顧客満足の複雑さ182「災害時における価値ある役割」
石川県大震災発生より約一か月を経て、その被害の大きさにはたじろんでしまう。冬の厳しさがこたえる地域にあって、なかなか迅速な結果は難しいとは思うものの、徐々にでも復興が進んでいくことを祈りたい。
それにしても、日本の避難所は何故あんなにチープなのだろうか。大体が学校か体育館か公的施設が避難所として指定されているが、総じて同じ景色が見られる。毛布や水と緊急食はかろうじて提供されるが、いわゆる雑魚寝状態でトイレ事情の劣悪さも指摘される。震災から3週間後、見るに見かねた建築家によって、ある避難所に間仕切り設定が提供されたという。一体、何回大震災を経験すれば、避難所のあるべき姿の発想転換がなされるのだろう。冬の寒さをほぼ完全にしのげる寝袋(シェラフ)は数千円から手に入る。毛布一枚など極寒状態ではほぼ役に立たない。段ボールによる簡易ベッドと間仕切り設定も、ずっと以前より業者から提案されているはずだ。テント式の個室でもよい。
まるで役に立たない地震予知研究に使う費用は、避難所の環境がより快適になるために使っていただきたい。そもそも日本列島はすべてが地震発生圏内にはいっている。安心できる地域など無い。いつでもどこででも起こりうるのだから、起きた場合の避難者の快適度をあげることで、環境悪化による災害関連死を防ぐ方が、理にかなった予算の使い方だ。最低、自家発電器、10人にひとつ程度の簡易洋式トイレ(水不要のバイオトイレもある)、家族用間仕切り、簡易ベッド、そして寝袋は、水や緊急食に加えて必須アイテムだろう。それでやっと避難所の名に恥ずかしくない程度のものになる。今回は震災直後に官邸主導の対策本部も設置され、行政もがんばっているとは思うが、こと避難所に関しては、発想自体がイタリアなどに完全に負けている。有事に向けては、より手厚い環境の提供が用意されておくべきで、相も変わらぬ避難所の風景には脱力する。何事も我慢が必要、などと精神論をかざす輩もいるかもしれないが、有事だからこそ、心と体が少しでも癒される快適さが必要なのであって、今の日本にはそのくらいの力はあるはずだ。
加えて、すみやかな二次避難システムも急がれる。被害をこうむっていない宿泊施設への避難者の移動だ。そこには少なくとも個室があり、暖かい布団があり、食料がある。その場合の施設への行政からの支援金をケチってはいけない。阪神大震災では、大手ホテルが自発的に直後にロビーを解放し、食料を放出したと聞く。ここでは行政の遅れが顕著だった。今回の大地震は道路の分断などの事情はあるが、希望する避難者を迅速に移動してもらう手立てもあろう。日本人には「我慢が美徳」の人が多いからといって、そのけなげさに甘えてはいけない。
2024年2月1日 間島