るし、勉学の道も閉ざされてはいない。国民皆保険は世界に類を見ない公平かつ平等な卓越したシステムだ。そして日本国民は贔屓目に見なくても、勤勉かつ優秀で真面目だ。結局、日本人の優秀さをミスリードしているのは、まるで全体主義思考に陥ったメディアであり、臆病な政治であり、頭でっかちな官僚なのではないかと思う。その中で、メディアは見ない、聞かないという権利が国民に残されているし、政治は一応、選挙という選択の権利が国民に与えられているが、国民にとっての官僚は?となる。とりわけ優秀な人達が集まっているはずの行政が、世界経済第三位の果実を国民に実感させられないでいるのだとすれば、どういう解決策があるのだろう。                       2021年3月1日

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 顧客満足の複雑さ146「この国で生きるということ」

   顧客満足の複雑さ146「この国で生きるということ」 

昨年1月の食事会で、“コロナなる未知のウイルス感染者が中国武漢で出ているらしい”との話題が俎上に乗り、コロナがまだ他人事であったときから丸一年が経った。対策の違いはあれど、今や、コロナ禍で無傷の国はないほどに、その猛威は衰える気配はない。一筋の光明はやはりワクチンだろうか。すでに各国で接種が始まっているが、ここでも国風の違いが出ている。イスラエルは国民の30%以上の摂取が終わり、全国民に行きわたるのも時間の問題らしい。また国民に安心感を与えるためか、首脳陣が一足早く接種している国もある。中国、インドネシア、アメリカ、イギリスなどもすでに一般国民への投与が始まっている。そして日本は2月下旬からまずは1万人の医療関係者へのワクチン投与が始まり、その結果を注視して後、3月には高齢者や医療従事者へと徐々に枠を広げていき、6月頃までには接種を希望する全国民にまで浸透できる予定だという。然しながら、これまでの様々な対策の経緯と、世界でのワクチン争奪戦をみるに、接種予定時期の筋書が大幅に狂う可能性も高い。ただこれは、どちらの方策が優れているかという問題でも無さそうで、お国柄の違いなのだろう。日本は、良く言えば一人一人の命の重さに敏感ともいえるし、悪く言えばだれも責任を出来るだけ取りたくないがゆえに、慎重な判断を積み重ねるということにもなろう。いずれにしても日本国民なのだから国の方針に沿わざるをえない。かなりのもどかしさはあるが止むを得まい。お国柄なのだ。イギリス在住の日本人女性の投稿を読んだ。“欧州のコロナ対策や医療体制は見習わなくて良い“と断言していた。昨年のイギリスにおける死者数は、過去5年間の平均死者数の14%増で、この70年間で最大の死者数を記録した。かたや日本は2020年1月~10月の死者数は同年同期比で1万4000人も減少している。現実の数字だが、これをもってコロナは恐れずにあたらず、とは言い切れないのも確かだ。

さて、コロナ禍の影響は確実に経済や個々人に及び、閉店ラッシュや痛ましい自殺の増加となってあらわれている。ただ意外だったのは、令和2年の倒産件数(負債総額1000万円以上)は2063件で、前年比5%減で過去30年間では最少件数だった。一方、廃業と解散は令和2年の1月から10月で、前年同期比38%アップの5983件を数えたという。これは何を意味するのか。つまり、売り上げ不振による金詰りに陥り、売掛金を支払えず、負債を抱えたまま、やむを得ず倒産してしまった企業は減った。その反面、きちんと精算をして自ら店・事業仕舞いをしたところが増えた、ということだ。給付金がやはり役には立って、周りに多くの迷惑を及ぼす倒産を少しでも抑えられたのかもしれない。はからずも、映画、寅さんで有名な柴又の鰻老舗店がこのほど閉店した際、店主の“余力のあるうちに閉めることにした”の言葉は、“債務を抱えての倒産はかろうじて回避できた”の裏返しなのだろう。勿論、いずれにしてもプラスマイナスでは撤退した企業数が増えている現状なので、経済的かつ失業問題はこれから大きな国政課題となるに違いない。日本ならではの緻密できめの細かい政策でもって、戦後最大ともいえる危機を乗り切ってほしい。                          2021年2月1日

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