顧客満足の複雑さ154(日本における平等の感覚)

   顧客満足の複雑さ154「日本における平等の感覚」

 宿泊施設にしても飲食店にしても、高級路線を取っているところは多くある。宿泊に関しては、施設そのものが一泊6万円以上の富裕層限定対応の特別豪華仕様のところとは別に、様々な利用目的に応じて値幅を広く取っている高級旅館やホテルもある。その場合、価格差は、部屋の広さや設備によって決められている。スイートをはじめとする高価格帯客室を設けてはいるが、都心の場合はビジネス客から一般客まで幅広く受けいれているのが現状だ。よってパブリックスペースはすべての客の共有利用スペースとなる。あくまで価格差は部屋次第というわけだ。内部飲食店も予算に応じて、好きな場所を選べる。そこには予算次第で自由に楽しんでください、というおおらかさがある。だからホテル利用時には、どのクラスの部屋を選んでも、それは部屋の中だけの満足感となる。高級旅館にしても、露天風呂付きや広さ如何での価格差が一般的で、大浴場やロビー、その他はすべての客が利用できる。そのスタイルが変わりつつある。 

日本では高級ホテルに宿泊することなどめったに無いが、かつてカナダに取材訪問した際は、主催がカナダ大使館ということもあり、大使館側が用意してくれたのは、すべてが高級ホテルだった。部屋も高層の高価格帯であろうと思われ、殆どのホテルに高価格帯客室利用客専用のエグゼクティブラウンジがあったのを覚えている。強く記憶に残っているのはそのゆとり感とリッチ感、そして特別感だ。殆ど客がいない空間には、常時スタッフが待機し、利用者が入るや否や、至れり尽くせりのサービスを受け、高層ゆえの広がる眺望を独り占めできる。まさに特別待遇そのものだ。ただ、リラックス感と一抹の罪悪感を覚えつつ、このスタイルは日本ではなじまないだろうな、とも思っていた。予算に応じた選択肢は勿論あるものの、独特の平等意識が日本にはある。そして今、遅まきながら、高価格帯の客室利用客専用の「エグゼクティブラウンジ」をハイアットリージェンシー東京ベイ、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、帝国ホテル大阪が新設するという。密を防ぐという、コロナ禍での需要や、コロナ禍収束後の富裕層インバウンドを見込んでの新設なのだろうが、それが高額消費者を取り込む一因になるのかどうかは分からない。 

友人が数年前にバリ島観光に行ったところ、あまり楽しめなかったという。理由を聞くと“周辺から疎外されたリゾート地で、そこだけがリッチな空間だった。周りは貧しそうに見えた“のが気になったらしい。随分とセンシティブだなと思ったが、自分自身のフィリピンのセブ島観光を思い出した。充分にリゾート感覚を楽しませてもらったが、バスで市街地に行った際に見た、裸足で重い荷車を曳く痩せた男性、家の前でぼんやりとただ地べたに座っている男性の姿が、胸に重く入ってきた。友人と同じ感覚だ。この感覚は、多分欧米人には無いだろうと思う。かつてアジア・アフリカに植民地を持ち、奴隷制度も歴然とあった国々の人々は、特権をいとも簡単に享受してためらうことはないだろう。日本人のナイーブな、そして独特の平等感覚は、いつまで続くだろうか。

          2021年10月1日 

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