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顧客満足の複雑さ182(災害時における価値ある役割)

    顧客満足の複雑さ182「災害時における価値ある役割」 

石川県大震災発生より約一か月を経て、その被害の大きさにはたじろんでしまう。冬の厳しさがこたえる地域にあって、なかなか迅速な結果は難しいとは思うものの、徐々にでも復興が進んでいくことを祈りたい。 

それにしても、日本の避難所は何故あんなにチープなのだろうか。大体が学校か体育館か公的施設が避難所として指定されているが、総じて同じ景色が見られる。毛布や水と緊急食はかろうじて提供されるが、いわゆる雑魚寝状態でトイレ事情の劣悪さも指摘される。震災から3週間後、見るに見かねた建築家によって、ある避難所に間仕切り設定が提供されたという。一体、何回大震災を経験すれば、避難所のあるべき姿の発想転換がなされるのだろう。冬の寒さをほぼ完全にしのげる寝袋(シェラフ)は数千円から手に入る。毛布一枚など極寒状態ではほぼ役に立たない。段ボールによる簡易ベッドと間仕切り設定も、ずっと以前より業者から提案されているはずだ。テント式の個室でもよい。 

まるで役に立たない地震予知研究に使う費用は、避難所の環境がより快適になるために使っていただきたい。そもそも日本列島はすべてが地震発生圏内にはいっている。安心できる地域など無い。いつでもどこででも起こりうるのだから、起きた場合の避難者の快適度をあげることで、環境悪化による災害関連死を防ぐ方が、理にかなった予算の使い方だ。最低、自家発電器、10人にひとつ程度の簡易洋式トイレ(水不要のバイオトイレもある)、家族用間仕切り、簡易ベッド、そして寝袋は、水や緊急食に加えて必須アイテムだろう。それでやっと避難所の名に恥ずかしくない程度のものになる。今回は震災直後に官邸主導の対策本部も設置され、行政もがんばっているとは思うが、こと避難所に関しては、発想自体がイタリアなどに完全に負けている。有事に向けては、より手厚い環境の提供が用意されておくべきで、相も変わらぬ避難所の風景には脱力する。何事も我慢が必要、などと精神論をかざす輩もいるかもしれないが、有事だからこそ、心と体が少しでも癒される快適さが必要なのであって、今の日本にはそのくらいの力はあるはずだ。 

加えて、すみやかな二次避難システムも急がれる。被害をこうむっていない宿泊施設への避難者の移動だ。そこには少なくとも個室があり、暖かい布団があり、食料がある。その場合の施設への行政からの支援金をケチってはいけない。阪神大震災では、大手ホテルが自発的に直後にロビーを解放し、食料を放出したと聞く。ここでは行政の遅れが顕著だった。今回の大地震は道路の分断などの事情はあるが、希望する避難者を迅速に移動してもらう手立てもあろう。日本人には「我慢が美徳」の人が多いからといって、そのけなげさに甘えてはいけない。

               2024年2月1日 間島

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顧客満足の複雑さ181(地球の厳しさと人間の覚悟)

    顧客満足の複雑さ181「地球の厳しさと、人間の覚悟」

あけましておめでとうございます。穏やかな一年でありますように。その言葉しか思いつきません。ここ数年、それほど世界は厳しいものだと思い知らされたからです。 

日本の年末年始のテレビ番組を見ていると、世界も平和なのかと錯覚しそうになる。この間、ワールドニュースもお休みなので、映像から世界のリアルタイム情報が届かない。ウクライナもイスラエルもガザも、はたまた中国もロシアも日本のように平和に安寧としているのかと思ってしまいそうだ。ま、正月ぐらいは、何も考えずご馳走を食べて和気あいあいと楽しんでもバチは当たらないだろう、と、のんびりとかまえていた元旦の夕刻、石川県を震源地とする大地震速報が飛び込んできた。揺れは大範囲に及び、被害状況の大きさが案じられる。他国なら騒音としてのみとらえられる蝉の声を、その命のはかなさゆえに風情として愛おしむ日本人の自然に寄せる豊かな感性をもってしても、地震をはねのける力はない。地球はかくも厳しい。今年も日本にとって、内外ともに試練は避けられないのだとすれば、平素の構えと国としての体力保持がより求められるにちがいないが、それがなかなかに難しい。

 さて1999年の施行以来「食料・農業・農村基本法」の初の改正案が今年の通常国会に提出されることが決まったとの記事が新聞に掲載されていた。人口減少や地球温暖化、ロシアのウクライナ侵攻など、施行当時は想定されていなかった食料の安定供給確保に対応するためらしい。しかし、そもそも25年前の施行時には、すでに日本の食料自給率は40%前後の低水準であったのに、安定供給確保の危機感が無かったのだとしたら、なんともお気楽な法律であったのかと思ってしまう。そして2021年の自給率は38%。基本法が何の効果ももたらさなかった、ということだ。今回の改正案としては、農地の有効利用、安定的な食料の輸出入対策が主な内容だという。改正に伴って具体的な関連法案も提出されるらしいが、輸入相手国への投資促進など、相変わらずの資金投入しか目新しい政策は期待できそうになく、こんなことでは今後25年たっても自給率は上昇しないだろう。食糧の輸出入国との信頼関係など、有事下においては軽く吹っ飛ぶのを、第一次、第二次大戦で身をもって学んだのではなかったか。こと食料自給率においては、フランスの例を参考にもすべきだろう。かの国はまさに自給率が100%を上回る大農業国で核保有国で原発推進国で名だたる文化国で、変わり身の早い自国第一思想に基づいている。日本人の真面目な性善説を多分かれらは理解できないだろう。とここで、フランス南西部で大雨による複数の川の氾濫情報が入ってきた。地区住民は「何回、氾濫するんだ。これまで何の対策も取ってこなかった」と不満やるかたない表情で政府を非難していた。やはり“隣の芝生は青い”らしい。 

地震の発生は防ぎ得ないが、自国民の食を自国でまかなうことは可能で、それには大英断政策が必要だがかなりの痛みも伴う。そんな案は出てきそうにない。                2024年1月1日 間島

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顧客満足の複雑さ180(広報が繁盛店を作る?)

     顧客満足の複雑さ180「広報が繁盛店を作る?」 

5月からコロナが5類感染症へ移行したのを受けて、世の動向は大きく変化した。街に出ればマスク着用の人々は変わらずに多いものの、様々なしばりから解放され、人の集まるイベントやコンサート、スポーツ観戦など、コロナ前よりもにぎわっているように感じる。急激に増えた外国人観光客も、ほとんどがノーマスクだ。5類移行後も感染した人はいるものの総じて軽い症状で収まっているようだ。といってもまだまだ油断はならないが。身近な例では飲食店の繁盛ぶりが目立つ。事実、外食産業の10月の総売り上げは前年同月比8.8%アップとなった。かなり日数に余裕をもたせた予約でも、空席が無いことが増え、まさに食事会難民状態が発生している。コロナ禍で飲食店も3年間ほど我慢してきたはずなので、それはそれで結構なことだが、これから歳末を控えて益々、予約が取辛くなりそうだ。 

さて、一般に繁盛店とはどういう店を指すのかを考えたとき、真っ先に浮かぶのは客数の多さだと思う。一日1組予算一人10万円、などという、とんでもない店を除いては、多くのお客様にきていただいてこその人気店、となるだろう。ある雑誌で、お店を繁盛店にする広報支援をサポートしている会社のPR記事があった。「立地条件が申し分なく、店内は清潔で味には自信があるのにもかかわらず、店は閑古鳥が鳴いている理由がわからない」飲食店に、知名度認知度の低さをその理由として、広報支援の重要性を指導し実施するというものだ。テレビなどのメディアに取り上げてもらう方法を支援するのが主な対応だという。しかし「立地が申し分なく、清潔で味が良い店」で、繁盛していない店を見たことが無い。客側の、舌をはじめとする評価基準は極めて賢明で、店を見る目は的を射ている。閑古鳥が鳴いているのは、接客の不備か、居心地の悪さか、味や価格付けのアンバランスか、いずれかしか無い。店の繁盛への鉄則は、リピート客をいかに増やせるか、なので、それら基本の見直しが第一義だ。 

メディア関係者を招いての試食会は、記事にしてもらうことによる一定の効果は期待できるし、テレビでの紹介は抜群の集客を生む。よって広報支援は売り上げ増加へのひとつの方法ではあるが、それによって来店してくれた客のリピート化が無いと、店は元の木阿弥となってすぐに閑古鳥が鳴く。やはり繁盛店になるには、飲食店の基本の見直しへのサポートが欲しい。それは店主の根本的な発想転換をうながすもので、かなりの抵抗が予想されるが、それなしにその店の真の繁盛化は望めないと思う。 

   2023年12月1日 間島

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顧客満足の複雑さ179(急速に進むサービスの機械化)

   顧客満足の複雑さ179「急速に進むサービスの機械化」 

日本は「おもてなし」の国らしいが、自国にいる身としては「おもてなし」を特別に感じることもない。飲食店に入れば確かに、いらっしゃいませ、の挨拶で迎えられ、タダの水やお茶が供され、タダのおしぼりがつくことも多い。来日した外国人にとって、これらは当たり前のことではなく、驚くほどのサービスだと感じるのだと。自国の飲食店では、そのようなサービスなど期待できないうえに、チップまで要求されるからだと。結果、日本の接客は素晴しい、の評価につながるようだ。ただその“おもてなし力”が低下しているのでは、と感じることが多くなった。注文受けの機械化も進んでおり、客との接触が少なくなっている。人手不足とコロナが2重理由であるのは理解できるが、それにしても“そこまでやる?”と思うほどの変化にとまどいを隠せない。

 昨年あたりから増えだした、卓上タッチパネルでのオーダー方法は、最初は吃驚したが、スタッフを待たせずに、ゆっくりと画面を見て選べるし、何よリオーダー受けに間違いがない。機械が覚えているから安心?だし、慣れれば便利な側面もあるので今や立派に市民権を得たオーダー方法となりつつある。ところが、最近またまた、2店舗続けて驚く経験をした。まず店側から提示されたQRコードを客側が自分のスマートフォンで読み取り、オーダーはそのアプリを開けてスマートフォンからしてください、というシステムだ。聞けば、対面でメニューを選んでもらう手間を省けるとともに、そもそもメニューブックというものすら無いらしい。両店とも、ファストフードでもなく、ファミリーレストランでもなく、駅前・駅中のスタンド食堂でもなく、街場の一杯飲み屋でもない。立派な店構えのまずまずのレベルの飲食店だ。客にそこまでさせるのは、もはや飲食店としての機能を果たしていないと思う。ゆっくりとメニューブックを見て、不明な点を尋ね、おすすめ料理を聞いて、というスタッフを交えてのメニュー選びから、外食の楽しみは始まる。料理を間違いなく出すだけが飲食店の役割ではない。さてはて、このシステムも、先のタッチパネルでの注文受けと同様に当たり前の方法となるのだろうか。何か、大きな落とし穴が待っているような気がする。加えれば、フロアスタッフのレベル低下が目立つようになった。この仕事は個人レベル差が大きく異なるのは承知しているが、詳しいメニュー情報の提供や客の要望をさりげなくキャッチできるスタッフとの対話を楽しめるのは、もはや超高級店でしか期待できないのかもしれない。

かつて、橋のたもとにひっそりとたたずむこじんまりとしたイタリアレストランに、その人で店はもっていると言わしめた名物フロアスタッフがいた。料理長よりも責任が重く、その知識たるや脱帽ものだった。今や押しも押されぬ人気イタリアレストランとして名をとどろかせており、数店舗を展開する発展ぶりだが、その人がまだいるかどうかは知らない。

    2023年11月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 178(飲食店の矜持)

      顧客満足の複雑さ178「飲食店の矜持」 

外国人観光客からの「日本は静かだ」の感想をSNSなどで見ることが多い。電車内や公共の場での静けさに驚いたとの投稿には、その状態を高評価している向きが伺える。そこには車のクラクション音もめったに鳴らないことへの賛辞も加わる。勿論、褒められて悪い気はしないが、本当に日本は静かなのか?と首をかしげることを最近二度も経験した。どちらも飲食店内でのことだ。いわゆる大衆店ではなく、客単価8千円~1万円前後の本来なら落ち着いたレベルの店で、絶叫ともいうべき大声が店内に響くという、なんともストレスフルな経験をした。二店の騒音絶叫の元には四つの共通点があった。まず6名~8名の男女混合グループであること、見るからにビジネス客グループであること、年齢層は若年~中年層であること、そしてグループの中に関西以外からの客がいた、ということだ。これは大声を聞けばわかる。いわゆる出張客なのだろうか。ビジネスでも旅の恥はかき捨て、が、まかり通るらしい。

 コロナの第5類移行に伴ってどっとグループ客が増えたことが、先の騒音絶叫につながった、のだとすれば、何と未熟な習性だろうか。「日本は静かだ」は、せいぜいが1名から4名の客にあてはまる評価なのだと気づいた。数がそろえば、そして地域的解放感がつのれば公共の場であっても一部の日本人は大騒ぎをする。それも他客の迷惑もかえりみずに。愚痴になってしまった。大声で騒いでもかまわない。それが国民性なのだとすれば、明るく率直でおしゃべりが好きな陽気な国民、となる。しかし正式な晩餐会で、見ず知らずの左右の客とは、簡単な挨拶と少々のウィットある会話さえできない内気?な日本のビジネスパーソンにてこずった経験からすれば、先のグループ客はただただ、数を頼りの仲間うち大騒ぎであって、これが日本人の特性では無いと思いたいが、内弁慶そのものだ。

先の飲食店での嬌声は、店側の対応を期待するのも気の毒かもしれない。ただ、大衆酒場ならご愛敬で済むが、それなりの店の場合での大声はやはりたしなめる度量があっていい。というのも、かなり前、何のことは無い、自分が店から注意された経験があるからだ。軽いライブを聞かせるこじんまりとした洒落たレストランで、来阪者を含めて4名で盛り上がっていたところ、「恐れいりますが、お静かにおねがいします」の注意を受けたのだ。恥じ入るばかりであった。久々にその時の記憶がよみがえってきた。店側の凛とした対応が印象的で、その後も何度か、訪問させてもらった。先の二店舗はいずれも、店長らしき人物が騒音元のグループ客を気にしているのは様子で分かったが、彼らに対して何らかの「お願い」や「ご注意」は無かった。まだ間に合う。他客がいる公共の場としてのマナーを店側が教えてもいいのだ。それで怒り出す客は、不要な客と割り切り、店の格を守ってほしい。それが店の矜持というものだ。

2023年10月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 177(自然災害は地球から無くならない)

   顧客満足の複雑さ177「自然災害は地球から無くならない」 

今年の夏は、洪水や山火事の被害が世界各地から報告されている。今年の夏も、と言い変えるべきかもしれない。それほどに毎年、世界のどこかしこで災害被害が起こっているのだ。それらすべてを人間による環境破壊のなせる災いと決め付ける人は、さすがに多くは無いと思うが、地球温暖化をはじめとして、自然災害を人間のせいにしたがる層は、ますます増えそうで、いささか食傷気味でもある。自然は厳しいもので、人間は何ひとつコントロールなどできないものなのだ、という当たり前の認識に立てば、いかに被害を少なくするかの知恵がもっとも必要なのだ、という結論にたどりつく。同じ災害でも、国によって被害状況が異なるのは、備え・民度・国力・防護力等の差にほかならない。まずはせめて、それらの平均値をあげる努力が世界レベルで望まれよう。

 今夏に限っても、中国の洪水、カナダの山火事、ハワイの山火事、フランスの熱波、などなど、毎日のように自然の猛威にさらされる事象が発生している。多くは先進国、と呼ばれる国々からの情報であって、後進国、たとえばアフリカや中南米の自然被害はあまり表には出てこない。情報網が完備していないだけで、多分、多くの災害が人民を苦しめているものと思われる。一方、内乱などの人的被害の多さは、ヨーロッパに押し寄せる難民の増加が如実に現実のすさまじさを表している。他国の内乱は簡単には関与できるものではなく、その国の成熟度如何によるだろうから、これもまたなかなかに解決できるものでもない。そうなのだ、人間ができることは高が知れている。とすれば、今、盛んに、そして声高に叫ばれる“CO2を削減しろコール”は、一向に胸に響いてこないのだが。 

真に必要なのはより謙虚に、自然災害被害を少しでも減少する対策を世界レベルでたてることだ。地球は何も困らない。困るのはいつでもどこでも起こる自然災害に見舞われる人間なのだ。そして、ずっと昔から自然災害で多くの人が被害を受けてきた。その時の知恵を生かさなくてはならない。フランスなども夏の熱波は十数年前にも発生し、高齢者を始めとして多くの死者を出した。そして今夏も危機的な状態らしい。もともと涼しい風土なので、自宅にエアコンがある人は少ないのが被害を多くしているが、十数年前から学んでいないように思える。各家でのエアコン設置が難しいのであれば、エリアごとのエアコン設置施設を義務づけて、臨時避難場所にするしかない。同じ状態で、同じ被害を出す、のは残念なことだ。言うは易し、行うは難し、なのだろうか。災害大国?日本でも、その都度の被害は出るが、懸命の対応策はとっていると思う。自然災害を人為災害にしないための国力増強は、もろてをあげて歓迎したい。そして、治水や耐震性補強、物資補給、避難場所の確保等々、まだまだ世界は未熟なのだという認識を共有することが望まれる。台風ひとつとっても、その向きを変えたり、消滅させたりできないのだ。地球に優しく、地球を守ろう、のスローガンを言い募るより、なすべきことは多くある。        2023年9月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 176(メディアという甘く優しい互助会)

顧客満足の複雑さ176「メディアという甘く優しい互助会」 

外国に日常生活の拠点を置く芸能人が少なからずいる。住まいは主に欧米の先進国だが、時々、日本に帰って仕事をするか、現地にいるときは映像でのレポート発信の仕事をするかで収入を得て悠々自適の生活ぶりが伺える。わずらわしい人間関係に悩まされることなく自由を謳歌しているようにみえる。しかしながら、わずかな例外を除けば、数年を経て日本に戻り、すでに第一線とはいかないまでも、メディアでの露出や仕事の復帰でその後の生活を成り立たせているケースは実に多い。住んでいた国でその才能が注目され、仕事が舞い込み、大物になった、という話は聞いたことが無い。一方、外国人が日本に来て、そのキャラクターや能力が認められ、芸能界やマスメディアの一隅で十分な地位を築き、日本に定住したケースは結構みかける。彼らは時々は母国に戻り、親族との交流を暖め、一時の自由を味わうものの、結局は仕事場としての日本に戻ってくる。先の日本人のケースとは逆だ。

何か大きなネットワーク、例えば巨大な互助会が存在するのではないか、と思うほどに、日本の芸能を含むメディア業界は仲間うちでは甘く、優しい。世界に通用する芸能人や評論家は俳優、歌手を含めてほとんどいないにもかかわらず、だ。世界のクロサワ、世界のミフネがいた時代は確かにあった。今はいない。日本のビートルズ、日本のマイケルジャクソンが、出てきたためしはない。

一方、世界が認める真の実力者、たとえばトップアスリートの存在は日本人として本当に誇らしい。ただかれらはメディアに媚びる必要がないがゆえに、自らの露出は少ないのが残念だ。実力では負けないアニメーション界も同様で彼らもテレビなどのメディアを必要とはしない。デザインやファッションなどの、いわゆるアーティストと呼ばれる人たちも世界で活躍している。彼らも日本のテレビを必要とはしない。物理生理化学界はノーベル賞受賞者を輩出しているが、テレビとは無関係なところで研究を続けている。

どれだけ政府の悪口を言っても、時の為政者を罵っても、罪に問われる心配のない日本から出ていく人は少ない。学術・医療関係や企業間での移住は安定して存在するだろうが、国自体を見捨ててでも逃げ出したいという人は極小だ。先のメディアではないが、日本全体がやはり甘くて優しいのだ。この国をリードしていくのは、大変であるのは間違いがなさそうだ。

                     2023年8月1日 間島

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顧客満足の複雑さ 175(宿泊施設の役割の広がり)

       顧客満足の複雑さ175「宿泊施設の役割の広がり」 

以前にも書いたと思うが、実際に住まいとして機能している住宅インテリアの本を観るのが好きだ。何よりの良き気分転換になる。それも間取り紹介があるのが望ましい。それぞれの施工会社が自社の建築例を、オーナーへの何らかの見返り条件を加味することで掲載しているのだと思うが、今のトレンドが見えてきて興味深い。リビングもキッチンも一様にモノトーン色でまとめられ、水回りもすっきりとしている。本の傾向にもよるが、敷地面積200平米以上、建坪120平米以上の住宅を掲載しているものが多い。日本では十分な広さの住宅といえるだろう。ただそれらの間取りを見て違和感を感じるのは、いわゆるゲストルームが無い住宅が主流を占めているということだ。長野県の800平米の土地に大きな住まいを構えるA宅にも、東京郊外の建坪180平米もあるB宅にも、広いリビングルームや夫婦のベッドルーム、子供部屋はあるものの、和室を含むゲストルームが無かった。親族や友人が泊まることを想定していないのだろうか。そこに徹底した個人主義を感じた。そんな中、和室やゲストルームが用意されている希少な間取りを見ると、ほっとしてなんだか、うれしくなる。そこには,精神的なゆとりと愛が感じられるから、というのはセンチメンタリズムすぎるだろうか。 

アメリカなどの豪邸は何室のゲスト用ベッドルームがあるかが、豪邸たる証明となる。それらが埋まったときのにぎわいを想像すると楽しい。世界のどの国でも多分、住宅の大小にかかわらず、ゲストが気楽に泊まっていく部屋は用意されている。狭ければ雑魚寝でもOKで、主人側も客人もどちらも気にしない、という風景が浮かんでくる。昔の日本家屋にも、客人が遠慮なく泊まれる二間続きの和室がある家が多かったものだが、今のトレンドはいかに個々人が快適に住めるか、に重点が置かれ、そこに他者を受け入れるスペースは無い。それが当然なのだといわれれば、そうなのだろう。たとえ親しい知人でも、人を泊めるとなると神経を使う、という人は多い。親族や知人友人と寝食を共にして楽しみたいときには、旅館やホテルを利用するのが、お互いのストレスが少なくてすむ、という声を聞いたことがある。なるほど である。今後も宿泊施設の役割のひとつとなり得るだろう。場の提供とともに、食の提供という観点から見れば、役割はさらに増えてくる。知人の長男は2型糖尿病で、日常の食事療法に気を使った生活をされている。家族も持っておられ、奥方の努力は大変なものらしい。外食や旅行時の食事も、ただ楽しむというわけにもいかない。こういうケースも、施設側に糖尿病用の食事が用意されているとうれしいだろうに、と思う。他の人と同じく、美しい見映えの数々の料理を安心して楽しめる幸福によって、当人のストレスは多分、大きく軽減される。勿論、そこには専門家のアドバイスは必要だが、これも宿泊施設の役割のひとつになってほしい。 

     2023年7月1日  間島

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顧客満足の複雑さ 174(食と経済の関連)

         顧客満足の複雑さ174「食と経済の関連」  

最近、新聞や雑誌などで食の安全や食が健康に及ぼす影響に関する記事はよく目にするが、予想内に収まる内容のものが多い。良く言えば再認識、悪く言えば二番煎じというところか。ただ、異なる観点から積み上げた異なった内容を組み合わせると、新たな世界観が見えてくるのが面白い。例えば食品添加物を取り上げた記事では、それらが体に及ぼす影響に警鐘をならしている。ただそれら食品添加物は厚労省認可のもとに使用されており、直接体に害を及ぼしたという事実事例は聞かない。警鐘は憶測の域を出ないが、自身を振り返れば、なるだけ添加物の少ない食品を選んではいる。保存性や見た目、また味覚向上性での添加物の持つ役割は認めてはいるものの、素材そのものを味わいたいという欲がある。また添加物の体に及ぼす影響はどこかで現れるのではないか、という危惧感も少なからずある。悩ましいのは、添加物が少なければ少ないほど、価格が高い、ということだ。 

ここに3種の食品がある。A社の人気食パンの原材料をみると、小麦粉・糖類・マーガリン・バター・パン酵母・食塩・発酵種・脱脂粉乳・植物油脂・乳化剤・イーストフード・VCが記載されている。一方、B社食パンの原材料は、小麦粉・砂糖・バター入りマーガリン・パン酵母・食塩・米粉・醸造酢となっている。大手スーパーでは上記A社食パンは4枚切148円、B社は188円で販売されている。常時の価格だ。大きな違いは乳化剤とイーストフードが入っているか否かだろう。そして入っていないほうが高い。だしの素では、A社の原材料は、食塩・ブドウ糖・風味原料・たん白加水分解物・アミノ酸等となっている。B社は風味原料・でん粉分解物・酵母エキス粉末・麦芽糖が記載されている。風味原料というのは、かつお節粉末や昆布粉末などを差し、両社とも内容はほぼ似ている。大きな違いは食塩とアミノ酸が加味されているかどうかで、加味されているほうが4割がた安い価格で売られている。かまぼこA社の原材料は魚肉・みりん・砂糖・食塩・卵白・でんぷん・アミノ酸等調味料・保存料・着色料(赤色106号・カロチノイド)。一方B社のそれは魚肉・砂糖・みりん・卵白・食塩・昆布だし・酒かすで、価格はA社のかまぼこは、B社の半値以下だ。どの食品でも、食品添加物が多ければ多いほど価格は安い。どちらを選ぶかは消費者の自由ではあるが、価格の安さは大きな魅力であるのは確かだろう。販売数がそれを裏付けるかもしれない。 

全国市区町村の男女平均寿命に関する記事をみつけた。男女共、全国一は川崎市麻生区で、男性84.0才、女性89.2才だという。この地はいわゆる住宅地で、公園などの緑地も多く、散歩やジョギングを楽しむには絶好のエリアらしい。生活水準も高い。ちなみにワーストワンは大阪市西成区で、平均寿命は男性73,2才、女性84,9才だ。男性は10才以上の差がある。以前のドヤ街と呼ばれた時代と比べ整備されたと聞いていたが、この結果は胸をえぐる。喫煙率は高く、検診率は低い。そして食生活の差も寿命差の結果の一由をになっているのだろう。食は経済によって大きな違いが出る。贅沢な食品が違いを左右するのではなく、意識の問題にかかわる、ということだ。ただ、この価格高騰のときには“食費をまずは削る“の声を最近よく目にし、耳にする。心が重くなるが反論はできない。  

     2023年6月1日  間島

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顧客満足の複雑さ 173(魅力の付加価値)

         顧客満足の複雑さ173「魅力の付加価値」 

まさに春爛漫。梅に始まって、桜やつつじと、木々の花や草花が目を楽しませる季節の到来だ。チューリップやバラも主役級の花の貫録を見せつける。春が過ぎてもあじさいは梅雨の時期を彩る人気の花で名勝地が多い。真夏は各花の勢いが消えると思いきや、マリンゴールドやひまわりなどが元気に咲き誇る。どの国も、多種多様の花に恵まれているとは思うが、日本ほど花の種類に恵まれた国は無いのでは、などと誇りたくなる。特に昔から日本人は花を愛でてきた。俳句や和歌の素材にはことかかない豊富さだ。人を集める大きな力をそれぞれの花が持っており、あじさい寺、ほたん寺、コスモス寺などの別称を持ち、シーズンには多くの観光客が押し寄せる神社仏閣もある。群生した花はそれほどの人を惹きつける力を持っている。各地方の一種に特化した花公園は、多くの人でにぎわっている。 

以前、寒い季節に泊まった箱根の老舗旅館は、斜面をうまく生かしたつつじの群生した庭を持っていた。5月にはさぞかし美しい風景を見られるのだろう。後に知ったのだが、“つつじの旅館”の別称があった。旅館には広い庭を有するところが結構多い。それぞれの木々は行き届いた剪定がなされているが、強い印象を残す庭はそれほど多くは無い。ほとんどが無難な風景に落ち着いている。訪問客や宿探しの客に特化した印象を植え付ける庭園造りは、強い集客力に結びつくだろうにと、もったいない気もする。かつて、兵庫県川西市での新ホテル企画にたずさわったことがある。広い庭を持てる土地的余裕はなかったが、ホテル周りをバラで囲む、という提案をさせていただいた。バラは手はかかるものの年に二回の開花期があり、バラホテルとして強い印象を与えることができる。幸いオーナーはバラ好きで、提案に好感してもらったがバブルがはじける時期とかさなり、ホテル建築には結びつかなかった。今でもあでやかなバラに囲まれたホテルが目に浮かんでくる。

 人を惹きつける要因は様々だが、“並み”では印象に残らないものだ。ユーチューブで、超高級宿泊施設に泊まる映像が多く見られる。ただ部屋や露天風呂の広さは限界があり、料理も想定内のことが多い。その中で目を惹くのは、備品の豪華さであり、特化したサービスなのだ。フリードリンクも大きな魅力で、まさに至れり尽くせり感がある。ただ、最後に価格が提示されると、なるほど感はあるが、なぜか是非訪問したいと思ったことは少ない。根が貧乏性なのだろう。それだけの価格なら別の使い方をするだろう、などとケチなことを計算してしまう。しかし、もしそこに楽園のような庭園が広がっていたなら、そこに身を置きたいと渇望するやもしれない。大阪のホテルラウンジから見る巨大な滝は、目に焼き付いて離れない。城崎の旅館のブッフェ朝食時に、全面窓に広がった見上げるような坂の芝生庭園はいまだに記憶に残る。一方、世界各国から取り寄せた高級素材で内外装を施し、何かと話題を集めたホテルのコーヒーショップラウンジから見た中庭には、ペンペン草が生い茂っていた。すでにその時期には経営に行き詰まっており、荒れた庭が凋落ぶりを如実に表していた。花や自然を技術力で群生式に整え、魅力の付加価値を増すのもあっていい。日本式庭園にこだわらない自由な発想も望まれる。

                    2023年5月1日 間島

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