顧客満足の複雑さ 215「対岸の火事か警告か」
フランスが燃えている。歴史的にデジャブ感があるというのは、「花の都パリ」に対して失礼だろうか。しかしながら、今の無残なパリの現状には、違和感はない。過去にも起きた、そして、また起きる、としか言いようがない。この国では、国に対する不平不満をデモによって訴えるのが正当である、という思想が根付いている。高校生による環境改善を求めるデモが発端となって、それに乗じての略奪や放火などの暴力が横行してしまったのも、今のフランスが抱える諸問題からみても、予想外のことではない。各地で夜間外出禁止令が発令された。7万人もの警備も配置されたので、間もなく沈静化するだろうし、高校生たちは、何らかの成果を手に入れるだろう。とするならば、フランスの歴史である、抗議と暴力と犠牲と果実、の構図が脈々と受け継がれているということだ。
比較するに、我が国はやはり穏やかな国だ。少なくとも戦後を振り返って、反政府運動と位置づけられるのは、60年安保闘争と70年安保闘争の二度ぐらいだろうか。時の政権が締結した日米安全保障条約の改定によって、日本が再び、戦争に巻きこまれるのではないか、という不平不安が生じ、学生が主体となって、国会議事堂前を主として各地でデモ活動が繰り広げられたが、少なくとも一般人の店舗などへの略奪放火はみられなかった。やがて、経済成長戦略へとかじを切った政策の元、運動自体は自然消滅していき、より過激な活動家たちは外国に散っていった。反政府運動の主体となった彼らは、何かを手に入れたのだろうか。その後、過激な反政府デモは起きていない。
世界の不安定な暴力の横行をみて、つくづく日本に生まれてよかった、と安堵したいところだが、今後の保証はない。今、富の偏在に対する不満や世代間の不平などが少なからずネットの世界でも散見される。むしろ、心配するのは日本人のおとなしさだ。自己主張よりも自己抑制、要求よりも忍耐、他者批判よりも自己批判。すべて日本人の特質と言える。そしてそれら特質が作りあげたのが、今の日本なのだ。その特質が歴然とこれからも日本の主軸となるならば、今のパリの風景は日本では見ることはないだろう。それを安心とみるのか、不満とみるのかは、今後の日本人にかかっている。すべては、日本人が望む道へ進むべきであって、他国および他国民にはかかわってほしくはない、などと言えば、多様性に欠ける、偏狭だ、と非難されるのだろうか。
2026年 11月1日 間島