顧客満足の複雑さ 110 「簡潔で丁寧な言葉の大切さ」

顧客満足の複雑さ110「簡潔で丁寧な言葉の大切さ」 間島 

年末年始のテレビ界は、番組の多くを取りだめ特番でしのぐ、という慣習があるらしい。テレビ界に生きる糧を置いている人達も、年末年始はゆっくりと休みたいだろうから、どうしても取りだめが必要となる。今年もわずかな生番組を除いては、殆どがすでに収録されたスペシャル番組だった。中にはなかなかに考えられた凝った内容のものもあるのだが、大体が同じような顔ぶれの似たり寄ったりの内容としか思えなかった。落ち着いて観たわけでもないので、そのことはどうでも良い。気になったのは、言葉の粗さと珍妙さであり、まともな日本語の喪失であった。

テレビから発せられる言葉使いの奇妙さには、かなり慣れてきたつもりだ。何故ならそれは、出演している芸人だけではなく、アナウンサーやキャスターまで浸透して、まるでその言葉が正しいかと錯覚を覚えるほどに氾濫しているからだ。例えば花に“水をあげる”、犬に“ご飯をあげる”という言い回しは、市民権を得たがごとくに常時聞かれる。先日、東京が寒波に襲われた時、ある局で、“明朝は氷点下になる恐れがあるので、水道管をあけておいてあげてください“と真面目顔で言ったときには、さすがにのけぞってしまった。水道管にも優しい言い回しが必要らしい。一方、ほっとするのは一般人の言葉で、農家に取材に行った際に聞こえてきた“犬への餌やりも大事な仕事だから”と、“植木の水やりは難しいのでね”は、とても自然で違和感が無かった。まだまだテレビに毒されていない人達もいるのだ。

丁寧さを勘違いして、最近は“○○の方”という言い方が一般的らしい。“外国人の方”“女性の方”“お年寄りの方”“中国人の方”“お子様の方々”と枚挙にいとまがない。“日本人の方”は英訳できるのか分からない。“ジャパニーズ“以外の言い方があるのだろうか。“犯罪者の方”や“不法滞在している方々“もその内、聞かれだすだろう。かといって優しさと丁寧さに満ちた言葉のみを話す国民性というわけでもなさそうで、“すげえ”“まじかよ”“死ね”“殺すぞ”などの言葉も氾濫している。まるで一貫性がない。飲食店でも、客からは“注文してもいいですか”“メニューブック見せてもらってもいいですか“などの珍妙な言葉がきかれ、店側からは”○○になります“の奇妙な言葉とともに料理を持ってくる。支払時にも“○○のお釣りになります”と、また理解不能な言葉が聞こえてくる。なぜ“○○をください”“メニューブックを見せてください”と言えないのか。店側も“○○お持ちしました”“○○円のお釣りです”と簡潔な受け答えをしないのか、頭が混乱してくる。

愚痴は止めよう。ときには、簡潔でかつ丁寧さを失わない言葉使いを聞くこともある。すべてに、きちんとした意味があり、伝達が明瞭で、しかもそこに個々人の良識を感じさせる言葉は、普遍的に日本の宝でもある。やはり言葉には誠実でありたい。そこに無礼や欺瞞やばか丁寧さを介入してほしくはない。仕事上とはいえ、一流ホテルや旅館で、美しい日本語を聞くこともある。ひいき目で言うのではなく、確かに覚えがある。仕事言葉ではあるが、参考にすべき慣習でもある。丁寧で美しい言葉は、無駄が無く、礼儀さを感じさせる。それが日本語の特徴ではなかったか。

 

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