投稿者「pc-network」のアーカイブ

食文化の豆知識179 食文化の現状158(多作による質の低下)

col_g_pic.gif

食文化の豆知識179 食文化の現状158(多作による質の低下)

季節ごとに出回る果物をいただくのが大好きです。外国でも果物は人気のある食材でしょうが、日本のように生のままで食すのではなく、ジャムに加工したり、ケーキに入れ込んだり、また料理に使うことが多いようです。なので、甘さや見映えにはあまり重きを置きません。外国で食べた果物は、パイナップルやマンゴーのような南国のものを除いては、苺もリンゴも葡萄も桃も、日本以上に美味しいものに出会ったことはありません。それはもう段違いの差異があります。日本の果物は素晴らしい。ただ残念なのは総じて値がかさばります。高いのです。それだけ手がかかるということなのでしょうか。美しい形で、甘さを蓄えた状態での収穫は、多くの手間と努力の結晶です。でも高い・・。日本に住む外国人留学生が、テレビの一場面で日本での食事風景を語っていましたが、果物は一切でてきませんでした。本人曰く“高くて食べられません”

それでも旬の頃には、手ごろな価格になっていることもあり、思い切り味わえるのが待ち遠しい。また品種改良というか、新しい味わいの果実も出現し、果樹農園の方々の努力にあたまが下がる思いです。ただ、ある果物が消費者の人気を集めたとなると、他の生産者もどんどん参入してきて、結果として全体の味と質が落ちてしまう、というケースもあるようです。もう数年以上もまえのことですが、初めて清見蜜柑を食べたときの衝撃は忘れられません。それはもう甘くてジューシーで、ほっぺたが落ちるほどでした。すっかりファンになりました。そして何年か後には市場に清見蜜柑があふれ、中にはこれが清見?と思うようなものも出回り、かつての人気はありません。他に、美味な蜜柑が多種出てきたことも一因でしょうが、清見ファンとしては残念なことです。ある種がヒットすれば、我も我もと生産量が増え、結果として価値を低めてしまう。これを防ぐには、やはり種の保護が必要なのです。品種を名乗る条件を厳格にもうけ、一定水準をクリアすることを義務付ける。そのことによってブランド力が守られるわけです。小玉スイカもそうです。食べやすさと保管の便利さ、それに抜群の甘さで、よく購入していました。今ではスイカ売り場のほとんどが小玉スイカで占められています。良く売れるからでしょう。でも以前と比べ、甘さが物足りなく感じるのは、気のせいでしょうか?このままでは魅力が低下しそうです。品種の開発はたゆまぬ努力のたまものです。それを守る規則がないと、ヒットすればすぐに同じ名前で市場に出てしまう。日本の素晴らしい食を守る意味でも、ブランドのハードルはきちんと守って、価値と質を下げない工夫も必要です。それは世界市場でも求められるでしょう。

食生活アドバイザー 間島万梨子

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

【その172】某月某日 ”まずは見て楽しみたいわ・・・ ”の巻き

col_n_pic.gif

某月某日  “まずは見て楽しみたいわ”の巻き

先日、久々に会食があって、参加しましたのよ。はい、2名1テーブルね。4名の場合、2テーブル確保での会食ってわけ。お酒も7時までね、飲みましたとも。数カ月ぶりの生ビール!かけつけ8杯。そんな飲めるかい!おとなしく2杯でお腹満杯。で、すぐに7時が。アルコールラストオーダーの鐘が店内に響き渡る。渡りません。でもスタッフの声掛け開始。ここでもおとなしく、お酒を2グラス注文。これで8時までOK。ってな感じで、忙しい会食でしたわ。会話を楽しむよりも、早く食べて飲んでに全力をあげるのに必死。肝心の料理は楽しみの焼肉だったんだけど、残念ながら期待はずれどした。まず煙もうもうタイプで、火があがる。火事やっ。大騒ぎ。始めから無煙ロースタータイプではないと分かってたけど、これほどとは思わなかった。加えて、店の照明が暗すぎて肉が焼けたかどうか判別不明。で、長年の勘にたよることに(そんな勘ありません)。ま、焼けてるに違いない、との思い込みで次々におなかに放り込みましたが、中には生焼け、中には焼き過ぎが、入り交り、大変なことに。結果として、お腹も壊さなかったので、改めて、肉恐るべし!と妙な感慨にふけりましたわ。やはり、焼肉って、肉が美味しそうに色づいてこその醍醐味よね。まるで闇鍋って感じで、スリル満点。もうあの店には行かん。

気を取り直して、やはり照明って大切ね、って改めて思ったわ。見て楽しんで食べて楽しむ、の作業工程が必要。暗けりゃかっこいい、ってもんではないわ。何も、日中の明るさにしなくてもいいので、お肉の色が美味しそうに、そしてじわりと油に火が通り、“もう焼けてるから食べて”とアピールしてほしいわ。フレンチレストランなんかでも、たまあにあるのよね。やけに照明を落としているところが。何、食べてるのか分からないほど、暗い店があったわ。電気代の節約かい!料理はまず見て楽しみ、それから食べて楽しみたいわん。

・・続く。

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

 顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」

     顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」 

緊急事態宣言を受けて休業していた近隣の日本料理店が、このほど久しぶりに営業再開した。早速、昼食に訪れたところ、広い店内は平日にも関わらずほぼ満席状態だった。なかには10名以上の団体客もおり、“生ビール!”のオーダーも飛び交っていた。都心から離れているとはいえ、自粛疲れを吹っ飛ばしたい、という声が聞こえるような風景だった。三世代の集まりとも見られる家族連れは、楽し気な解放感から、祖父母や両親のワクチン接種が完了した上での会食なのだろうと推察された。大阪市が要請する“アルコール提供は二人客のみを対象とし、時間は19時までとする“の内容が、誤解を恐れずに言えば、いかにもみみっちく感じたのは、亡国の極みだろうか。“いや、他国はどうであれ、日本はこのくらいの慎重さで良いのだ”と素直に受け入れるべきなのだろうか。

さて、この5月に東北の仙台と平泉を旅した。半年前から予定を立てての旅行だった。飛行機も宿もその他の観光エリアも、万全のコロナ対策を施しており、その努力に支えられ、無事に行程を終えて帰還したのだが、これほどゆったりと楽しむことが出来た旅行はかつてない。ちょうど梅雨入り直後のあいにくの天候も加味したとは思うが、従来なら観光客でにぎわいを見せているであろう、平泉の世界遺産である金色堂も独占させてもらった。規模はさほどではないが、予想通りの絢爛豪華さは日本の誇る歴史的建造物の一つに違いない。何より感動したのは、昭和期に改修されたとはいえ、平安時代から美しいままに現存していることであった。すさまじいまでの富の偏在がもたらした稀有な建立物は、その背景や目的如何に関わらず、技の叡智が結集された超一級の芸術品として、これからも多くの人に感動を与えていくだろう。考えてみれば世界の観光スポットは、自然を別にすればほとんどが歴史的建造物で、城であれ大聖堂であれ、時の権力と富の象徴だ。音楽にしても、人を惹きつけてやまないクラシック音楽は宮廷音楽、つまり強いパトロンに支えられた才能が産みだしている。彫刻も絵画もしかりだ。長い年月を経てもなお燦然と輝いている。

米国では歴史を見直そうという動きがあるらしい。建国の父といわれるジョージワシントン像も奴隷を所有していたとして、人種差別活動家によって撤去されたのを始め、各地で元大統領らの像がターゲットとされている。ジョージワシントンにしてもその功罪は複雑で、清濁併せ呑む政治家だったのだろう。幸い、日本では歴史認識の違いはあれど、現存の像などを撤去しようという動きは無い。歴史の見直しはいつの世でも起こって当然だとは思うが、現在の価値観で自国の歴史や人物を断罪することの危うさを、日本人が持ち合わせていないことに安堵する。それにしても、世界は恐ろしい動きの波にのまれはじめていると感じるのは杞憂だろうか。                           2021年7月1日         間島

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

 顧客満足の複雑さ150「発想の転換」

      顧客満足の複雑さ150「発想の転換」 

日本でも、ようやくワクチン接種がスタートした。徐々に軌道に乗り、7月までに高齢者の接種が終了したとするなら、コロナ禍の状況は大いに改善されるだろう。高リスク層の感染者が激減すれば、重症者数・入院数ともに減少し、騒がれている病床数の逼迫も一息つくものと思われる。今、もっとも危機感があらわになっているのは、病床数の余裕の無さだからだ。医療先進国日本において病院数を誇っていたはずが、何ゆえに病床数不足になるのか、考えるのも嫌になる。理由は簡単だと思うが、とにかく感染者数を抑えましょうね、の号令に乗っていくしかない。で、ワクチン接種だ。その浸透の度合いが、コロナ禍を脱する実現度を高くする。 

一方、東京オリンピック・パラリンピック開催の是非に関して、巷間にはかまびすしい意見主張があふれている。これもいずれかで決着がつくだろうから、悩むことも無いのだが、何だか背骨の部分が欠落しているような気がする。中止を望む声の中心は、コロナ禍が収まっていないのに開催すれば、またまた感染者が増えるではないか、オリンピックなど開催できる状況下か、ということだろう。世論調査もなぜか頻繁に行われ、中止を望む人が半数を占めているらしい。もっともだとも思う。ただ、コロナ禍にあっての特殊な形式での、つまり無観客や縮小型のオリンピックも、歴史の中でそれなりに記憶に残るものになり得るのだ。世界的災厄状況下で、どのように東京でオリンピックが行われたのか、選手たちがどのような輝きを見せたのか、また感染者の推移がどうだったのか、が数年先、数十年先に、オリンピックの歴史のひとつとして刻み込まれる。派手な開会式も閉会式も無く、観客の歓声も聞こえない中で、選手たちの試合に臨む心意気と勝利を競う躍動だけが一層、感動を与えるに違いない。華やかなオリンピックが出来るはずもない。それでいいのではないか、とも思う。あの選手の試合、あの選手の活躍、あの競技を見てみたい。そして多分、彼らは充分に期待に応えてくれよう。勝っても負けても、4年に一回のスポーツの記録として立派に残っていく。

コロナ禍は、収まった後が各国の勝負所になる。どの国がいち早く景気を回復させるのか。すでに米国のV字回復は始まっている。種類は違えど今後、再び危機が襲ってきたときに、コロナ禍の教訓が生かせるのか。今までの対処法ですり抜けられるとは到底、思えない。日本人特有と評される真面目さ、誠実さに加え、肝の座った発想と実行力が為政者・国民双方に求められる。               2021年6月3日

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

【その171】某月某日 ”驚きと変な風景・・・ ”の巻き

col_n_pic.gif

某月某日  “驚きと変な風景”の巻き

一年でもっともしのぎやすく、風薫る季節・5月。おまえはどうして行ってしまうのか。おお5月、もっと居座っておくれ。頼む!百円あげるから!って、やっぱりだめか。ほんと後半は雨ばかりで、がっくりきたわ。庭のカエルはそれなりに喜んでたみたいだけど、お天道様にはかないません。科学の発展なんたらといっても、人間は梅雨前線一つ、台風一つ、動かすことも、消せることもできやしない。まして、雨を降らすことも、晴れ間を作ることも、未来永劫出きそうにもない。何を寝言を言ってんだって?いやね、最近、環境問題やら温室効果ガスやら、人間さまが悪いものを出して、地球環境の悪化を招いているとの声ばかりで、うんざり。ちょっと待っておくんなさいよ。何かい?人間さまは、そんなにエライのかい?地球はそんなにやわなのかい?何が温暖化でい。氷河期が来てあわてるんじゃねぇよ。はい、今日は江戸っ子気分です。気を取り直して、梅雨を楽しむとしますか。雨が降ろうと槍が降ろうと、食欲には関係ないわけで、さて、今日は何を食べようか問題は、一生続きますわ。このところ、ランチの選択肢が狭くなってしもて。ほんま、かなんわ。非常事態宣言で店での酒付きディナーが無理なので、ランチでも、と思っても、軒並み休業したはるさかい、行くとこがありまへん。はい、難波女です。

真面目な話。あのイオンモールのレストランが一斉休業したのには驚きました。コロナでもずっとがんばってきたのに、この5月からレストラン街が封鎖されました!事件はやはり現場で起きてます!7月には多分再開すると思うけど、皆、大変だよねぇと、お察し申しあげます。がんば!がんばって営業している街場の飲食店にも、テーブル上にアクリル板が目立ち始めました。飛沫感染予防の遮断機ネ。有難いような不便なような。身内同士で食べてると妙な感じ。変な風景だけど、自宅でも設置した方がよろしいのでしょうか?想像すると笑えてくるわ。ほんと、早くコロナには去ってほしいと念じるばかり。

・・続く。

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

食文化の豆知識178 食文化の現状157(コロナ禍の特異性)

col_g_pic.gif

食文化の豆知識178 食文化の現状157(コロナ禍の特異性) 

5月にして、早くも梅雨入りです。早く始まったからといって、早く終わるわけでもないようで、いささかうんざりします。宣言後一週間ほど律儀に雨の日が続きましたが、その後、晴れ渡る日も結構あり、その貴重さが身に沁みます。早すぎる梅雨入りが作物の収穫に影響を及ぼさないか気になるところです。

さて、コロナ禍での食事情はいたるところで変化しています。当然に自宅での食事回数が増えました。で、外食に費やしていた予算が食材購入費に割り当てられる。贅沢な食材や食事をやはりたまには味わいたい、という要望に対応すべく、高級食材の宅配やレストランの味の宅配などが、活発化しています。外食関連の取引が激減した漁師さんが、鯛一尾まるごとの個人宅配を始めたところ、コロナ前よりもむしろ多くの売上げを確保した、という事例もあるようです。確かに、店舗数より個人客数の方が数的には多いのだから、直接取引のシステムさえ構築できれば、新たなビジネスが始まるわけです。この消費者への直接取引のスタイルはコロナが収束しても、ひとつのビジネスとしての地位を確立していくでしょう。 

世界で多くの感染者数を出し、亡くなられた人数も尋常ではないコロナ危機ですが、戦争と違うところは、土地家屋を崩壊させないということでしょうか。農業や酪農、水産業も、人的問題はあるでしょうが、根本的な災厄に襲われることはありません。一番の問題は、人が動かないことによる弊害です。国同士もさることながら、航空・鉄道・バス・旅館・ホテル・旅行業・飲食店・コンサート会場・遊興施設などが被った売上減被害は甚大なもので、そこに携わる人達が当然に被害を受けるわけです。一方で、家具什器・家電・食品・日用品・ゲーム関連・衛生用品などは、過去最高益を出したところも少なくありません。戦争と言っても、サイバー戦や経済戦争などは、また異なった被害状況をだすので、一概に国土そのものの疲弊にはつながらないのかもしれませんが、このコロナの、近代国家の隙をついた攻撃力は、グローバル化のもろさを露呈させました。収束後、果たして人類は、より英知が高まっているでしょうか。        食生活アドバイザー 間島万梨子

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

 顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」

        顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」 

レジ袋有料化が発令されて十カ月になるが、その間、確実に家計費は増えた。自前のエコバッグを使用しようが、レジ袋仕様のポリ袋を使おうが、いずれにしても負担は増える。エコバッグは度々、洗濯しないと不潔極まりないし、ポリ袋は別に購入する必要がある。結果として儲かったのはエコバッグを売っている企業と、レジ袋の原価代が不要になった小売り店、そしてポリ袋生産業者だ。今、スーパーのレジ袋仕様のポリ袋の商品棚は種類も増え、価格も上がり、ポリ袋特需現象を生み出している。元々、商品購入時に手渡されていたレジ袋は、殆どがゴミ収集時に二次利用されていた。一体、何のための法律かと問えば、地球環境問題の国民への意識づけ、という美辞麗句が返ってくるのだろう。一種の啓蒙活動か。海洋ゴミにならない条件を満たしたレジ袋は、有料義務化の範疇外となるが、殆どの小売店ではその条件を満たしたレジ袋への転換による無料配布をする気は無い。そして従来型の海洋ゴミ化の恐れのあるポリ袋が、市場で売れに売れている。冗談のような話だ。 

地球環境問題と言えば、温室効果ガス上昇を抑える動きも、実際のところよく分からない。自然に発生する大気中の二酸化炭素やメタンガスなどの温室効果ガスは、太陽からの強烈な熱を封じ込め、地表を温めるのに欠かせない働きをするので、無くては困る。だが大量に発生すると、これら温室効果ガスは地球温暖化の原因になり気象災害をも引き起こすと、悪玉扱いされている。で、先進国各国が、人間が出す温室効果ガスをゼロにすると意気込んでいる。我が国でも、米国が主導した気候変動サミットにおいて、2030年に温室効果ガスを46%削減、2050年を目途にゼロにするという宣言が出された。電気自動車への転換や電気熱源をすべて太陽光発電や風力発電にするということだろうか?それでクリーンな地球に生まれ変わり、めでたしめでたし、ということだろうか?そもそも、地球温暖化そのものの定義が非常にあやふやで、確固たる数値は無い。一時間に50mm以上の雨量を指す、いわゆるゲリラ豪雨の頻度の高さも、地球温暖化の影響と危惧されている。ちなみに、気象庁データによる日本全国での年間発生数をみると1990年に380回、2000年が320回、2010年が265回、2015年260回、2016年330回、2017年320回、2018年350回、2019年380回、そして2020年300回だ。極端に増えているとは思えない。台風の上陸数にしても1990年が6個。2000年が0個。2010年が2個、2015年4個、2016年6個、2017年4個、2018年5個、2019年5個、そして2020年0個。微妙な変異で明白な数値の変化はとらえにくい。気象庁も、地球温暖化が影響しているとの明言は避けている。多分地球温暖化が進んでいるのではないか、というニュアンスだ。統計をみるに、災害の激甚化は起きてはいないのだ。

結局、温室効果ガス削減は、世界規模で巨大なビジネスとなり得るのだろう。先のレジ袋有料化と根っこは同じだ。本質を解明せずに形だけの変革へ向けての、日本の真面目一辺倒な姿勢は、国力を疲弊させ、ひいては富の減少につながるのではと心配になってくる。ちなみに、太陽光発電を電流に変換する際に必須素材のポリシリコンは、中国が世界の50%の生産量を占めている。                          2021年5月1日

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

食文化の豆知識177 食文化の現状156(季節の先取りも歓迎?)

col_g_pic.gif

食文化の豆知識177 食文化の現状156(季節の先取りも歓迎?) 

毎年、季節の収穫が早まっているような気がします。温室栽培の普及なのか、“走り”の高価値をねらってのことなのか。いずれにしても、あれ?もう出回ってるの?と驚いてしまうことが多くなりました。例えばソラマメ。収穫は5月頃からのはずが、ここ数年、3月頃には市場に出回ります。ほとんどが鹿児島産で、 有難く頂いています。やはり暖かい土地なので、早目の春の恵みが育つのでしょうか。4月下旬になって地場産も並びだしましたが、それにしても早い。蕗もそうです。すでに愛知産のものが3月から出ています。これもせっせと購入して、煮物で楽しんでいますが、従来は4月下旬頃から収穫できる野菜です。果物も早くも小玉スイカが売られていました。高価なので手は出ません。新玉ねぎも、以前は春の野菜でしたが、2月下旬には棚に並んでいました。驚きです。地球温暖化の影響というより、いち早く季節先取りで売れる商品を出したい、ということだと思います。9月から!おせち商戦が始まるのと似ています。それもこれも競争社会を生き抜くための戦略なのでしょう。

早目の実りを楽しむ贅沢は、昔からありました。まだだれも口に出来ない食材をいち早く味わう。その幸せは充分に分かりますが、やはり季節感のめりはりは、大切にしたいものです。野菜果実は、旬でこそ味わいも栄養も深くなります。自然の恵みを人間がコントロールできるはずもないのです。今、安価で出回っている野菜なども、今後、大雨による日照時間不足が起きれば何倍にも価格が跳ね上がることでしょう。現状の市場原理では、いたしかたの無いことです。自然を支配できるほど、人間の力は強くありません。分散収穫や分散消費でしのぐしか無いのです。何だか、サプライチェーンの分散化に通じるような気もしてきました。危機に対して、出来るだけその影響を薄くするための分散化は常に考慮に入れておく必要があります。それを考えれば、春野菜をいち早く食べられるときにいただく、というのも、ひとつの知恵なのかもしれません。

食生活アドバイザー 間島万梨子

 

 

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

【その170】某月某日 ”なんでですかい?・・・ ”の巻き

col_n_pic.gif

某月某日  “なんでですかい?”の巻き

時々行く大型ショッピングモールには、当然のようにレストラン街があるけど、ほんと、リピートしたい店が少ない、というか、殆どないのよね。なんでやろ?ワタシにも理由がわかりません。すべての店に、一回は行ってるのよ。根が食いしんぼなのでね。分かっとるって?フン。一応、和洋中は揃っているし、それぞれ綺麗な店内なのに、惹かれる材料が無いのよね。それを証拠に平日の昼は大体がガラガラ状態ざんす。そんな中でも数少ない贔屓の店が最近、閉めちゃったの。美味しいとんかつ店だったから、コロナショックの次に、大きなショックざんす。ま、ちと大げさだけど、これで好きな店は、中華の一店を残すのみとなりました。報告終わり!

気を取り直して、理由を深く洞察することに。まず家賃が高いので、それなりの規模というか、経済力のある店しか出店できない。ゆえに客が少なくても持ちこたえられる体力がある。第二に、総じて客単価が高い。よって少ない客でも何とか持ちこたえられる。第三に、土日祝日の稼ぎだけで、何とか持ちこたえられる。第四に、趣味でやってるので儲けは要らない。こんなもんかな。これ以外に理由は考えられんわ。

反対に、なんでいつも客で賑わっているんだろう?て思う店もあちらこちらにあるのよね。はい、深く洞察することに。第一に、注文しやすい価格帯におさまっている。第二に、料理が丁寧に仕上がっていて万人受けする味付けになっている。第三に、平日の方が客が多い。よって効率が良い。第四に、なじみ客が多いせいか店の人がフレンドリーである。第五に、生活がかかっているから経営に必死で努力している。こんなもんかな。これ以外に理由は考えられんわ。また最初に戻るけど、大型ショッピングモール内のレストラン街は、近いうちに、大幅リニューアルしそうな気がするわ。この系列のモールはオープン数年後に、半数以上のレストランの入れ替えがある場合が多いのよね。さ、今度はどんな店が入るかな。それを楽しみに生きていきますわ!その時には、コロナも、どこかに去っていておくれ。                ・・・・続く。

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

 顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

     顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

  久々に胸のすくような文に出会った。産経新聞に掲載されたスポーツジャーナリスト増田明美さんのコラムだ。東京五輪の開閉会式のクリエーティブディレクター辞任に関して、女性タレントの容姿を侮辱したという根拠がいかに理不尽であるかを、理詰めで主張されている。詳しい説明は避けるが、要は1年前のしかも色々な意見が出されるべき会議での発言について、今、糾弾しようという卑しさに怒りを感じるというものだ。極めて正論だろう。ディレクターが出した案はその場で没になったもので、本人もすぐに謝罪して撤回されたという。会議では様々な意見が交わされ、時には極端な案も出るものだが、おおむね常識範囲内の結論に収束していく。その場で取り上げられなかった意見ひとつひとつが後になって糾弾されるとするなら、誰も何も言わなくなる。会議は成立しない。的外れな告げ口によって辞任に追い込まれたと一喝されている。この一連の問題の根は、卑怯な告げ口を仰々しく取りあげた、大衆ご注進メディアの劣化としか言いようがない。しかし、そのメディアに大きく影響を受ける人たちは存在する。ある日の飲食店での昼食時、嫌でも耳に入ってくるほどの大声の客がいたが、その人の話はテレビの某番組コメンテーターの主張と全く同じ口調と内容であった。誤解を恐れずに言えば、その内容は無見識かつ一方的に、ある人を糾弾するもので、せっかくの料理がまずくなってしまった記憶がある。 

 さて、最近は家の固定電話を殆ど使用しなくなった。大体が携帯電話で事足りる。むしろ携帯電話の方が受信送信いずれにおいても便利だ。だから固定電話のベルは殆ど鳴らない。鳴ったとすれば10数年前の電話の持ち主あてにかかってくるか、 営業の電話なのだが、たまに世論調査なる電話もある。すべて自動音声で、答えを促すメッセージが流れるとすぐに切ってしまう。自動音声の世論調査に付き合うほど、暇ではない。新聞社ごとに定期的に世論調査の結果が公表されるが、あのような方法で、つまり自動音声による電話での調査に真摯に答えてくれる人たちがどれほどいるのかを考えるとき、調査結果はにわかに信じがたいものになってしまう。世論調査結果を盾に、自社の主張を正当化しようとしているのではないか、などと穿った見方もしてしまいそうになる。世論をリードするのが、メディアの役割ではないのだ。彼らは勘違いをしている。たまにメディアの扇動が政局を動かすこともあるが、重なる選挙によって、やがて良識ある結果に落ち着いてくるように思う。 その選挙結果をも、民意を反映していないと主張するメディアは、民主主義を理解していない。                     2021年4月1日

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |