【第17回】 [ 食育の重要性(3) ] |
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食育には、味の見分け方、鮮度の判断力などに加えて、「食べる」動作の教育も含まれます。それも早い時期からの習得が望まれます。なぜなら、食事のマナーはその人の成人度を図るめやすにもなる重要なファクターでもあるからです。
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最近、学校の給食時に“いただきます”の挨拶をしない子供が増えているという記事を見かけます。理由はというと、“ちゃんとお金を払っているのに、何故いただきますと言わなくちゃいけないの?”と、親も子供もそろっての理屈が聞かれるとか。にわかには信じがたい話ですが、もし本当なら、その子の将来を案ぜざるを得ません。食事のマナーの原点は、食材や作ってくれた人への感謝や周囲と調和する心にあるからで、それを習得出来ないままに大人になる不運が案じられるからです。 |
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「食べる」という行為をずっと一人で行う人生を歩む覚悟があるなら、またマナーなど必要でない場所での食事に徹するというなら、どんな食べ方でも自由でしょう。確かに、食べるということは本来、原始的な行為であり、人間も手づかみの長い時代を経て、各国それぞれの食事マナーを形成してきたのです。そして、今必要なのは、堅苦しい作法を細かく習得することより、マナーを通じて、「食」への感謝を育てていくことでしょう。
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食事の基本的作法は家庭でしつけられるべきものです。箸の使いかた、肘をついて食べないこと、ご飯とおかずは交互に食べること等々、各家庭できちんと、教えられているのでしょうか。食べる前には必ず“いただきます”。食べ終わったら“ごちそうさまでした”が当たり前のこととして浸透することが、マナー習得の出発点であるはずです。
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海外に行ったことのない人はいても、外食をしたことが無い人は、まず見かけません。外食時のマナーは、うどん店、牛丼店、ファミリーレストラン、デイナーレストラン etc によって異なるのは当然ですが、きちんとしたテーブルマナーを身につけてこそ、気軽な店でもそれ相応に食を楽しめるというものです。 その逆はあり得ません。芯からマナーが身に付いていないと、大衆的な店で気持ちよくきれいな作法で食べるのは実は難しいことなのです。 食事のマナーがきちんとしていることは、人間にとって大切な財産であるといえるでしょう。
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