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顧客満足の複雑さ 122 「飲み放題の質」

      顧客満足の複雑さ122「飲み放題の質」 

東京で焼肉食べ放題の店を訪問した欧米系観光客の男性が、テレビの取材で放った一言が、耳に残った。“こんな店、僕の国にあったなら、一週間でつぶれてしまうよ!”他国でも、ホテル内朝食のビュッフェスタイルなどは根付いているが、日本のように、○○食べ放題や飲み放題、を看板に掲げている一般店は少ない。このシステムは、食事量の上限を想定して、なおかつ儲けが出る計画に基づかないと成立しない。つまり日本人の平均的食事量が基礎となって生み出されたヒット作戦なのだ。先の欧米系男性の国で、もしこのような店があれば、想定した上限を遙かに超えた需要で、たちまち店の経営収支は成り立たなくなってしまう、ということだろう。 

飲み放題も同じく、日本でしか通用しない飲食店の経営方法だ。和製英語のフリードリンクは、むしろ食べ放題システムよりもよく目にする。コース料理とセットされていることが多く、いくらかの上積みでドリンク類は飲みたいだけどうぞ、の誘惑はなかなかに強い。どの店もビール、赤白ワイン、日本酒、焼酎、ウイスキーにソフトドリンク類ははずせない定番としてメニューに入れている。ただ、この飲み放題システムの質的内容は、店によってかなりの差異があり、トータルでその店の価値を左右する力を持っていると思う。まずビールだ。飲み放題では、瓶ビール指定の場合が多い。生ビール提供の手間を惜しんでのことだろうが(たまに、客自身がサーバーを使えるところもある)、ここで魅力が半減する。生ビールのフレッシュな味わいを飲食店の魅力のひとつにあげる人も多い。それに瓶ビールについて回る、注ぎ注がれる、という行動が、今や面倒がられる時代だ。極めつけはワインで、飲み放題で用意されるのは、安っぽいグラスでのまずいワインかデカンタで、まれにボトルで供されても、残り物をつぎ足した感が否めないほどのレベルだ。紹興酒を6分ほどに減った状態で出した店もある。日本酒も純米吟醸などは期待できない。 

そして今、レベルアップしたフリードリンクが登場し、飲み放題の差別化が浸透しだした。ビールは洒落たグラスでの生ビールOK。ワインは重厚なグラスに、本格的レベルのものを注いで出してくれる。勿論、飲み切った上での追加オーダーになるが、飲んでいて気分が良いのは確かだ。食べ放題でも、飲み放題でも、一般化すればするほど、質の上昇による差別化が始まっていく。高級店やホテル内レストランでも飲み放題を導入するところが増えていくと思われる。日本に来る外国人観光客にとっては、まるで奇跡のようなサービスと映るに違いないが、質の良いフリードリンクシステムは、集客における強い誘引力になるだろう。ドリンク類の利益率の高さは周知の事実なので、質を高めることで出る不利益よりも、集客力アップによる利益を期待する方が効率が良さそうだ。                            2019年2月1日  間島   

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顧客満足の複雑さ 121 「日本を守り抜く覚悟」

   顧客満足の複雑さ121「日本を守り抜く覚悟」 

昨年は、様々な災害が日本を襲い、わが身に照らしても台風21号の洗礼を受けたが、清水寺恒例の一年を表わす一字に「災」を使われると、いささか、げんなり感が否めない。何故なら、日本の地政学的宿命とでもいおうか、何も無かった年をあげるのも難しく、被害規模の差はあれど、なにがしかの自然災害はどこかで必ず起こり得る。なので、ここは「克」とか「翔」、また「守」とかにしてほしかったと心から思う。 

自然災害だけではなく、一年間という時間は、政治・経済・外交でも変化と達成と混乱などが入り混じり、どういう年であったと一口で表わしにくい長さを持っている。だから日本が日本のままであり続けている限り、その年はまあ、よしとせねばなるまい。それほど、世界では自国が自国で無くなったことで、悲惨な目に会っている人達が多いのが現実で、その結果が大量移民へとつながっていく。その意味では、成立に反対の多かった出入国管理法改正案は、確かに移民対策では無い。が、しかし、自国に人種の異なる人間が観光以外に多く入ってくる状態が簡単に出来上がるという構図は、社会に良く似た結果をもたらす。成立してしまったので、しばらくは様子を見るしかないのだが、歓迎できない法案だった。 

一方、立法関連ではないが、朗報も結構あった。大阪万博開催決定もそうだし、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の発効も、快挙だと思う。万博開催は長きに渡って大阪府のお荷物だった広大な夢洲が生き返るチャンスで、IR誘致が決定すれば、万博以後も生き長らえることが出来るだろう。TPPは、米国が離脱した後をよくまとめたものだと思う。関税引き下げは、輸入面では幅広い食品の値下げで、消費者が恩恵を受けることが期待されるし、輸出面では企業にとって追い風になりそうだ。色々な問題はその都度、解決していくことになるだろう。 

外交は益々、混乱していきそうだ。激動とまではいかないにしても、世界の潮流の変化は避けられそうもない。その中で、日本が盤石であり続けるためには、好き嫌い・支持不支持が当然あるものの、長期政権がもたらす安定感は確かにある。この一年、しっかりと日本を守り抜く覚悟が、一人一人に必要になると思う。国家といっても、基盤は一人一人なのだから、それさえ崩れなければ日本は大丈夫だと信じたい。企業も個人事業も、背骨の補強がますます求められる年になりそうだ。年末には、心地よい一字を聞けることを祈りたい。                               2019年1月4日  間島   

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顧客満足の複雑さ 120 「出入国管理法の怪」

      顧客満足の複雑さ120「出入国管理法改正案の怪」  

国会は立法の府だけあって、会期中は様々な法案が提出され審議される。無事に成立する法案もあれば、差し戻しあるいは廃案になるものもある。大して話題を集めない地味な?法案が結構あり、したがって興味を惹かないままに、成立しているケースも多い。無責任なようだが、おおむねその法案が必要だから提出され、成立後は行政側で適切に施行されるのだろうとの信頼感もある。然しながら、今国会に提出された出入国管理法改正案は腑に落ちない。当方の理解不足・知識不足なのだと思うが、どうも怪しさをぬぐいきれない。そこに経済界の欲が臭うからだ。 

色々な業種業態で人手不足であるのは現実問題として認識している。政府が試案した現時点での人手不足数が最も多いのが外食業の25万人で、農業の7万人、介護業の6万人と続く。一方、人手不足感のある建設業は2万人で、経済の軸を握る自動車整備業は1600人と少ない。つまり、合理化・機械化を進めてきた業種はそれほど人手不足は深刻ではなく、生産性の低い滅私奉公的要素の高い業種が、深刻な人手不足状態にあるというわけだ。慢性人手不足といってもよい。それを外国人労働者で補おうとするのは、あまりに短絡的かつ都合の良い解決策であり、企業そのものの努力や倫理観を求める姿勢の欠落感が否めない。確かにこれらの業種は人の手がかかる。そして特に外食業は20年以上も前から人手不足に悩んでいる。ずばり離職率が圧倒的に高いからだ。と同時に、個人経営で開業10年後に営業を続けている店は半分に満たない業種でもある。将来的に安定感のない仕事に、優秀な人材を求めるのが無理筋というもので、個人経営の場合は、徹底して家族経営で乗り切るしかない。それはそれで筋が通っているし、手堅い経営といえる。問題なのは手厚い福利厚生や人材育成のポシリーも無いままに店舗拡大を急ぎ、人材難に陥り、喉から手が出るほど外国人労働者が欲しいチェーン展開のケースだ。外食業でも創業者の志が高く、人材育成や教育に熱心な企業は離職率も低く、外国人労働者に頼らずとも人材が集まってくる。また、技術力の高い中小企業も人材難に悩んでいるが、その解決策は外国人労働ではなく日本人自らの中にあるのだろうと思う。コンビニエンスも慢性人手不足に悩む。あちらこちらでみかけるコンビニの乱立ぶりに加え、24時間営業ビジネスが、人手不足にならないわけがない。外国人客対応のために外国人を雇っているというのは表向きで、募集しても来ない日本人の代わりに雇っているに過ぎない。外国では、日本語の通じない店の方が多い。それでもたいして支障は無い。ただ物を買うだけの動作言葉は万国共通で通じるものだ。

一方、介護施設の人手不足は、現時点においては施設の急増によるもので、利用者の増加が主要因ではない。どこの市町村でも、建築中の建物の多くが介護関連の施設だ。つまり金儲けのにおいがする業種ということだ。これも人手が足りないのに決まっている。高齢者の増加で、介護現場における将来の絶対的な人手不足は予想されるものの、入管法を急ぐ前に、打つべき手は他にいっぱいあるだろうと思う。で、某新聞の調査による主要100社へのアンケート結果が出ていた。外国人労働者受け入れ拡大には賛成であるものの、議論が拙速との意見が3割を占めた。管理監督の難しさを指摘する声も多い。しかしなお、この法案は成立する。                          2018年12月3日  間島   

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顧客満足の複雑さ 119 「静寂の本質」

      顧客満足の複雑さ119「静寂の本質」  

インターネット上で投稿される犬や猫の動画は、なかなかよく出来ているものが多く、彼らの演技ではない自然な所作が笑いを誘い愛らしさを増幅させて、時々見させてもらっている。何百万回もの視聴を誇る動画もあり、テレビのバラエティーやドラマも真っ青という人気ぶりだ。ユーチューブに代表されるネット動画は、今やあなどれない情報発信体のひとつとなっている。そのネット動画で動物ものと同じくらいに多く投稿されているのが、日本礼讃を目的とするもので、“訪日観光客から見た日本”や、“世界での高い評価”等をテーマにして、日本の良さを発信している。訪日外国人のコメントには、一方的な思い込みや短期間滞在ならではの高評価もあって、いささか面映ゆく感じるが、やはり悪い気はしない。

しかし、中には簡単に同意できない評価もある。“日本人はとても静かである”の意見などは、本当に?と疑いたくなる。あくまで自国と比較しての感想だろうから、環境の相違で評価も異なるとは思うものの、いったん街に出れば、騒音に囲まれたストレスを感じる身としては、?マークがつく。先日、その?を感じつつ都心に出たのだが、なるほど、そういうことか、と気づいた。訪日外国人の評価はほぼ正しかった。やかましいのは、提供側・企業なのだ。電車の中で途切れずに放送される駅案内と広告と事故注意喚起の声は嫌でも耳に入ってきて、親切さを通り越して、迷惑騒音と化している。見れば、客は静かにスマホをさわっているか、寝ている。知人同士でも会話の声は小さい。ただただ上方からうるさい放送が流れる。百貨店やスーパーでも館内案内が外国語も含めて流れ続けており、それが止んだら大きな音楽がとってかわる。常に音が響き続ける。外に出れば、店がある限り呼び込みや音楽や広告音が空気を揺るがす。百貨店やスーパーでも、客は静かで、同行者がある場合でも大声は聞かれない。仲間内で騒ぎ、そこに意図的な笑いを加味させたテレビ番組を、受け手の視聴者は笑いもしないで観ていることが多い。日本人は静かなのだ。たまに大きな声がすると振り向けば、元気な外国人観光客だったりする。 

飲食店でも同様で、やけに音量の大きいBGMが流れているときがあり、ボリュームを下げてほしいと頼んだこともある。ミュージック提供専門店ならともかく、会話が聞き取れないほどのBGMはルール違反だ。それも多分、店を盛り上げたいという店側の意向なのだろう。客が静かすぎるからだ。ことほどさように、日本は、提供する側の一方的な音の氾濫に囲まれてる。訪日外国人の感想は的を射ているのかもしれない。以前電車の中で見かけた欧米人男性二人は、40分もの間、喋り続けていた。内容が分からないので聞き流せたが、分かってれば気になって仕方がなかっただろう。それほどに大きなよく通る声だった。飲食店や電車内でも大声で喋る客はいるが、全体として日本人の発声音は小さく、会話量も少ない。

せっかくの静かな日本人・日本をやかましく騒々しくしているのは、提供側であり企業なのであって、それならば静謐の提供もまた、ビジネスになるであろうと思うのだが。と、ここでハロウィーンでの大騒ぎのニュースが飛び込んできた。嬌声が飛び交っている。はて、日本人も進化したのか、それとも後退したのか? 

              2018年11月1日  間島   

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顧客満足の複雑さ 118 「和風とは風情重視」

      顧客満足の複雑さ118「和風とは風情重視」  

ひどい首の凝りに悩んでいる知人がいて、整形外科の医者のアドバイスに従って、枕を固めの低反発型に変えたが、今のところ、かんばしい効果は出ていないと嘆いていた。聞けば、和室に柔らかくてふわふわの布団を敷いて寝ているらしい。即座に、ベッドに変えることを勧めた。それも、固い20センチ以上のマットレス仕様のものに。マットレスは固ければ固いほど、そして厚ければ厚いほど身体への負担が少ない、とは自論だが、経験ではその通りだ。そもそも、首や肩の凝りは、日本人独特の症状だという。欧米人には凝りで悩んでいる人は少ないらしい。様々な理由が考えられ、お箸文化も首や肩を凝らせ、お辞儀も?凝りの元だという説もある。そして、柔らかい和式布団スタイルも、体を沈ませ凝りの大きな原因になっている。 

洋式か和式かのいずれが人間が生活しやすいかの議論は、個人の嗜好によるところが大きく正解は出そうにはないが、少なくとも年齢を経るにしたがって、和式での生活は辛くなる傾向がある。食事会の店選定をまかされ、席が座敷だったときは、参加者から堪忍してくれの大合唱に見舞われ、ひたすら恐縮したことを思い出した。多くの人が正座が苦手だったのだ。あの過酷な姿勢は、中高年を過ぎると途端に試練になる。ただ幼い子供連れの場合や、若い人の集まりなどは、その自由さが有難いという声も聞く。洋式か和式かの選択は、トイレでは言わずもがなである。そして履き物は靴文化になって久しいが、かつて日本では、下駄か草履で、遠出の場合でもわらじが主流だった。稲を利用した履き物でなかなかよく考えられてはいるが、足を守るには到底、革仕様にはかなわない。牛肉摂取の習慣が無かった日本では、革技術が育たなかったのも無理はないが、堅牢な革靴と比べて、その弱さは歴然だ。 

着物は日本が誇る文化であり愛好者も多いが、一般的な生活では利便性で洋服には勝てない。ボタンやファスナーが無い衣服は、自由な動きを制するからだ。こうしてみると、生活の洋式化は、人体に優しく添う形で進んだともいえる。日本文化が今、改めて見直され、海外でも高評価を受けているのは、あくまで文化としての価値であって、そこに風情を感じるからではないだろうか。風鈴にしても、美しい音色で涼を感じるという風情で、今ではその音が近所への遠慮で気軽に楽しみにくい。床の間、欄間も芸術的で、贅沢文化だ。こうしてみていくと、和風とは風情重視の文化なのだろう。それはそれで自慢していいのだが、現実性には若干欠ける。前にも書いたと思うのだが、旅館式の宿泊施設で、最も自慢できる要素は、和風の風情が惜しげも無く用意された空間の提供である一方で、快適で安全な睡眠を約束するベッド式の寝間の提供でもある。この二重構造こそ、今後の旅館型宿泊施設の未来だと確信している。あとは販売価格努力の域に入るのだろう。

                 2018年10月1日  間島   

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顧客満足の複雑さ 117 「固定客の確保と流動化」

 顧客満足の複雑さ117「固定客の確保と流動化」  

利用する頻度が高ければ高いほど、利用先の固定化が強まる。例えば昼食の外食利用時などは、訪問店がほぼ同じという人も多い。そこまでいかずとも、数店舗を回し利用している。これが夕食となると、利用範囲は広がりを見せる。移動時間に余裕を持たせられるのに加え、利用頻度が昼食ほど高くは無いので、その時の気分や予算、同行者に応じて行き先が選択される。この状態を提供側からみると、昼食時にリピート客が占める割合は、夕食時よりはるかに高いという結果につながる。客単価が低めの昼食時に安定した客数が見込めることは売上の安定にもつながり店にとっては有難い状況だろう。ただ昼夜営業の店にとって、収入源は夜間営業時である。例外もあろうが、大方の飲食店の稼ぎどころは夜間にならざるを得ない。アルコール類が加わっての客単価の高さと、営業時間の長さからくる売上額は、昼食時の数倍となって当然だからだ。ただ、安定した売上と言う意味で夜間営業においても、固定客は非常にありがたい存在となる。ゆえに、どの店でも、リピート率をあげるための努力は惜しまないはずで、その努力の跡が見られない店は早晩閉店を余儀なくされるだろう。ならば客数を補えるほどの高い客単価で稼ごうとしても、それには料理・雰囲気・サービスの特質性と立地の優位性が必要で、一般的な店が簡単に目指せるものでもない。 

つまり、顧客固定化、なじみ客の確保は、飲食店にとって最も重要な要素であり目標でもある。これは宿泊施設でも同様で、余程のネームバリューか特別な立地を擁していない限り、リピート率は運営の成否に影響する。その視点からみると、新聞誌上で、何段かの大広告を頻繁に出しているホテルがあるが、高額な広告料を払い続ける理由は、余程、客室数が多いか、リピート客が非常に少ないか、のいずれかではないかと勘ぐってしまう。言葉を変えれば、うちは一見客だけしか来ないです、と明言しているかのように思える。広告宣伝の効果を無視するものでもないが、あまりの露出はかえって、内実の乏しさを想像させてしまう。また、何度か訪問したことがある、10室前後の殆どがリピート客で埋まる良質の宿泊施設が、食をメインにしたテレビの紀行番組で体験紹介されたとたんに、新規予約が殺到したため、“しばらくの間、満室状態が続きます。ご迷惑をおかけします”との謝罪メールが届いた。それら新規客がめでたくリピート客に移行してくれるなら、テレビへの露出も有益だが、果たしてどうなのだろう。結果の是非はかなりあとになってみないと分からない。リピート率の高さは、その対象の真の力を表わす。 

ことほどさように、リピート客の確保は、サービス業にとって何より大切な命題ではあるが、かなりの難関でもある。個人的にも、二度目の無い飲食店は少なからずあるし、その魅力に惹かれ再訪問した旅館は数少ない。次は異なった地域を楽しみ・異なった施設に泊まってみたいと思うのが自然の欲求だからだ。だから、現実の数値で、リピート客が占める割合がとても高い旅館やホテルの努力はいかばかりかと、尊敬しきりであるが、固定顧客は年を取り、環境も変わる。流動する。よって常に3割以上の新規客は必要となる。その新規客の多くがリピート客になってくれれば、その店・施設は盤石といえるだろう。                   間島

                    2018年9月3日     

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顧客満足の複雑さ 116 「ようやくプラスティックごみ対策」

顧客満足の複雑さ116「ようやくプラスティックごみ対策」 

                      飲食担当 間島 

何故日本は、各国に先駆けてのグローバルな規制実施に、極めて慎重なのだろうか。関連企業への配慮の深さゆえか。世界での、プラスティック製品禁止の動きのことだ。過剰なプラスティック製品の氾濫には、数年前から色々な場を借りて、またこの欄でも警鐘を鳴らしてきたつもりだが、まさにごまめの歯ぎしりで、市場は何の変化もなかった。ただここにきて世界の、主に先進国のプラスティックごみ対策の加速により、日本もようやく重い腰を上げだした。遅きに失すると言いたいが、まずは歓迎せねばなるまい。現実に何が出来て、どういう効果が出るのかは別にして。

国際的な動きを導いたのは、海洋汚染問題だ。世界で年間900万トンのプラスティックごみが海に流れ込むことによる海洋環境の悪化が、プラスティックごみ対策への国際的関心を急激に高まらせた。米国ではコーヒーチェーン大手のスターバックスなどが、プラスティック製使い捨てストローを廃止する方針を固めた。フランスは2016年からレジ袋配布を禁止しており、2020年からはプラスティックカップや皿の販売も禁止する予定だ。英国でも2019年からストローやマドラーの販売を禁止。インドは2022年までに使い捨てプラ製品を全廃するというから驚きだ。日本で、世界的な広がりに素早く呼応したのは外資系ホテルで、紙製ストローへの切り替えなどが加速している。

で、日本国の方針だが、近く「プラスティック資源循環戦略」を策定するという。戦略は、使い捨て容器包装などの削減、使用済みプラスティックの回収とリサイクル、植物を原料としたバイオプラスティックの開発と転換、の三本があげられているが、具体的な戦術・対策は見えていない。市民生活や産業への影響を慎重に検討する必要があるらしい。が、主に、産業(企業)への配慮が優先されていると思われる。現実の生活で、大量のプラスティックごみに触れ、そして捨てているのは家事を預かる人たちだろう。一回のまとまった買い物で出るリサイクル不能なプラスティックごみは、生半端な量ではない。勿論、ペットボトルやトレイなどをリサイクルに回した後のことだ。もともとプラスティックストローなどは家で何年も使ったことがない身としては、ストローに端を発した動きに感嘆するものでもないが、何がきっかけでも良い。これを機に、プラスティックごみの現実を直視し、分析し、整理し、削減する方向に向かわねばならない。野菜などをはじめとする生鮮品の量り売りへの移行だけでも、大きく改善する。現状の個別ラップは、鮮度を保つためだとか、売りやすいとか、消費者も望んでいるとか等の理由付けは、わんさか出てくるだろうが、発想の転換が望まれる。ことは急がねばならない。プラスティックによる過剰包装は文明の証でもなく、誇るべき文化でもない。

                    2018年8月1日

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顧客満足の複雑さ 115 「食品添加物問題」

顧客満足の複雑さ115「食品添加物問題」 飲食担当 間島 

このところ、ある週刊誌の“食べてはいけない国産食品実名リスト”記事の連発が世間を賑わしているようだ。その食品に含まれる添加物が人体に悪影響を及ぼす可能性があるとして、会社名と商品名を列記したもので、まさに一方的弾劾裁判の様相を呈している。で、ついにはライバル誌が、“その食品は本当に危険なのか”の疑問を投げかけるにいたり、乱戦状態になってきた。このところの週刊誌は健康雑誌のようだが、個人的には、前誌が取り上げた食品添加物などによる健康被害の警告記事を押したい。というのは確かに、日本の食品の添加物天国状態は目に余るからだ。他国の状態は正確には知らないので比較できないが、日本の食品を安く仕上げるための方策として、添加物使用が当然のようにまかりとおっている状態は確かだろう。それが本当に危険であるかどうかは別問題として、加工食品や菓子・パン類、冷凍食品などの原材料を見ると、めまいがしそうなほどの添加物が表示されている。企業側の言い分はどこも“すべて厚労省が定めた省令にのっとって使用している“で統一されている。つまり法律違反はおかしていない、ということだ。 

他国の状況は知らない、と切り捨てて無知を恥じないのもいかがかと思い、若干調べてみた。結論は“分からない”となった。日本の添加物認可数はアメリカの2.6倍、ドイツの約5.5倍、フランスの約11倍と、とびぬけて多いものの、各国で基準や分類方法が異なるので一概には比較しにくい。せめて先進国間で国際基準を作るべきだろうと思うが、そのようなきざしは全くない。となるとやはり個人個人で、口に入れる食品に関して選択眼を持つ以外にはない。添加物により食品が飛躍的に長持ちをし、味も良くなり、衛生的になったのも事実なので、それらを危険視する週刊誌報道の過激さにも眉をひそめたくなるが、亜硝酸塩(発色剤)とソルビン酸(保存料)、タール系着色料の3種類が添加されている食品だけは、我が家でもなるだけ購入しないようにしている。添加物使用の黎明期ならいざ知らず、今はそれらを添加せずとも一級の食品を作り出す技術は開発され、実行している会社も実際に存在するのだから、添加物使用の有無は結局のところ企業の倫理観次第ということになる。 

問題は、添加物が少なければ少ないほど価格が高くなりがちなことだ。果実と砂糖のみで作られたジャムは、ゲル剤やPH調整剤などが添加されたものの2倍近くはする。ハムでも、発色剤やリン酸塩、ソルビン酸不使用の無塩せきのものは、通常のハムの1,5倍の価格だ。添加物が多ければ多いほど価格が安いという、おぞましい現実も購入の判断の是非にいれるべき時代になっていると思う。健康もお金次第、となってはいけない。消費者に届ける食品は安く安全が原理原則で、希少食品や原価そのものが高い食品に限っては、それ相応の価格を付けて売ればいい。添加物まみれの食品が自然に淘汰されるとすれば、それは消費者次第なのかもしれない。 

                2018年7月10日                                               

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顧客満足の複雑さ 114 「インバウンドの増加と末端経済」

顧客満足の複雑さ114「インバウンドの増加と末端経済」 間島  

訪日外国人の増加は今のところ、とどまることを知らないようだ。地形学的に見て観光客の出身国にかなりの偏りがあるものの、新たな国からの訪日客が加わることで、その偏りも徐々にではあるが分散されてくるのではないかと思う。つまり万国から人がやってくるという理想的未来構図だ。アジア各国はまだまだ成長過程にある。観光客として今までに経験のない国からのお客さんも増えてくるだろう。となると、交通機関や小売店・観光地にほぼ定着した案内言語の種類、つまり日本語に英語と中国語とハングル語、この4種の言語にまた何種類かが新たに加わるかもしれない。おもてなし精神にあふれる日本人のことだ。遠くない未来、世界の言語が随所随所にほぼ羅列され、絶えず各国言語での案内放送が流れている状態を想像すると、いささか少し頭が痛くなる。 

かつてドイツを訪問した際、総合的にとても整った、折り目正しい国との印象を持った。ただ、観光客に優しいというわけでもなく、地下鉄では標識案内板は原則ドイツ語のみ、よくて英語併記で、おのぼりの我々観光客たちは下車駅を間違えないようにとても緊張していた記憶がある。車内放送はもともと無い。駅のホームにある駅名標識を必死でチェックするしかなく、不親切な国だなあと思ったが、こちらが異邦人なのだから仕方が無い、という認識もあった。今は多くの移民を抱える国として、どういう状態かは分からない。一方、日本に来る外国人客はうらやましい限りだ。デパートでも駅でも自国語の放送が流れる。日常に利用する大阪府と和歌山県を結ぶローカルな電車内でも、中国語の案内音声が流れる。今まで、それらしき観光客は見たことが無いのだが、とにかく流れている。おもてなしは無償の愛に通じるのだろう。 

これだけ増えたインバウンド効果が経済を潤しているはずなのに、その利益はどこに還元されているのだろうと不思議に思うことがある。経済は分からないことだらけだ。人手不足によりパートやアルバイトの時間給が引き上げられているのは分かる。需要と供給のバランスの問題だからだ。しかし、観光客増加で、立地に恵まれたデパートやホテル、交通機関、飲食店などは軒並み売り上げを増進しているのに、そこで働く人たち、正社員の給与が増えたという話は聞かない。忙しくなっただけだ、との嘆き節を聞いたこともある。企業が内部留保を増やしているのか、別件に投資しているのか、またはこっそりと仲間うちで使っているのか、蚊帳の外にいる人間としては、色々と想像してしまう。 

街を歩けば景気の良い風景に出会うことが多いのに、国内消費量が伸び悩んでいるのは、これもまた何故なのだろうと思う。日本人は豊かになったので、あえて欲しいものがもう無いのか、将来への不安感が強く家庭内留保にいそしんでいるのか、本当に貧乏なのか、いずれにしても、いびつな経済指数だと思う。潤沢な国内消量で、常に景気の良い米国と比べ、日本人は賢いのか、臆病なのか、慎重なのか、自分も含めて謎が多い。                  

                                               

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顧客満足の複雑さ 113 「実生活でのゆとり感とは」

顧客満足の複雑さ113「実生活でのゆとり感とは」飲食担当 間島 

間取りフェチとまではいかないが、一戸建てやマンションの間取りを見るのが好きだ。そこに住む自分を投影して、色々と想像をふくらませるのは結構楽しい。間取りの中で、つまらないなと思うのは、ハウスメーカー設計の元で建てられた殆ど同形式のものだ。普遍的ではあるが、そこに住むであろう人の、環境や個性が感じられず、したがって面白みは無い。特に水回りはワンパターンで、興味を引くスタイルのものは殆どない。一様にかなり狭く、機能的ではあるがゆとり感は少ない。ここに、生活環境に対する日本独特の価値観の名残りを見ることができる。表向きの、床の間などを備えた客間文化と、実生活裏ゾーンとの落差とでもいおうか。 

それに関連するが、ある共有制コンドミニアムの間取り広告が新聞誌上に掲載されていた。兵庫県のリゾート地に日本の企業が売り出したもので、管理会社による清掃サービスやルームサービスもついたホテル機能を備えているのが魅力らしい。しかし、その詳しい間取り図を見て驚いた。専有面積が55㎡の部屋から135㎡の部屋まですべてに、トイレ・洗面所・風呂の水回り施設が一か所しか無かったのだ。135㎡の部屋は2ベッドルームに2つの和室を備えており、リビングルームも大小2室あった。多分、マックス10名は泊まれるだろう。それで、トイレ・洗面所・風呂が一か所である。それより狭い部屋では言わずもがなである。これではとても、コンドミニアムとして、世界的には通用しない。この規模ではリビングルーム1室を削っても、トイレ・洗面所・風呂は最低二か所。さらに洗面台は広々としたダブルボールが常識だ。日本のコンドミニアムには、土地の狭さからくる合理性と片づけられない、実生活面での非ゆとり感がそこにあった。

ビジネスホテルの水回りの狭さは、まだ理解できる。一部屋を売る商売なので、出来るだけ部屋数を増やさなければ採算が取れないし、客も原則一泊程度のビジネス利用で価格的に見ても広い水回りは無理だろうとの諦めもある。しかし自宅や、癒しの空間を売るべきホテルやコンドミニアムは、より広くリッチ感のある水回りスペースが必要だ。日常の使用頻度が高い場所にこそ、ゆとりの空間確保が望ましい。以前、シティホテルのリニューアルで、新たに出現した6名宿泊可能ルームを見学させてもらった時、トイレが一か所しか用意されていなかったことにも驚いた。一方、かつて女性4名で宿泊した旅館で、トイレは一か所だったものの、洗面台がダブルボールで朝の支度時にとても便利だったことを思い出した。ひとえに提供側の理念に基づいた仕様といえる。しかし、まだまだ原点での生活面で、本当のゆとり感を重視するまでに至っていないのか、単に業者の儲け至上主義が先行しているのか分からないが、真の快適さへの道はまだ完成していないように思う。一方で、日本のサ-ビスエリアのトイレの充実度は群を抜いているし、代表的な巨大ショッピングモールのトイレも、広さと機能性では満点に近い。どちらもかなりの投資額が予想される。結局、要はどのポイントにお金をかけるのか、の結果が如実に表れているのだろう。

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