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【第160回】 食環境の現状(139)(野菜・果物は本当に身近?) 

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食文化の豆知識160 食文化の現状139(野菜・果物は本当に身近?)  

昨年の晩秋から年末年始にかけて穏やかな天候に恵まれたおかげで、ようやく冬野菜が求めやすい価格に落ち着いています。ただ夏場から秋口にかけてあまりに高い価格を見慣れてしまったので、ことさら安く感じるのかもしれません。その中でも、夏野菜は相変わらず驚愕価格です。一本100円の値が付いた、しなしなのきゅうりを見ると、“もう売らなければいいいのに。夏に元気になってまた顔を見せてね“と言いたくもなります。旬の野菜を食べるに限ると言うことでしょうか。

日本に二か月間滞在していた欧米人男性の日常の食生活が新聞で紹介されていましたが、滞在中、野菜と果物は殆ど食べなかったそうです。理由はずばり“高すぎるから”。この言葉は、日本の若年層にもあてはまります。もっとも野菜・果物を食べない層で、厚労省の提唱する、1日350gの野菜・果物摂取量にはるかに届かない層です。マクドナルドでの最安値のハンバーガー・マックダブルなら190円で食べられます。一方、りんご一個が158円、トマト一個が140円。お腹が空いている若い人がどちらを選ぶか、言わずもがなです。この現状を厚労省は農林水産省と協力して、分析~解決すべきでしょう。言うだけならだれでも出来ます。それを可能な状態にもって行ってこその、行政力です。 

事実、先進国の中では、日本人の野菜摂取量はかなり低い水準です。ヘルシーと自慢する和食に野菜が多使用されているかは、答えは簡単には見つかりません。野菜料理は数々あれど、単品で食する習慣が根付いているので、どうしても肉・魚がメイン料理になってしまいます。豪華さを誇る旅館の料理も当然に、肉・魚料理がメインです。また、日本人が大好きな麺料理も使用食材はかなり偏っています。特に外食でのそれには、申し訳程度の野菜しか入っていません。アジアでの麺料理の方が、多くの野菜が入っています。また、煮込み料理の多い諸外国でも、大量の野菜を使用しています。イタリアでは、尋常ならざるトマトの消費量を誇ります。ほかの国でも、安価な野菜をぶちこんだ煮込み料理がとても多い。見映えにはほぼ無関心ながら、確かに栄養はたっぷりのような気がします。なので、家でも野菜摂取が足りないと感じたらクリームシチュウなどを作ります。大量の身近な野菜を使用できるからです。本当に、思い込みと事実の剥離現象は、あちらこちらにころがっています。

 2019年1月13日  食生活アドバイザー 間島万梨子

 

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【その151】某月某日 ”今年も辛口で・・ ”の巻き

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某月某日  “今年も辛口で・・”の巻き

もう一月も中旬。大騒ぎの正月もはるか昔のことのようで。はい、少し飲みすぎて、喉に祟りが~~。そう、喉荒れですね。やっと治りかけだけど、お酒はほどほどに!という教訓を胸に深く刻んで、この一年、ゆらゆらと過ごして参ります。

元旦からの三が日でも昔と違って最近は、大きなスーパーや繁華街の店は営業してるのよね。まさに年中無休。子供の頃はどの店も閉まっているので、三が日はおせち漬けの日々だったけど、いまは二日目からトースト食べてるわ。オイチかった。人間、贅沢になったというか、堪え性が無くなったというか。心斎橋あたりは正月はスゴイ人出だったと、知人が言ってました。人気の飲食店は長蛇の列だったらしい。皆、元気なのねえ。というか、正月の雰囲気も、時代と共に変わってきて当然なのかも。今は玄関にしめ縄を飾っている家は、半分も無いし、まして愛車の鼻ずらに、しめ縄を結んでいるのなんて、見たことも無いわ。一昔前に多くの車が誇らしげにしめ飾りをつけて走ってたのが、妙に懐かしいわ。なんてエラそうに言ってるけど、ワタシも正月休みを利用して、近い海外や国内の温泉で過ごしたこともあって、そんなときは、家ではしめ飾りや鏡餅なんて正月らしいことは何もしなかったデス。ま、人それぞれってことね。住みやすい国だと思うわ。

で、今年はどんないい店に出会えるか、とても楽しみ。ホント、飲食店の数は多いけれど、気に入る店ってそんなにないのよね。やはり値段と料理とサービス、それに雰囲気の四拍子揃った店って少ない。お金に糸目を付けなければ、素晴らしい店があるんだろうけど、気楽に訪れて、バランスよく楽しめるのが大事。ということで、今年も辛口で、リサーチしてまいります!

             2019年1月12日・・続く

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顧客満足の複雑さ 120 「出入国管理法の怪」

      顧客満足の複雑さ120「出入国管理法改正案の怪」  

国会は立法の府だけあって、会期中は様々な法案が提出され審議される。無事に成立する法案もあれば、差し戻しあるいは廃案になるものもある。大して話題を集めない地味な?法案が結構あり、したがって興味を惹かないままに、成立しているケースも多い。無責任なようだが、おおむねその法案が必要だから提出され、成立後は行政側で適切に施行されるのだろうとの信頼感もある。然しながら、今国会に提出された出入国管理法改正案は腑に落ちない。当方の理解不足・知識不足なのだと思うが、どうも怪しさをぬぐいきれない。そこに経済界の欲が臭うからだ。 

色々な業種業態で人手不足であるのは現実問題として認識している。政府が試案した現時点での人手不足数が最も多いのが外食業の25万人で、農業の7万人、介護業の6万人と続く。一方、人手不足感のある建設業は2万人で、経済の軸を握る自動車整備業は1600人と少ない。つまり、合理化・機械化を進めてきた業種はそれほど人手不足は深刻ではなく、生産性の低い滅私奉公的要素の高い業種が、深刻な人手不足状態にあるというわけだ。慢性人手不足といってもよい。それを外国人労働者で補おうとするのは、あまりに短絡的かつ都合の良い解決策であり、企業そのものの努力や倫理観を求める姿勢の欠落感が否めない。確かにこれらの業種は人の手がかかる。そして特に外食業は20年以上も前から人手不足に悩んでいる。ずばり離職率が圧倒的に高いからだ。と同時に、個人経営で開業10年後に営業を続けている店は半分に満たない業種でもある。将来的に安定感のない仕事に、優秀な人材を求めるのが無理筋というもので、個人経営の場合は、徹底して家族経営で乗り切るしかない。それはそれで筋が通っているし、手堅い経営といえる。問題なのは手厚い福利厚生や人材育成のポシリーも無いままに店舗拡大を急ぎ、人材難に陥り、喉から手が出るほど外国人労働者が欲しいチェーン展開のケースだ。外食業でも創業者の志が高く、人材育成や教育に熱心な企業は離職率も低く、外国人労働者に頼らずとも人材が集まってくる。また、技術力の高い中小企業も人材難に悩んでいるが、その解決策は外国人労働ではなく日本人自らの中にあるのだろうと思う。コンビニエンスも慢性人手不足に悩む。あちらこちらでみかけるコンビニの乱立ぶりに加え、24時間営業ビジネスが、人手不足にならないわけがない。外国人客対応のために外国人を雇っているというのは表向きで、募集しても来ない日本人の代わりに雇っているに過ぎない。外国では、日本語の通じない店の方が多い。それでもたいして支障は無い。ただ物を買うだけの動作言葉は万国共通で通じるものだ。

一方、介護施設の人手不足は、現時点においては施設の急増によるもので、利用者の増加が主要因ではない。どこの市町村でも、建築中の建物の多くが介護関連の施設だ。つまり金儲けのにおいがする業種ということだ。これも人手が足りないのに決まっている。高齢者の増加で、介護現場における将来の絶対的な人手不足は予想されるものの、入管法を急ぐ前に、打つべき手は他にいっぱいあるだろうと思う。で、某新聞の調査による主要100社へのアンケート結果が出ていた。外国人労働者受け入れ拡大には賛成であるものの、議論が拙速との意見が3割を占めた。管理監督の難しさを指摘する声も多い。しかしなお、この法案は成立する。                          2018年12月3日  間島   

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【第159回】 食環境の現状(138)(日本の伝統) 

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食文化の豆知識159 食文化の現状138(日本の伝統) 

今年もあとわずかですが、24日までは街はクリスマス商戦一色に染まり、25日からは一斉に正月向け商戦に切り替わります。お見事!と掛け声の一つでも掛けたくなるほどの横並び商法です。他と違う商戦でも張ればいいのにと思うほどの同じ風景に、いささか涙ぐましさを感じるほどです。ひと月ほど前はハロウイーンのカボチャだらけだったのに、今は見る影もありません。ま、他国の風習も取り入れて、にぎやかさを好むのは、豊かさの表れかもしれませんが、すでにバレンタインデイの売り出しが始まっているのを見ると、うんざり感が出てきます。そのうち全世界のお祭りが、日本で祝われるようになるかもしれません。意味も分からずに。と同時に、街には全世界の言語による案内音声が響き渡る。ちょっとした悪夢です。 

気を取りなおして、お正月です。昔のように儀式にのっとる用意はできませんが、しめ飾りが、邪気を払い内を清浄な状態にする意味があると知れば、何があっても28日には玄関外に飾らせていただきます。鏡餅も歳神さまを迎える供え物と聞けば、ささやかに飾って感謝の気持ちを表したい。日頃より、信心とは程遠い生活をしていますが、年初元旦を迎えるときぐらいは、日本人の伝統を少しでも守っていきたいと、思っています。それは、昔から伝わる心の伝承であり、誇りある日本の儀式でもあります。きちんとした、いわれがあるからです。おせち料理も元旦だけはいただきたい。今は贅沢になって、三日と続けて同じものを食べるのは苦痛なので、二日目からは普通の食事に戻るという、いい加減な心構えですが、とにもかくにも、元旦だけはくわいや数の子をいただきます。 

フランスは訪問したことも無く、馴染の無い国ですがかなり自意識の強い国民性を持っているように感じます。その強さは参考にすべきことも多い。なぜか自国の文化や言語、伝統に確固たる自信を持っており、それが鼻持ちならないときもありますが、すべてに?謙虚で優しい日本人は、少しは見習うべきかもしれません。サービス精神旺盛で、おもてなし精神を惜しげもなくアピールすることもいいのですが、したたかさと、ほんの少しの傲慢さも、日本人にあってもいい。そんなことを考えざるを得ないほど浮かれすぎた日本が見えてきます。民族の真の誇りとは何か、を教育してこなかった国の危うさを、このごろ感じることが多くなりました。思い過ごしであることを祈りつつ、来年は穏やかな年でありますように。

   2018年12月23日  食生活アドバイザー 間島万梨子

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【その150】某月某日 ”トイレ力は選ぶ基準になるわ!・・ ”の巻き

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某月某日  “トイレ力は選ぶ基準になるわ”の巻き

大阪ミナミは、相変わらず外国人観光客であふれております。エリアゾーンが比較的狭いので、余計に賑わい感があるのよね。道が碁盤上になっていて、キタのような広場が無いから、人の流れが同じ方向にずっと続くので、まるで遠足か、難民(幸いなことに経験無いけど)の雰囲気よ。ま、いいけどね!特に心斎橋近辺は人の頭しか見えん。

でもこの界隈は、一歩路地に入ればなかなか粋で、外国人もいらっしゃらない店も多くて、しかも駅からメチャ近い(これはすごいポイント。皆、歩くの嫌がる。超わがままで難儀するわ)店が結構あるのよ。どこもレベルの高い和食なものだから、会合でもどこにしようか、迷ってしまう。そういうときにトイレ力が物を言うのです。どうだ!って感じでね。例えばA店とB店の場合ね。歩いて1分程度の至近距離にあって、規模はA店が50席、B店が25席ってとこかな。倍近いけど、A店が20席ほどの宴会スペースを別に持っているだけで、カウンターとテーブル席の雰囲気は良く似ています。ただトイレが全くと言っていいほど違うのよね。B店は男女兼用のトイレが一か所だけ。勿論清潔で洋式なんだけれど、いっぱいこっぱい飲んだ奴ら(お客様ネ)が、入れ替わり立ち代わりトイレに入るので、スキを見てパッと入らねばならない。結構、緊張する。かたやA店は男女別で、しかもそれぞれに二つの個室があるので空いていないときはまず無いわ。その個室も広くてきれいで、洗面スペース付き。リラックスするわあ。パーフェクト!ということで、どちらも美味しい店なんだけど、二度目があるのはA店で決まり。

以前、個性的なイタリア料理を出す店に行ったことがあるけど、そこのトイレは和式でかつ狭く、水の出も悪かった。食べた料理は忘れたけど、トイレのこと忘れん。もち、二度と行かない。ほんと、トイレにはお金とスペースをかけてください。必ず、売り上げに反映しますから。            2018年12月14日・・続く

 

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顧客満足の複雑さ 119 「静寂の本質」

      顧客満足の複雑さ119「静寂の本質」  

インターネット上で投稿される犬や猫の動画は、なかなかよく出来ているものが多く、彼らの演技ではない自然な所作が笑いを誘い愛らしさを増幅させて、時々見させてもらっている。何百万回もの視聴を誇る動画もあり、テレビのバラエティーやドラマも真っ青という人気ぶりだ。ユーチューブに代表されるネット動画は、今やあなどれない情報発信体のひとつとなっている。そのネット動画で動物ものと同じくらいに多く投稿されているのが、日本礼讃を目的とするもので、“訪日観光客から見た日本”や、“世界での高い評価”等をテーマにして、日本の良さを発信している。訪日外国人のコメントには、一方的な思い込みや短期間滞在ならではの高評価もあって、いささか面映ゆく感じるが、やはり悪い気はしない。

しかし、中には簡単に同意できない評価もある。“日本人はとても静かである”の意見などは、本当に?と疑いたくなる。あくまで自国と比較しての感想だろうから、環境の相違で評価も異なるとは思うものの、いったん街に出れば、騒音に囲まれたストレスを感じる身としては、?マークがつく。先日、その?を感じつつ都心に出たのだが、なるほど、そういうことか、と気づいた。訪日外国人の評価はほぼ正しかった。やかましいのは、提供側・企業なのだ。電車の中で途切れずに放送される駅案内と広告と事故注意喚起の声は嫌でも耳に入ってきて、親切さを通り越して、迷惑騒音と化している。見れば、客は静かにスマホをさわっているか、寝ている。知人同士でも会話の声は小さい。ただただ上方からうるさい放送が流れる。百貨店やスーパーでも館内案内が外国語も含めて流れ続けており、それが止んだら大きな音楽がとってかわる。常に音が響き続ける。外に出れば、店がある限り呼び込みや音楽や広告音が空気を揺るがす。百貨店やスーパーでも、客は静かで、同行者がある場合でも大声は聞かれない。仲間内で騒ぎ、そこに意図的な笑いを加味させたテレビ番組を、受け手の視聴者は笑いもしないで観ていることが多い。日本人は静かなのだ。たまに大きな声がすると振り向けば、元気な外国人観光客だったりする。 

飲食店でも同様で、やけに音量の大きいBGMが流れているときがあり、ボリュームを下げてほしいと頼んだこともある。ミュージック提供専門店ならともかく、会話が聞き取れないほどのBGMはルール違反だ。それも多分、店を盛り上げたいという店側の意向なのだろう。客が静かすぎるからだ。ことほどさように、日本は、提供する側の一方的な音の氾濫に囲まれてる。訪日外国人の感想は的を射ているのかもしれない。以前電車の中で見かけた欧米人男性二人は、40分もの間、喋り続けていた。内容が分からないので聞き流せたが、分かってれば気になって仕方がなかっただろう。それほどに大きなよく通る声だった。飲食店や電車内でも大声で喋る客はいるが、全体として日本人の発声音は小さく、会話量も少ない。

せっかくの静かな日本人・日本をやかましく騒々しくしているのは、提供側であり企業なのであって、それならば静謐の提供もまた、ビジネスになるであろうと思うのだが。と、ここでハロウィーンでの大騒ぎのニュースが飛び込んできた。嬌声が飛び交っている。はて、日本人も進化したのか、それとも後退したのか? 

              2018年11月1日  間島   

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【第158回】 食環境の現状(137)(国内消費と人口比) 

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食文化の豆知識158 食文化の現状137(国内消費と人口比)  

気候が落ち着いても、トマトやきゅうり、白菜などの葉物は高値安定のままです。昨年のことはすっかりと忘れていますが、野菜類がこれほど高かったという記憶はありません。それほど台風の影響がすさまじかったのでしょうか。この価格に慣れてしまうのも怖い気がします。ガソリン価格と同様に、こんなものか、の諦めは家計に重くのしかかり、ひいては内需の縮小につながります。 

なんやかやと大騒ぎなのにアメリカの経済が強いのは、内需が強いこと。つまり国民の消費力が旺盛なのです。一方、日本はなかなか内需が拡大しない。それは将来を見越して消費に慎重になっているのか、日本人の性格からなのか、理由がはっきりしません。アルバイト代も上がっているし、給料も順調に伸びているのに、何故、国内消費が伸びないのでしょう。日本独特の労働生産性の低さは、GDPの数値には結びつきますが、消費の増減には直接、かかわりは無いはずです。なのに、いつまで待っても、国内消費が思うように伸びません。株価は3年前と比べて倍近くになっているというのに。度重なる災害が、財布のひもを固くし、娯楽を慎む方向へ誘導したとするなら、本当に切ないことです。飲食店などへの影響も少なくないでしょう。 

もしかすると、消費の伸びの鈍化は、年齢人口比がその一因なのかもしれません。だとするならばここは悠然と構えて、数十年後を待つ?という政策もありかなと。二十年も待てば、経済状況は必ず変わります。人口が減っても日本は大丈夫。人口比も変わるからです。隅々にまでよく整った国だと思います。なのでこの良さを保ち続けてほしいものです。日本国民が健全でいる限り、この国はだめにはならない。今、何かと騒がしい出入国管理法改正案の内容を熟知もせずに、こんなのんびりとした考えでいいのかなとも思いますが、世界を見て、お手本になる国が見当たらないのだから、日本は日本のままでいてほしいものです。

      11月22日 間島万梨子 食生活アドバイザー

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【その149】某月某日 ”料理も芸術だ!・・ ”の巻き

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某月某日  “料理も芸術だ!”の巻き

もう街は歳末商戦に突入で賑やかです。田舎にいると、咲く花の種類で、ああもう冬が近いんだな、って思うけど、街は装飾で冬が分かるのね。すでにクリスマスモードで、キラキラみたいね。つい前までは、ハロウィーンのカボチャばかりだったのに。ほんと、日本は忙しいわ。

先日訪問した店は、名目が肉料理専門店なので、鉄板焼き、しゃぶしゃぶ、すき焼き、焼肉、ステーキから、好きな肉料理を選ぶってわけ。宮崎牛を一頭買いしているらしい。迷いなく焼肉を選びました。ただ他の焼肉店と違って変わっているのは、三種盛り、五種盛りという形で注文するのよね。ホルモン以外でお願い、のオーダーはOKだけど、どんな部位がくるかはお楽しみ。店自慢の上ロースとかミスジとか、上カルビなどが盛られているとか。ま、かなりいい値段がするから、あとは店を信頼するしかないってわけ。この五種盛りがすごかった。中身も期待通りだったけど、提供の仕方が半端なかったわ。大皿の真ん中に大振りの百合やら蘭やらが背高く悠然と鎮座まして、その周りを立体的に肉が飾られているの。ゴージャスというか、悪趣味?というか、目が点になりましたがな。テーブルが広いわけが分かったわ。場所取る。でも印象としては悪くなかったわ。このくらいパフォーマンス力があると、お見事!と言いたくなるわ。百合は食べられないけど許す!

他店との差別化と言う意味では、今までの焼肉店の中では、ダントツ。キムチやサラダ、デザート類も丁寧で、美味しかったし、努力のあとがみられました。今は、これだけ頑張らなくては、集客しにくいのね。平日にもかかわらず、80席ほどの店内(すべて個室ネ)は満席でした。ただ気になったのは、すき焼きやしゃぶしゃぶの時は、どんなパフォーマンスなんだろうってこと。財布がついていかないので、当分は行けないけど、かなり気になる店でしたわ。

               2018年11月20日・・続く

 

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顧客満足の複雑さ 118 「和風とは風情重視」

      顧客満足の複雑さ118「和風とは風情重視」  

ひどい首の凝りに悩んでいる知人がいて、整形外科の医者のアドバイスに従って、枕を固めの低反発型に変えたが、今のところ、かんばしい効果は出ていないと嘆いていた。聞けば、和室に柔らかくてふわふわの布団を敷いて寝ているらしい。即座に、ベッドに変えることを勧めた。それも、固い20センチ以上のマットレス仕様のものに。マットレスは固ければ固いほど、そして厚ければ厚いほど身体への負担が少ない、とは自論だが、経験ではその通りだ。そもそも、首や肩の凝りは、日本人独特の症状だという。欧米人には凝りで悩んでいる人は少ないらしい。様々な理由が考えられ、お箸文化も首や肩を凝らせ、お辞儀も?凝りの元だという説もある。そして、柔らかい和式布団スタイルも、体を沈ませ凝りの大きな原因になっている。 

洋式か和式かのいずれが人間が生活しやすいかの議論は、個人の嗜好によるところが大きく正解は出そうにはないが、少なくとも年齢を経るにしたがって、和式での生活は辛くなる傾向がある。食事会の店選定をまかされ、席が座敷だったときは、参加者から堪忍してくれの大合唱に見舞われ、ひたすら恐縮したことを思い出した。多くの人が正座が苦手だったのだ。あの過酷な姿勢は、中高年を過ぎると途端に試練になる。ただ幼い子供連れの場合や、若い人の集まりなどは、その自由さが有難いという声も聞く。洋式か和式かの選択は、トイレでは言わずもがなである。そして履き物は靴文化になって久しいが、かつて日本では、下駄か草履で、遠出の場合でもわらじが主流だった。稲を利用した履き物でなかなかよく考えられてはいるが、足を守るには到底、革仕様にはかなわない。牛肉摂取の習慣が無かった日本では、革技術が育たなかったのも無理はないが、堅牢な革靴と比べて、その弱さは歴然だ。 

着物は日本が誇る文化であり愛好者も多いが、一般的な生活では利便性で洋服には勝てない。ボタンやファスナーが無い衣服は、自由な動きを制するからだ。こうしてみると、生活の洋式化は、人体に優しく添う形で進んだともいえる。日本文化が今、改めて見直され、海外でも高評価を受けているのは、あくまで文化としての価値であって、そこに風情を感じるからではないだろうか。風鈴にしても、美しい音色で涼を感じるという風情で、今ではその音が近所への遠慮で気軽に楽しみにくい。床の間、欄間も芸術的で、贅沢文化だ。こうしてみていくと、和風とは風情重視の文化なのだろう。それはそれで自慢していいのだが、現実性には若干欠ける。前にも書いたと思うのだが、旅館式の宿泊施設で、最も自慢できる要素は、和風の風情が惜しげも無く用意された空間の提供である一方で、快適で安全な睡眠を約束するベッド式の寝間の提供でもある。この二重構造こそ、今後の旅館型宿泊施設の未来だと確信している。あとは販売価格努力の域に入るのだろう。

                 2018年10月1日  間島   

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顧客満足の複雑さ 117 「固定客の確保と流動化」

 顧客満足の複雑さ117「固定客の確保と流動化」  

利用する頻度が高ければ高いほど、利用先の固定化が強まる。例えば昼食の外食利用時などは、訪問店がほぼ同じという人も多い。そこまでいかずとも、数店舗を回し利用している。これが夕食となると、利用範囲は広がりを見せる。移動時間に余裕を持たせられるのに加え、利用頻度が昼食ほど高くは無いので、その時の気分や予算、同行者に応じて行き先が選択される。この状態を提供側からみると、昼食時にリピート客が占める割合は、夕食時よりはるかに高いという結果につながる。客単価が低めの昼食時に安定した客数が見込めることは売上の安定にもつながり店にとっては有難い状況だろう。ただ昼夜営業の店にとって、収入源は夜間営業時である。例外もあろうが、大方の飲食店の稼ぎどころは夜間にならざるを得ない。アルコール類が加わっての客単価の高さと、営業時間の長さからくる売上額は、昼食時の数倍となって当然だからだ。ただ、安定した売上と言う意味で夜間営業においても、固定客は非常にありがたい存在となる。ゆえに、どの店でも、リピート率をあげるための努力は惜しまないはずで、その努力の跡が見られない店は早晩閉店を余儀なくされるだろう。ならば客数を補えるほどの高い客単価で稼ごうとしても、それには料理・雰囲気・サービスの特質性と立地の優位性が必要で、一般的な店が簡単に目指せるものでもない。 

つまり、顧客固定化、なじみ客の確保は、飲食店にとって最も重要な要素であり目標でもある。これは宿泊施設でも同様で、余程のネームバリューか特別な立地を擁していない限り、リピート率は運営の成否に影響する。その視点からみると、新聞誌上で、何段かの大広告を頻繁に出しているホテルがあるが、高額な広告料を払い続ける理由は、余程、客室数が多いか、リピート客が非常に少ないか、のいずれかではないかと勘ぐってしまう。言葉を変えれば、うちは一見客だけしか来ないです、と明言しているかのように思える。広告宣伝の効果を無視するものでもないが、あまりの露出はかえって、内実の乏しさを想像させてしまう。また、何度か訪問したことがある、10室前後の殆どがリピート客で埋まる良質の宿泊施設が、食をメインにしたテレビの紀行番組で体験紹介されたとたんに、新規予約が殺到したため、“しばらくの間、満室状態が続きます。ご迷惑をおかけします”との謝罪メールが届いた。それら新規客がめでたくリピート客に移行してくれるなら、テレビへの露出も有益だが、果たしてどうなのだろう。結果の是非はかなりあとになってみないと分からない。リピート率の高さは、その対象の真の力を表わす。 

ことほどさように、リピート客の確保は、サービス業にとって何より大切な命題ではあるが、かなりの難関でもある。個人的にも、二度目の無い飲食店は少なからずあるし、その魅力に惹かれ再訪問した旅館は数少ない。次は異なった地域を楽しみ・異なった施設に泊まってみたいと思うのが自然の欲求だからだ。だから、現実の数値で、リピート客が占める割合がとても高い旅館やホテルの努力はいかばかりかと、尊敬しきりであるが、固定顧客は年を取り、環境も変わる。流動する。よって常に3割以上の新規客は必要となる。その新規客の多くがリピート客になってくれれば、その店・施設は盤石といえるだろう。                   間島

                    2018年9月3日     

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