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顧客満足の複雑さ 205(希望のきざし )

    顧客満足の複雑さ 205「希望のきざし」 

あけましておめでとうございます。穏やかな年でありますように。 

年々、賀状が少なくなっていく。年を経れば、旅立ったひと、行方知らずになった人と様々で、これも当然の成り行きなのだろう。また、今はラインやメールでの年始あいさつも増えており、益々、年賀状は希少価値の存在になっていく。それもよかろう、ということで、本当に必要であるなら、必要とする人だけに残っていくに違いない。 

昨年は政権の交代もあって、あわただしい年末の感があったが、何がどう変わったのか、政治音痴の身としては新聞を穴のあくほどに視ても、なかなか理解しがたいが、とにかく、長く低迷を続けた日本経済がまた浮かび上がるのではないか、という希望のきざしは感じる。日本人はもっと豊かになっていい。こんなに誠実で働きものの国民が揃っている国は無い。汚職もテロも誘拐も少ない。勿論、世に犯罪の根は消えず、ではあるが、世界的にみても、安全な国の部類に入る。それがどれだけ稀有なことなのか、たぶんあまり自覚していない人も多いだろう。だからこそ、もっと豊かになって、その恵みに感謝したいものだと思う。その経済を後押しするのは、やはり政治の力が不可欠で、経済だけが突出した国など、見たことはない。経済の安定には必ず、賢明で清廉で野心的な政治力が求められる。せっかく選挙で選ばれても、すぐに辞めてしまう人もいるので、それほど魅力的な職業ではないのだろうとは思うが、とにもかくにも、政治家になった限りは志を持って、よりよい豊かな国を目指して政治に邁進してほしい。 

さて一方、経済といえば、最近は本当に不親切な企業が増えた。まず問い合わせコールがまともにつながらない。ホームページで調べろ、というメッセージが流れ、それでもねばっていると、質問を振り分けして、これまたネットで調べろ、だ。なかなか肉声で直にアドバイスをいただけない。人件費の節約か。また電気器具を購入しても、それが複雑であるものに限って、取扱説明書が無いケースが多くなった。これも有事には、不便この上ない。かつては取説ですぐに確認できたものが、すべてネットで確認してね、ということだ。楽しみにしていた銀行系や航空系の月間小冊子もほとんど姿を消した。美しい海外の風景や美術品関連の記事が満載で見応えがあったが、絶滅?した。印刷代と紙代と手間代の節減だ。兎に角、多くの企業が無駄という無駄を無くしつつある。直接、売り上げに結びつかないアフターサービスは贅沢なのだ。そして企業と消費者との乖離が進んでいく。あまり賢い選択とも思えない。QRコードからあなたのスマホで注文してね、の飲食店も便利さを装った不親切の極みだ。ところが昨年末に訪問したお店は、至れり尽くせりの丁寧な対応だった。やはり人が発する親切さは心地よく記憶に残る。   

                    2026年1月1日  間島

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顧客満足の複雑さ 204(年末の風景 )

      顧客満足の複雑さ 204「年末の風景」 

今年も残すところ一か月となり、宿泊施設や飲食店は何かと忙しい日々とお察しする。方針転換の著しいかの国相手のビジネスも、なかなか骨の折れることではあるが、珍しい事象ではなく、常にリスクをはらんでいるという覚悟の上での取り引きであろうと思われるので、さほど心配はしていない。リスクを避けたいなら、日本人相手が安全には違いない。 

さて、先の三連休の中日に「日本人であふれたレストラン街」を訪問して、その賑わいに驚いた。めったに外出しない連休に、親族と百貨店内のレストランで昼食したのだが、まさに人がわいていた。こちらは予約の上での訪問で、スムーズに入店できたが、お昼前にすでに店頭には10名ほどの待ち人が椅子に座っており、待ち時間は1時間では収まるまいと思ったが、その待ち時間さえも会話で楽しんでいる風が伝わってきたので、時間の無駄遣いに、こちらが心配することは無いのだろう。見れば、そのレストラン街には、20名以上のウエイテイング客がいる店も多くあり、どこが不景気なのか、と日本景気の底力?が感じられた。世界の中でも、豊かで安全で楽しそうな風景として間違いなく認知されることだろう。こんな国は、世界の常識下では希少の部類に入る。今のところは。 

今年はあちらこちらで、クマ被害が相次いだ。クマはその風貌からか、クマのプーさんをはじめ、テディベアや映画のパディントンまで、愛されキャラとして定着しているが、いま、出没しているのは、間違いなく獰猛な猛獣としてのクマで、襲われた人の恐怖は想像を絶する。そうなのだ。地球上で、人間より強い動物は山ほどいる。哺乳動物の中では、人間はかなり弱い方に入る。武器を持たない人間は、牙もないし、鋭い爪もない。はるか遠方の臭いをかぎわける鼻も小さな音を聞き分ける耳もない。優れているのは頭脳だけで、その頭脳を生かして武器を作り、車を作り、船を作り、眼鏡を作り、フォークリフトを作り、身を守る衣服を作り、生き物の頂点にかろうじているわけで、何も持たない人間はいざとなれば、猫や犬にも負ける。かれらの爪とは勝負できない。イノシシも人間より強い。鹿もその気になれば、人間を倒せるだろう。人間は餌という媚薬を与えることで、支配した気になっているが、素の能力は人間をしのぐ。私たちは先人たちに、深い尊敬と感謝を持つべきだろう。この世界に長として君臨するまでに、どれほどの犠牲が払われたのだろう。その人間同士が戦い合うさまは見苦しく、醜く,正視に堪えない。ただそれぞれ生存権がある。攻撃されたら、やはり戦わざるを得ないのだろう。 

年末のにぎやかで楽しそうな雰囲気に浸るなか、ふと人間を取りまく現実としての危なげな環境におもいをはせ、来年は穏やかな世情の来たらんことを、などと夢想した次第だ。

 

                     12月1日 間島万梨子

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顧客満足の複雑さ 203(売り上げは伸ばせる )

                               顧客満足の複雑さ 203「売り上げは伸ばせる」 

度々ではないが、日常使いのランチ以外に、飲食店を訪れる機会はそこそこある。そこでつくづく感じるのは、二度目は無いかな、となる店と、ぜひまた伺いたい、と思う店が、以前と比べ鮮明に分かれることだ。はっきり言えば、ひどい店が増えたということでもある。一応、客単価5000円前後以上をいただく店なら、かつてであれば、かなり厳しい従業員教育を含む、QSC(品質、サービス、清潔さ)を高めることによる顧客満足度向上を目指していたものだ。品質は言うまでもなく、料理や飲み物の美味しさ、食材の質、盛り付けなどが含まれ、サービスは言葉使い、正確なオーダー受け、笑顔などの接客全般を指し、清潔さは、店内の清掃状態やトイレの清潔さ、雰囲気の良さが含まれる。それらを高める努力がリピーターを増やし、売り上げ増加につながっていく。

ただしかし、最初に崩れだしたのはS(サ-ビス)で、人手不足という大義名分?により、QRコードからの注文方法は言うに及ばず、専門家としてまともに客に対峙できるスタッフがいる店を探す方が難しくなった。C(清潔さ)も、定期的な手入れの行き届かない、清潔感の無い店も多く見かける。肝心のQ(品質)にしても、そこにプロの手が加わっているとは到底思えない雑な料理を見かけることも多くなった。すべては「そこまでやっていられません」という、おざなりな経営姿勢が垣間見える。かつて、飲食店の経営金字塔ともいわれたQSC精神は、守る店とそうではない店とではっきりと色分けできるようになったということか。そして、客は見事に店を選別していく。おざなりな経営方針の店には、客数の目減りによる閉店が待っている。 

客も店を選別しなくてはならない。店を生かすも殺すも客次第、と思うことがある。QSCがレベル以下の店には、それにふさわしい客がくる、と言ってしまえば、それで終わってしまいそうだが、今からでも遅くはないと思える店もある。アルバイトの接客であっても、心地よい対応は可能だし、ほほえましい感もある。笑顔の効果は永遠で絶大だ。そして何より、従業員は店のメニューをすべて理解していなければならない。店側としては、従業員に店の料理を食べてもらい、覚えてもらうのが一番効果的だ。彼らの評価を謙虚に受け入れることで品質向上が期待できるし、料理への自信を備えたおすすめ行為が売り上げ上昇に必ずつながっていく。 

時代は変わっても、飲食店の売り上げ向上の要素は同じなのだ。アルバイトだからといっておざなりな対応が許されるものではないし、原価を抑えに抑えて儲けを出そうとすれば、かならず客離れというしっぺ返しが来る。それはもう見事に間違いがなく。だから、売り上げは伸ばせる。伸ばしたいと思うならば必ず伸ばせる。QSC重視の必要性は古今東西、人と店がある限り不変だと考える。  

                                                                          2025年11月1日  間島

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顧客満足の複雑さ 202( プロの真価 )

         顧客満足の複雑さ 202「プロの真価」

大阪万国博覧会も残すところ2週間弱となり、閉幕までのすべての日が予約で満杯状態らしい。開幕直後に、ひとまず一回でも行っておいてよかった、感はある。人気パビリオンを見ることはかなわなかったが、それでも万博のお祭り感は味わえた。開幕前のメディアの悪口雑言がまるで嘘であったかのような、連日の紹介報道の転身ぶりは視ていて、いささか白けるものの、彼らも一般庶民の動静には勝てない、ということだろう。今、万博の悪口をなおも言い募るのには、余程の信念がいる。ま、いろいろなアクシデントはあったが、あとわずか、無事に終えてほしい。

さて昨今、様々な競技が人気を博している。野球、ゴルフ、大相撲は言うに及ばず、陸上やスケート、卓球なども、知識豊かな渋い?ファンに支えられて、文化国家ならではの盛況ぶりだ。それらで活躍するのは、練習に練習を重ねたうえでの選ばれし人々なのだと、改めて感心する。野球などは男子なら小学校のときから実際に競技としていそしんできた人も多いが、プロになれるのはごく一部しかいない。勿論、あえてスポーツとして楽しむことだけを選んだ人がほとんどだろうが、プロの野球選手の能力は卓越している、と聞いたことがある。生まれつきか、精進の結果かは難しいところだが、プロアマの差は大きい。ゴルフ、大相撲にしても、恵まれた体もあるものの、プロとして通用するにはやはり並みの練習量ではないはずだ。体、センス、そしてやはり根性だろうか。根性には「飽きない」という要素が大きく占める。来る日も来る日も繰り返し繰り返し、練習を重ねることができる、ということだ。

一方で、プロアマの差が無くなっているのでは、と思えるジャンルもある。歌の世界では、今や、プロの作曲家、プロの作詞家の存在が伝わってこない。優れた音響機械の存在やAI機能の利用で、曲を作れる時代だ。その曲が人の心を打つかどうかは別にしても、実際にそういう曲が多くを占めている。以前は、その曲を聴いて背景のストーリーを想像することが出来たが、今は、観念の世界が多く、感情そのものの言葉の羅列なので、頭の中に風景が浮かび上がってこない。国民的ヒット曲が出ない、と言われる所以だろう。だれもが口ずさみ、心に残したいと願う曲はもう出て来ないかもしれない。昭和の名曲が今も、愛される理由がよく分かる。

人間の能力自体が上がっているから、ますます、プロアマの差は狭くなるだろう、という意見もある。時代が違うのだ。メディア界にしても、テレビをしのぐSNSも見かけるようになった。しかもリアルタイムに提供される。が、しかし、先に述べたスポーツ界でのプロフェッショナルな活躍を見るにつけ、そこに歴然とプロとアマの差を感じ取れるのは、とてもうれしい。           2025年10月1日  間島

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顧客満足の複雑さ 201(情報の多さは是か非か)

     顧客満足の複雑さ 201「情報の多さは是か非か」 

本題とは関係ないが、先日、久々に百貨店の一階に入り込んだ。入り込んだ、というのは15分ほどの時間つぶしが目的だったからだ。そして2分後にはそこから逃げ出した。あれほどの強烈な臭いが、フロア中に蔓延しているとは予想もつかなかった。その百貨店の一階は、ほとんどがインバウンド向けの化粧品売り場で埋め尽くされ、強い刺激臭もさることながら、客待ち顔のスタッフのあまりの多さに、買う目的もなしにぶらつく勇気を持ちあわせなかったからだ。その百貨店の上階レストラン街は常に客であふれ、活況を呈しているのに比べ、百貨店の顔ともいうべき1階の、閑散とした風景と不快な臭いは、何かが狂っていると思わざるを得なかった。来年も再来年も変わらぬ風景として定着しているのだろうか。

さて、本題の「情報」は、どのような情報であれ、かつてないほどに蔓延していると思う。特に、グルメ関連の情報は、テレビやSNSをはじめとして、目にしない日はないほどに、あふれている。そこで目にし、耳にする情報は、美味しい店紹介、という単純なものではなく、コスパ最高、とか、顧客満足度高し、などの評価が多い。かつては飲食店関連の専門家のみが発する評価用語であったのが、一般消費者が当たり前のように口にする。それ自体、決して悪いことではないが、何がどうして、コストパフォーマンス(費用対効果)をあげているのか、どこに満足度をあげる要因があるのか、の、ほり下げた視点がなく、ただただ、美味しくてボリュームがあり、安いのが、評価に結びついているように思える。客単価は若干高いものの、それに見合った料理内容と上質な接客やインテリアを詳細に紹介している番組を見かけることは少ない。局スタッフのレベルでは、太刀打ちできないからか?と思いたくなるほどに、テレビは庶民の味方としての情報にあふれている。お笑い芸人がテレビで重用される所以と、根っこの構図は同じだ。 

最近、タイパなる言葉も耳にするが、それがタイムパフォーマンスのことだとは知らなかった。時間対効果の略語で、費やした時間に対してどれだけの満足度が得られるか、という意味だろうか。まさに“時は金なり”の現代版用語だ。店側にとって、難しい時代になった。まず情報で落とされ、コスパで落とされ、タイパで落とされる。2024年の飲食店の廃業率は5,6%と他業種と比べ高め推移になっている。また開業後1年以内に約30%が閉店。3年以内に50%が閉店する。結果として10年生存率は30%未満の厳しい業態だ。勿論、閉店の理由は情報の影響だけではなく、様々な要因がからんでいる。そして、新たな飲食店が次から次に出店する。いやがうえにも、話題を集めることが、店の盛衰に大きな影響を及ぼす昨今、今後ますます、世界は情報であふれ、そして立ち止まって吟味・咀嚼することなく、大きな流れに飲み込まれてしまうのではないかと危惧する。情報の多さが、人の幸せにかならずしも結びつくとは限らない、ことの現実も確かにある。       2025年9月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 200(違法ではないが不均等)

顧客満足の複雑さ 200「違法ではないが、不均等」 

データというものは、その出し方によって、大きく認識が異なるらしい。らしい、というは、数字の結果を正確に分析することは、かなり難しいからだ。かくいう自分もめっぽう数字には弱いので、えらそうなことは言えない。が、しかし、なんとも姑息な数値を出してきたものだと感心したのが、厚生労働省の説明だ。参院選の投票前に、SNS上で、外国人への生活保護は違法なのに、簡単に多くの人が受給している、といった投稿が出回り、それに対して、厚労省が明確に否定した。 

生活保護法は適用対象を「国民」としているが、人道上の観点から、厚労省は平成2年に外国人に関しては対象者を永住者らと明示した。そして平成26年の最高裁判決を経て、現在では自治体の裁量で外国人に保護費が支給されている。なので「外国人への生活保護が違法というのは間違い」と明言し、しかも2023年度の生活保護受給世帯主が外国人のケースは、全体の2.9%だったとした。数値をみれば多くはないというニュアンスだ。しかし様々なデータがある。2023年の外国人永住者数は約90万2000人で、日本人口約1億2340万人の0.73%だ。一方、外国人の生活保護受給世帯は、全体の2.9%というのは、日本人の約4倍以上の確率で、外国人が受給している、ということになる。 

ちまちまと細かい数字を持ちだしたくはないが、あまりに姑息な表向きの数字で、国民を納得させようという、役所気質がなんともやるせない。つまり、現在のところ、違法ではないが、日本人の4倍受給という現実がそこにある。支給比率が世帯主比率なので、2人家族なのか、6人家族なのかで随分、全体の人口比率とは乖離があるのは認めるとしても、日本の役所の出す数値は、実に巧妙に選ばれ、そして姑息に満ち満ちている。 

訪日外国人観光客は日本経済に恩恵をもたらしていると思うが、日本百貨店協会の最新情報では、今6月の訪日客による免税売上高は、前年同月比40.6%減の392億円となったという。これで前年比減は4か月連続。訪日客数は増加する中、百貨店の免税売上には連動しなくなった。環境でもビジネスでも、財政上でも、訪日外国人増加は、もろ手を挙げて歓迎すべきなのか、難しい局面を迎えているのかもしれない。 

2025年8月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 199(ようやく出てきた正論)

顧客満足の複雑さ199「ようやく出てきた正論」 

新聞のオピニオン欄を読んで、強く同感したのは何か月ぶりだろうか。かなり大袈裟ではあるが久々であるのは事実だ。その内容は、産経新聞の6月16日付けのオピニオン欄のもので、見出しは「災害激甚化はフェイクニュース」。内容の概略は「災害が頻発化しており、それは地球温暖化のせいである。よって脱炭素が急務だ、といった報道は完全な嘘である」というもので、その根拠をきちんと理論的に説明したうえで、「毎年何兆円も脱炭素に投じるはやめ、本当の防災対策に必要な予算を投じるべき」と結んでいる。全くもって正論だ。

そもそも地球の豊かさを左右する陸上植物の光合成には水とCO2が不可欠であり、その他生物の生存の基礎を植物が握っているのだから、CO2の恵みを抜きにすべての命は生存できないということだ。良く分かる。本格的ハウス栽培では、内部のCO2濃度を外気の3~4倍にまで上げ、作物の生育を速める。大気に増えるCO2は地球の緑化を進めるということだ。ヒステリックに叫ばれるアマゾンの森の削減は、人間による森の伐採の結果であって、CO2増加の結果ではない。脱炭素を念仏のように唱えることによる環境問題は、巨額の利権をある国や層にもたらした。多くの愚かなメディアもご追従的感覚でしか物事を見分けられない。

日本に限ってみても統計が取られだした1951年から74年間、台風の数は各年で上下するものの、ほとんど変わっていない。年間雨量も至近の10年間は多くなっているが、1950年代も多かった。地球を馬鹿にしてはいけない。地球は人間などに左右されはしない。自然は気まぐれで時として荒れ狂うものの、大きな恵みをそこに生きるものに与え続けている。大雨には治水が、大風や地震には堅牢な建物が、もっとも危険を回避できるのは、世界各地で発生する自然災害の被害状況をみても明らかだ。ならば何兆円もCO2削減に費やす愚は避け、役立つ防災対策に費やすのがまともな考えだろう。かつて“コンクリートから人へ“と、格好をつけた日本の政治家がいたが、その方には是非、川のそばの自然あふれる場所で葉やつるで造った家に住んでいただきたい。

   2025年7月1日  間島

 

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顧客満足の複雑さ198(何をもって成功とするか )

     顧客満足の複雑さ198「何をもって成功とするか」 

大阪・関西万博に行ってきた。一言でいうなら“一度は行くべし”だ。一度ならず二度、三度と足を運びたいのだが、手間と負担を考えると難しいかもしれない、というのが本音だろうか。平日の曇天日だったので、8万人前後の入場客数だったらしいが、それでも場内は人であふれている感が強かった。東ゲートへの地下鉄の道程は万博へ向かう人の波で、随所には誘導のための案内係りが配置されており、日祝日の混雑ぶりはいかほどかと案じられた。

その後、別用で万博への主要路となる地下鉄を平日に利用した際も、行き交う人の多さに驚いた。万博がらみの利用客だ。万博開催中は昼夜共にずっとこのような状態が続くに違いないが、協会が希望想定する来場者数には1日あたり15万人超が必要で、望ましい来場者数を達成する可能性はどうなのだろう。経験した8万人のざっと2倍ほどの入場者がいる状況は想像しただけでうんざり感がある。希望来場者数は万博として最終利益が出る(残せる)ラインなのだと思うが、そもそも今回の万博は諸般の事情で経費の上乗せを余儀なくされた。よって儲けの可能性がせばめられたのは理解できる。収入と支出の単純計算で利益を出すのは大変だろう。マスコミの極めて意地の悪い論評が目に見えるようだが、今のところ、万博紹介記事であふれており、入場者数も徐々に上向きに推移しているらしい。 

場内の大屋根リングを一周したが、よくこのようなリングを創ったものだと感心する。素人の発想ではとても思いつかない。もしもこのリングが無かったら、しまりのない会場になっていただろう。リングは会場を囲い込み、上部の歩道からは会場と周辺の海を同時に一望できる。一周に2キロほどかかるが、変わりゆく眺望に飽きはこない。ただ、まだ先が長い期間中に改善すべき点は多くある。夜間券のより割安化と時間拡大が望まれる。夜間イベントのさらなる充実も集客に役立つはずだ。そしてもっとも改善すべきは予約システムの簡便化だ。コンビニで購入した入場券のシリアルナンバーで、スマホやパソコンからパビリオンの入場予約を可能にすべきだし、入場ゲートをそれで通過できるQRコードを最初から付加できるはずだ。何故このような厳格な予約システムが取り入れられたのか理解に苦しむ。 

今回の万博は何をもって成功と呼べるのだろう。収入と経費、いわゆる単純なプロフィット&ロス計算では難しいかもしれないが、バランスシート感覚では成功すると思う。それは人の満足感と充足感と記憶が資産として上積みされるからだ。数量で推し量れないものが残っていく。数値でも鉄道、百貨店、宿泊施設等の売り上げ増加に大きく貢献するのは確実だ。そして大阪のお荷物エリアであった夢洲の未来が、後に続くIR(統合型リゾート)やスマートシテイの構築によって開かれたのは確かで、その意味でも前哨戦となる万博は開催した価値があるのだろうと思う。文句を言うのはたやすいが関係各者の労をねぎらいたい。

2025年6月1日 間島

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顧客満足の複雑さ197(これこそ顧客不満足 )

    顧客満足の複雑さ197「これこそ顧客不満足」 

関西大阪万博の入場券をローソンで購入した。Loppi端末機を相手に、何とか希望日の券をゲットできてやれやれと思ったが、良く見るとそれは引換券で、当日会場のゲート前の引換所で本チケットに変えなければ入場できないらしい。本チケットとは何ぞや?と調べてみたら、QRコード付きチケットだという。当日並ぶのが嫌なら、万博専用ネット画面での手続を経ねばならない。完了した暁には、3回の日時変更が可能となり、パビリオン予約もパソコン画面やスマホからできるらしい。その段取りは一応画面上で説明してあるが、今までネット上での手続きでスムーズにいった試しがない。ある知り合いがその手続き完了までスマホ画面で三日間もてこずったと聞いておじけづいた。で、たとえ当日並んでも、そのままの引換券で行くことにした。不思議でならない。どうしてシンプルに、コンビニで売るチケットでそのまま入場できるようにしないのだろう。個人情報を得るためか?などと勘ぐってしまう。そのような二重手続きが何故必要なのだろう。まさに顧客不満足の極みだ。 

で、思い出した。コロナの時期、旅行クーポンなるものを、京都府と大阪府からもらったことがある。京都のそれは、帰りのサービスエリアでそのまま簡単に使用でき、そのお得感がありがたかったが、大阪発行クーポンはサービスエリアでは使えず、近辺や帰路でも使える店がなかった。しかもスマホからそのクーポンのQRコードを読み取って電子クーポンに変換せねばならなかった。使える店がないのにと、バカバカしくて破いてしまったが、その不親切さに驚いた。大阪府民として、忸怩たる思いをした。一体、どんな人間が担当したのかと。万博などは、多くの人が気楽にそしてスムーズに来てくれて、はじめて万博といえる。混雑を避けるための、ただその一点で、このような発券二重システムを考案したのなら、ご苦労なことだ。混雑を避ける発券方法など、子供が考えてもわかる。一日の発券数を集中コンピューターで管理把握すればよいだけの話だ。パビリオン予約は専用の画面で受け付ければよい。 

あとしばらくは日本で開催される国際万国博覧会は無いだろう。その意味ではやはり今回、足を運びたいという人も多いはずだ。もっと面白く楽しいテーマパークはあるだろうけれど、その時代ならではの万博経験は記憶の中に確実に刻まれていく。さてはて当日、どのくらいの時間、並ばねばならないのか予測不能だがシンプル イズ ベストは、まさにベストの中のベストであるべきだ。複雑化するほうがエラクみえる、などとまさか関係者等が考えてはいないと思いたいが、真の顧客満足を官に求めるのは無理なようだ。 

2025年5月1日 間島

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顧客満足の複雑さ196(大いなる喪失 )

      顧客満足の複雑さ196「大いなる喪失」 

作家の曽野綾子さんが2月28日に亡くなられた。あと数年はお元気で執筆を続けられるだろうと思っていたので、享年93才という長寿にもかかわらず、残念の言葉しか出ない。人に対する、ことさら貧しい人たちに対する目線の優しさは時に痛みを含み、言葉だけではない実践に基づく論調は、身を引き締めさせる厳しさをも内包し、勝手弟子を多く作られた。自分もその一人だ。なので勝手に、先生と呼ばせていただく。今、先生の死を受けて、朝日新聞のネット版に、「右派の論客」と形容していたのが、あまりに朝日新聞らしいと感心していたのだが、二日後には「保守の論客」と言い変えられていた。どういう成り行きで変わったのか、知るよしもないが、右派、と決めつける方が、素の朝日らしかったのにと、ある意味残念ではある。 

先生の著書は少なくとも30冊は読ませていただいた。40年もの長きにわたって、海外で活動する日本の神父やシスターたちを支援するNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」の代表を勤め、その間、日本財団の会長を7年間勤められた。どちらも無給であり、それら活動に関するエッセイが多い。なかでも実際に足を運んでのアフリカへの援助にまつわる数多くの事象を日本に関連づけた主張は、厳しさを含有せざるを得なかったのだろう。それほどに、アフリカの絶対的貧しさをその目で見た人は多分、先生を置いていないだろうと思われた。日本の貧しさは本当の貧しさではないと。その厳しい視点が時として反発を招いたこともあるようだが、良く読めばわかる。叱責の中に含まれる限りの無い慈愛と人生に対する深い哀しみが軸として燦然とあることを。 

先生は口先だけの人道主義者を嫌っておられたように思う。優しい言葉ならだれでもいえる。正義など、人の数ほどにある。そういう意味では、世渡り上手ではなかったのだろう。ただ現実に自費で何度もアフリカに足を運び、昭和大学の医師たちとともに、口唇口蓋烈の人たちに無償で手術を施すという行動など、普通はできるものではない。医療に見捨てられた人たちを目のあたりにして、日本がいかに幸せの中にいるかを伝えられた。その鋭い切り口と、相反する深いやさしさが好きだった。ただただ、著書を読んだだけの一介の読者だったが、これからあの一見矛盾する複雑さの中の、単純明快な朗らかな文章に出会えない寂しさがつのるばかりだ。

2025年4月1日 間島

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