【その183】某月某日 ”快適さって、分かりづらい・・・ ”の巻き

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某月某日  “快適さって、分かりづらい”の巻き

これだけ暑いと、電気代で破産してもいいから、エアコンつけまくり毎日ですわ。6月中旬からずっと24時間つけっぱなし状態で、エアコンも頑張って働いてくれてます。アンタはエライ!ワタシならとうにストライキおこしてるわ。ただただ、ひたすら動いているその姿。真似できんわ。おかげさまで普通に生活できてるんだけど、特に快適さは感じないのよね。罰当たりめ!って?でも“ああ、快適だわぁ”とも思わず、普通の生活ができてるってことよね。それがもしエアコンがこわれでもしたなら、それはもう大変なことに。とにかく暑さに我慢できずに、電光石火、電器店に駆け込んで、早く設置してくれぇ、って叫びまくるんだろうな。それだけ現代の人間は不快感には堪えられないようになってしまったんだと思うわ。

飲食店でもそうよね。店内が静かでも“ああ快適”とはことさら思わないけど、大声でしゃべりまくる客がいると“うるさ!だまらんかい”と心で思ってしまう。不快を感じているのよね。また、冷房がほどよく利いていても“ああ快適”とは別に思わないけど、顔などに冷風が吹き付けていると“ちょっと寒すぎやしませんかい?エアコンの向き変えて“ってなことになる。つまり不快感には敏感だけど、快適さには鈍感というか、慣れというか。そういう風に人間はできてるのかも。体のどこにも痛みが無い場合に“ああ快適!”とはならないけど、どこか痛いと、途端に不快感が増幅される。不満や不便さを感じる力は、満足さを感じる力より強い。でもそれだからこそ、自分を守ることもできるとも言えるわ。お!なんだか深い思想になってきましたぞ。って、当たり前のことかもね。つまり普通、ということがどれだけ偉大か、ということだと思う。だから、店も大変といえば大変よ。とにかくお客さんを不快にさせないこと。それへの努力や気遣いをメインにすると、結果としてお客さんは“居心地の良い店で、美味しい料理”と認めてくれて、顧客になってくれる。だから、はやっていない店は、どこかが不快なわけ。それを見つけるのが大切だと思うわん。

         ・・・・続く。

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