投稿者「pc-network」のアーカイブ

顧客満足の複雑さ 199(ようやく出てきた正論)

顧客満足の複雑さ199「ようやく出てきた正論」 

新聞のオピニオン欄を読んで、強く同感したのは何か月ぶりだろうか。かなり大袈裟ではあるが久々であるのは事実だ。その内容は、産経新聞の6月16日付けのオピニオン欄のもので、見出しは「災害激甚化はフェイクニュース」。内容の概略は「災害が頻発化しており、それは地球温暖化のせいである。よって脱炭素が急務だ、といった報道は完全な嘘である」というもので、その根拠をきちんと理論的に説明したうえで、「毎年何兆円も脱炭素に投じるはやめ、本当の防災対策に必要な予算を投じるべき」と結んでいる。全くもって正論だ。

そもそも地球の豊かさを左右する陸上植物の光合成には水とCO2が不可欠であり、その他生物の生存の基礎を植物が握っているのだから、CO2の恵みを抜きにすべての命は生存できないということだ。良く分かる。本格的ハウス栽培では、内部のCO2濃度を外気の3~4倍にまで上げ、作物の生育を速める。大気に増えるCO2は地球の緑化を進めるということだ。ヒステリックに叫ばれるアマゾンの森の削減は、人間による森の伐採の結果であって、CO2増加の結果ではない。脱炭素を念仏のように唱えることによる環境問題は、巨額の利権をある国や層にもたらした。多くの愚かなメディアもご追従的感覚でしか物事を見分けられない。

日本に限ってみても統計が取られだした1951年から74年間、台風の数は各年で上下するものの、ほとんど変わっていない。年間雨量も至近の10年間は多くなっているが、1950年代も多かった。地球を馬鹿にしてはいけない。地球は人間などに左右されはしない。自然は気まぐれで時として荒れ狂うものの、大きな恵みをそこに生きるものに与え続けている。大雨には治水が、大風や地震には堅牢な建物が、もっとも危険を回避できるのは、世界各地で発生する自然災害の被害状況をみても明らかだ。ならば何兆円もCO2削減に費やす愚は避け、役立つ防災対策に費やすのがまともな考えだろう。かつて“コンクリートから人へ“と、格好をつけた日本の政治家がいたが、その方には是非、川のそばの自然あふれる場所で葉やつるで造った家に住んでいただきたい。

   2025年7月1日  間島

 

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

食文化の豆知識217 食文化の現状196( 季節に祈る )

col_g_pic.gif

食文化の豆知識217 食文化の現状196(季節に祈る) 

すでに真夏のような暑さです。体がまだ慣れていないせいか、熱中症で病院に運ばれる人が後をたちません。昔のことを言っても仕方ありませんが、6月はまだ清々しい外気を楽しめ、7月も中旬ころから灼熱の太陽にさらされていたような。夏は過酷ではありましたが、8月も中旬を過ぎれば、どことなく秋の気配を感じられていたような。ところが近年は6月から9月いっぱいまで、夏日が続いています。この変化は気の遠くなるような地球の歴史の中では、まさに点に過ぎない現象なのでしょう。人間は防衛するのみです。

 で、やはり暑さに対抗するには、適切なエアコン使用は勿論ですが、栄養を十分に取って、暑さに負けない体力作りをするほかは無さそうで・・。幸い、今は野菜の価格が落ち着いてきました。特に夏野菜は求めやすい価格で十分に供給されています。有り難いことです。日本料理は、煮込み料理が主流の外国とは異なり、野菜単独の料理が多くあり、それはそれで手間がかかるとも言えますが、野菜独自の味や風味を味わえます。キャベツも多くの料理法で楽しめるし、トマトもサラダや煮込みに使えます。どうか、今夏も、異常気象に陥ることなく、暑いままに、少し雨も降って、潤沢に夏野菜が供給されますように。 

ただ平均的現象、というものは幻にすぎず、毎年何らかの「異常」をことさらにメデイアが取り上げ騒いでいる?ように見えますが、そもそも平均とはなんでしょうか?かつて高校時代の生物の教師が「平均的体格などは無い!」と言い切っていたのを思い出しました。だれもがそれぞれの特徴を抱えており、平均とはその中間の現象を表しているにすぎないと。だから「平均」なるものにとらわれてはいけない。自分の特徴を重んじなさいと。自然もその恵みも、異なるのが当然なのでしょう。それを受け取る度量も持っていたいものです。

               食生活アドバイザー  間島万梨子 

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

その217某月某日「これって、自業自得?」の巻き

col_n_pic.gif

OL N子の勝手リサーチ 217 “これって自業自得?”の巻き

今や、なんでもかんでも値上げラッシュで、ぼやくまくりも、飽きてきた感があるわ。最初の頃は、なんで?これも?こんなに?と、いちいち値上げに驚いていましたが、今や、あっ、そうどすか。よろしゅうおしたなぁ。ってな感じで、麻痺したというか、怒るのも嫌になったというか。しかしながら!ほぼ半年前に、近所の日本料理店の日替わりランチが、1000円から突如1500円になったときは、のけぞりましたわ。もともと1000円でも若干の割高感はあったのよね。大体が鯛のカルパッチョにミニ天ぷら、そしてミニ茶碗蒸しが日替わりの定番!それって日替わりかよ、と突っ込みたくなってたけど、他の定食ものよりも若干安めなのが、人気だったのよね。ま、中高年にはほどほどの量だし、見た目もこぎれいに仕上がってるので、時々利用してたのよね。いつも結構な込み具合で、70席以上の広い店内が満席状態の時も多かったわ。でも、あまりの値上げ幅に、怒髪天を突いた我は、行かなくなったのです。

で、先日、約半年ぶりに訪問することに。驚きましたわ。金曜日のお昼がガラガラ状態で、ワタシたちを含めて総勢6名のみどしたわ。いつもお座敷席の前には履物が並んでいたのがゼロ。カウンター席に4名とテーブル席に2名。数人いる女性スタッフが手持無沙汰でウロウロしてました。これって、理由は明白よね。中身がおんなじで50%アップってのは狼藉だってことが、店側はわからなかったのか、わかった上での結果なのか、ようわからんけど・・。ま、今はお客側も財布の紐をしめていると思うので、一過性かどうか、まだ判断しにくいけど、このガラすき状態は、無謀な値上げの結果です。わたしたちも、もう行きませんわよ。さてはて、いつまで頑張ることか。バカだな、って思うわ。大体がランチ、ってのはある程度の客数が確保できないと赤字だから、夜がいくら高かろうと、昼は1000円くらいで提供して、客数を稼ぐのですよ。いつまで続くかな。もう知らんけど。

             ・・・・・続く

 

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

顧客満足の複雑さ198(何をもって成功とするか )

     顧客満足の複雑さ198「何をもって成功とするか」 

大阪・関西万博に行ってきた。一言でいうなら“一度は行くべし”だ。一度ならず二度、三度と足を運びたいのだが、手間と負担を考えると難しいかもしれない、というのが本音だろうか。平日の曇天日だったので、8万人前後の入場客数だったらしいが、それでも場内は人であふれている感が強かった。東ゲートへの地下鉄の道程は万博へ向かう人の波で、随所には誘導のための案内係りが配置されており、日祝日の混雑ぶりはいかほどかと案じられた。

その後、別用で万博への主要路となる地下鉄を平日に利用した際も、行き交う人の多さに驚いた。万博がらみの利用客だ。万博開催中は昼夜共にずっとこのような状態が続くに違いないが、協会が希望想定する来場者数には1日あたり15万人超が必要で、望ましい来場者数を達成する可能性はどうなのだろう。経験した8万人のざっと2倍ほどの入場者がいる状況は想像しただけでうんざり感がある。希望来場者数は万博として最終利益が出る(残せる)ラインなのだと思うが、そもそも今回の万博は諸般の事情で経費の上乗せを余儀なくされた。よって儲けの可能性がせばめられたのは理解できる。収入と支出の単純計算で利益を出すのは大変だろう。マスコミの極めて意地の悪い論評が目に見えるようだが、今のところ、万博紹介記事であふれており、入場者数も徐々に上向きに推移しているらしい。 

場内の大屋根リングを一周したが、よくこのようなリングを創ったものだと感心する。素人の発想ではとても思いつかない。もしもこのリングが無かったら、しまりのない会場になっていただろう。リングは会場を囲い込み、上部の歩道からは会場と周辺の海を同時に一望できる。一周に2キロほどかかるが、変わりゆく眺望に飽きはこない。ただ、まだ先が長い期間中に改善すべき点は多くある。夜間券のより割安化と時間拡大が望まれる。夜間イベントのさらなる充実も集客に役立つはずだ。そしてもっとも改善すべきは予約システムの簡便化だ。コンビニで購入した入場券のシリアルナンバーで、スマホやパソコンからパビリオンの入場予約を可能にすべきだし、入場ゲートをそれで通過できるQRコードを最初から付加できるはずだ。何故このような厳格な予約システムが取り入れられたのか理解に苦しむ。 

今回の万博は何をもって成功と呼べるのだろう。収入と経費、いわゆる単純なプロフィット&ロス計算では難しいかもしれないが、バランスシート感覚では成功すると思う。それは人の満足感と充足感と記憶が資産として上積みされるからだ。数量で推し量れないものが残っていく。数値でも鉄道、百貨店、宿泊施設等の売り上げ増加に大きく貢献するのは確実だ。そして大阪のお荷物エリアであった夢洲の未来が、後に続くIR(統合型リゾート)やスマートシテイの構築によって開かれたのは確かで、その意味でも前哨戦となる万博は開催した価値があるのだろうと思う。文句を言うのはたやすいが関係各者の労をねぎらいたい。

2025年6月1日 間島

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

食文化の豆知識216 食文化の現状195( しっかりした検証を )

col_g_pic.gif

食文化の豆知識216 食文化の現状195(しっかりした検証を) 

米価格暴騰騒動は新しい大臣のもとで、収拾されるでしょうか。5キロ2000円の販売価格を目指すそうで、それが実現したなら有り難いことですが、そもそも何故、ここまで高騰が続いているのか、の検証は明確に行っていただきたいと思います。モノの値段は需要と供給のバランスで決まることが基本ですが、米はその範疇外だったはずです。減反政策や潤沢な備蓄米は、安定供給のための方策ではなかったのでしょうか?それが大きく失敗した?そしてこんなにも長い間、高騰が続いた理由は?すさまじい干ばつや災害に見舞われたわけでもないのに、何故、異常価格が収まらなかったのか、鮮明にしていただきたい。そしてすさまじい高値を市場に持ち込んだ人間・関係各社・組織にペナルティーを科すこともいとわないでいただきたい、と思います。 

さて、季節は早足で私たちを引きずってくれます。風薫る五月、さわやかな五月晴れは、あっという間に湿った蒸し暑い空気に取ってかわられました。また暑い夏の到来がまじかですが、今夏は、光熱費の補助がありそうで、ほっとすると同時に、昨年のように暑いのかという、うんざり感もあって、本当に日本の四季はキビシイものがあります。でも、夏野菜が豊富に出回りはじめたのは、うれしい限りです。みずみずしいきゅうりやトマト、レタスは夏の風物詩です。たっぷりといただいて、きたるべく夏を迎え討ちたいと思います。 

食生活アドバイザー  間島万梨子 

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

その216某月某日「恐るべし札幌・すすきの」の巻き

col_n_pic.gif

OL N子の勝手リサーチ 216 “恐るべし札幌・すすきの”の巻き

何年ぶりかで、北海道札幌へ行きやした。うんと若い頃、そう、うんとね。スキーで何度か札幌に行って、その後も訪れてるけれど、街自体をゆっくりと観光したことはあったような無かったような。で、今回は札幌攻略ツアーへ!

人口は約197万人の大都市で、人口別では、日本5番目の規模らしい。面積が広いので、ごちゃごちゃしていない、ゆったりとした街に見えるわ。今回は遠出をせず、札幌近郊をウロウロ、キョロキョロ、もぐもぐ(食べるのよ!)する計画。大通り公園や時計台などの超メイン観光スポットには行ったことあるので、その他の見所にいざゴー。まずは近隣にあるエスコンフィールドへ。ご存知、日本ハムファイターズの新しい母球場ね。当日は野球開戦日ではなかったけれど、その分ゆっくりと美しい球場を見れてよかったざんす。日本ハム直営のフードコーナーで、牛ローストビーフランチをもぐもぐ完食。

その後、三日間かけていろいろ一杯、無理やり見所を探し出し、札幌を満喫しましたわ。小樽にも足を伸ばしたのよ。よう歩いた。札幌はちょうどライラックのシーズンで、街中のいたるところに美しいパープルの花が咲き誇っていたのは、まさに眼福。なんでもライラックは札幌の市花らしい。公道のみならず各住宅の庭先にもライラックが植えてあって、市民の矜持が伝わってきましたよん。ちなみに大阪市の花は、桜とパンジーらしい。桜?ま、大阪城公園や万博記念公園は桜の名所ね。造幣局の桜通り抜けもあるけど、各家が植えやすい木ではないし。パンジーは好きな花だけど街中にあふれてるわけでもないし。ってなわけで、札幌のライラックはとても統一感があり、魅力的でした。

で、夕食はいざ、すすきのへ。飲食店に入って海鮮ものを満喫した後、すすきのをぶらりぶらり。驚いたの何のって。これがすすきのか、と。東京歌舞伎町・博多中州とともに、3大遊興地らしい。大通りの両脇にずらりと飲食店やキャバクラ、ホストクラブなどがびっしりと立ち並んでいる景色ははじめて見たざんす。普通大通りには、企業や大型飲食店などがあって、飲み屋街や遊興店はいわゆる路地通りにあるよね。それがそれが、大通りにド~ンとひしめいている。すごすぎる・・・。歩いても歩いても両脇にお姉さんたちのデカイ写真が・・来て来て、と誘ってる。残念ながら見るだけだったけど、それなりに儲かっているんだろうなと。はい、今回のここ一番吃驚は、すすきの大通り歓楽街見学でした。人もあふれてました。どこが不景気やねん、とつっこみたくなったよん。

             ・・・・・続く

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

顧客満足の複雑さ197(これこそ顧客不満足 )

    顧客満足の複雑さ197「これこそ顧客不満足」 

関西大阪万博の入場券をローソンで購入した。Loppi端末機を相手に、何とか希望日の券をゲットできてやれやれと思ったが、良く見るとそれは引換券で、当日会場のゲート前の引換所で本チケットに変えなければ入場できないらしい。本チケットとは何ぞや?と調べてみたら、QRコード付きチケットだという。当日並ぶのが嫌なら、万博専用ネット画面での手続を経ねばならない。完了した暁には、3回の日時変更が可能となり、パビリオン予約もパソコン画面やスマホからできるらしい。その段取りは一応画面上で説明してあるが、今までネット上での手続きでスムーズにいった試しがない。ある知り合いがその手続き完了までスマホ画面で三日間もてこずったと聞いておじけづいた。で、たとえ当日並んでも、そのままの引換券で行くことにした。不思議でならない。どうしてシンプルに、コンビニで売るチケットでそのまま入場できるようにしないのだろう。個人情報を得るためか?などと勘ぐってしまう。そのような二重手続きが何故必要なのだろう。まさに顧客不満足の極みだ。 

で、思い出した。コロナの時期、旅行クーポンなるものを、京都府と大阪府からもらったことがある。京都のそれは、帰りのサービスエリアでそのまま簡単に使用でき、そのお得感がありがたかったが、大阪発行クーポンはサービスエリアでは使えず、近辺や帰路でも使える店がなかった。しかもスマホからそのクーポンのQRコードを読み取って電子クーポンに変換せねばならなかった。使える店がないのにと、バカバカしくて破いてしまったが、その不親切さに驚いた。大阪府民として、忸怩たる思いをした。一体、どんな人間が担当したのかと。万博などは、多くの人が気楽にそしてスムーズに来てくれて、はじめて万博といえる。混雑を避けるための、ただその一点で、このような発券二重システムを考案したのなら、ご苦労なことだ。混雑を避ける発券方法など、子供が考えてもわかる。一日の発券数を集中コンピューターで管理把握すればよいだけの話だ。パビリオン予約は専用の画面で受け付ければよい。 

あとしばらくは日本で開催される国際万国博覧会は無いだろう。その意味ではやはり今回、足を運びたいという人も多いはずだ。もっと面白く楽しいテーマパークはあるだろうけれど、その時代ならではの万博経験は記憶の中に確実に刻まれていく。さてはて当日、どのくらいの時間、並ばねばならないのか予測不能だがシンプル イズ ベストは、まさにベストの中のベストであるべきだ。複雑化するほうがエラクみえる、などとまさか関係者等が考えてはいないと思いたいが、真の顧客満足を官に求めるのは無理なようだ。 

2025年5月1日 間島

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |

食文化の豆知識215 食文化の現状194( 郷土料理はやはりその地で )

col_g_pic.gif

食文化の豆知識215 食文化の現状194(郷土料理はやはりその地で)

流通網の発展により、いろいろな食材が手に入る時代です。ひと昔前なら、その地でしか頂けない食材を使った料理というものがあったような気もしますが、今や情報はすぐに巡り、ネットでの取り寄せも盛んになり、名産品なるものも手に入りやすくなりました。自宅で各地の名産品を味わえるとあって、ネット販売は今後も拡大しそうです。それは喜ばしいことですが、やはりその地で味わってこそ、という料理や食材もあります。逆に言えば、普遍的な料理にはならない名物料理、というものです。逆に、すき焼きやしゃぶしゃぶ、うどんすきやオムライスなども、発祥地があるのですが、たちまちのうちに全国的な料理になって、今や、どの地の名物料理、という言い方はされません。 

その地でいただいてこそ、という料理があるのもいいことです。金沢の治部煮は勿論美味しいのですが、自宅で作ろうとは思わない。長崎の旅館でいただいた卓袱料理も、普段の外食時に食べたい、とはなりません。秋田県のしょっつる鍋も秋田で味わってこそ、というものでしょう。やはりそれらは、その地でこそ、いきいきと根付いてきた料理で、気候や採れる食材や味の好みなどが微妙に入り組んでできあがった、郷土料理なのです。その地で食べてこその味わい、ということでしょうか。逆に言えば、どこででも食べたい、と強く思うものは、この時代、すぐに全国料理になるということです。てっちりや鯖寿司、お好み焼き、たこ焼きなどが一例です。その地にあってこそ輝きを放つ郷土料理は、これからもずっと受け継がれていくことでしょう。旅の醍醐味、というものです。

食生活アドバイザー  間島万梨子 

カテゴリー: 食文化の豆知識 |

その215某月某日「大丈夫?」の巻き

col_n_pic.gif

   OL N子の勝手リサーチ 215 “大丈夫?”の巻き

これだけ物価があがると、消費者のみならず、提供側にも手痛いしっぺ返しがくるような気がするわ。ほとんどの人が、この値上がり状態にうんざりというか、節約志向というか、怒っていると思う。ワタチも少々、イカッテいるよん。だって、なんでもかんでも値上がりで、値段をあげりゃいいってもんじゃないわよね。そりゃ、光熱費やガソリン代、人件費が上がれば、最終商品に跳ね返ってくるのはわかるけど、程度問題ってのもあると思う。それを越してしまった典型なのがお米価格かしらね。備蓄米を放出しようが、2024年ものが結構、豊作であろうが、相も変わらず5キロ4000円前後の値がついているわ。育ち盛りの子供さんを抱えているおうちは大変だよね。中高生の男子なんて、どんぶり飯8杯は食べるもんね。そこまでは食べない?失礼しました。

飲食店もじわりと値上がりしているけど、これも限界があって、原材料の値上がりに耐え忍んでいるところも多いと思う。でもこのところ、以前と比べて客入りが少ないかな?と感じることが多くなったわ。皆、お客さんたちも自衛に入ったのかな。つまりなるだけ消費しないでおこう、という壮大?な心構えになってしまったかもよ。生鮮食材とかはなかなか削りにくいけれど、外食は減らそう、という人もいるよね。でもこうなると負のスパイラルに陥ってしまいそうで、わらわはどうしようかいな。別にワタシには何の影響力もござんせんが、いい加減に政府も、この高騰ラッシュを根っこの部分で抑えないと、エライことになるよ。今できることは、ガソリン代の減税と光熱費の補助ざんす。その二つをとりあえず実行すれば、特効薬にはなるわ。それをしてなおかつ、店や商品が値上がりしたままの場合は、必ず客に見捨てられます。消費者はバカじゃござんせんよ。おっとっと。政府もお役人さんも、生産者さんも、卸店さんも小売店さんも大丈夫?

             ・・・・・続く

カテゴリー: N子の辛口奉行日記 |

顧客満足の複雑さ196(大いなる喪失 )

      顧客満足の複雑さ196「大いなる喪失」 

作家の曽野綾子さんが2月28日に亡くなられた。あと数年はお元気で執筆を続けられるだろうと思っていたので、享年93才という長寿にもかかわらず、残念の言葉しか出ない。人に対する、ことさら貧しい人たちに対する目線の優しさは時に痛みを含み、言葉だけではない実践に基づく論調は、身を引き締めさせる厳しさをも内包し、勝手弟子を多く作られた。自分もその一人だ。なので勝手に、先生と呼ばせていただく。今、先生の死を受けて、朝日新聞のネット版に、「右派の論客」と形容していたのが、あまりに朝日新聞らしいと感心していたのだが、二日後には「保守の論客」と言い変えられていた。どういう成り行きで変わったのか、知るよしもないが、右派、と決めつける方が、素の朝日らしかったのにと、ある意味残念ではある。 

先生の著書は少なくとも30冊は読ませていただいた。40年もの長きにわたって、海外で活動する日本の神父やシスターたちを支援するNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」の代表を勤め、その間、日本財団の会長を7年間勤められた。どちらも無給であり、それら活動に関するエッセイが多い。なかでも実際に足を運んでのアフリカへの援助にまつわる数多くの事象を日本に関連づけた主張は、厳しさを含有せざるを得なかったのだろう。それほどに、アフリカの絶対的貧しさをその目で見た人は多分、先生を置いていないだろうと思われた。日本の貧しさは本当の貧しさではないと。その厳しい視点が時として反発を招いたこともあるようだが、良く読めばわかる。叱責の中に含まれる限りの無い慈愛と人生に対する深い哀しみが軸として燦然とあることを。 

先生は口先だけの人道主義者を嫌っておられたように思う。優しい言葉ならだれでもいえる。正義など、人の数ほどにある。そういう意味では、世渡り上手ではなかったのだろう。ただ現実に自費で何度もアフリカに足を運び、昭和大学の医師たちとともに、口唇口蓋烈の人たちに無償で手術を施すという行動など、普通はできるものではない。医療に見捨てられた人たちを目のあたりにして、日本がいかに幸せの中にいるかを伝えられた。その鋭い切り口と、相反する深いやさしさが好きだった。ただただ、著書を読んだだけの一介の読者だったが、これからあの一見矛盾する複雑さの中の、単純明快な朗らかな文章に出会えない寂しさがつのるばかりだ。

2025年4月1日 間島

カテゴリー: 顧客満足の複雑さ |