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 顧客満足の複雑さ132「集中需要より分散需要」

      顧客満足の複雑さ132「集中需要より分散需要」

忘年会シーズンの到来は、祝休日と同じ意味合いで、歓迎しにくい人もいるだろう。理由としては、期間中の市場価格の高騰並びに需要増加による不便さだが、まずは需要増加があって、それが高騰を呼び寄せるという、切っても切れない因果関係がある。11月中旬以降からシーズンが始まり、クリスマス後に終息するのが常で、外食業界の12月の売り上げは毎年、前年比を上回り順調に増えており、この時期のさすがの需要力を見せつけているが、身近な市場では、風景が若干変化しつつあるようにみえる。飲食店の予約が取りやすくなっているのだ。 

最近のある新聞の調査で、興味深い結果が出ていた。働く人達へのアンケート調査で、会社関連の忘年会は何回が良いか、という問いに1回が52%、0回が36.3%で、約9割の人が、1回以下が望ましいと答えた。かける時間も2時間が2.3%、1時間半が17.5%と、7割の人が2時間以内が適当とし、3時間派は2%に過ぎなかった。この結果は、会社への帰属心のドライさゆえと、とらえていいのか迷うところだ。これが、プライベートの忘年会だと、2時間が38.3%、2.5時間が18.8%、3時間派も18.3%と健闘している。この状況は、飲食店にとってはあまり有難くはない。多人数が短時間で利用してくれる会社関連の会は、席効率も良く回転率も高く稼ぎどころなのに、減少傾向にあるという。それが前述の予約が取りやすくなった、という現実に結びつく。小人数利用者にとっては歓迎すべき状況になってきたというべきか。 

数年前に友人と、ささやかな忘年会をした際、入店すると同時に2時間制と告げられ、1時間30分を過ぎたころには、ラストオーダーを催促され、5分前には精算をうながされるという、何ともあわただしい経験をした。その店は今年は2時間制を取っていないらしい。2時間制にこだわると、個人客は他店に逃げてしまうということだろう。一方、需要増加による価格高騰と予約の取りにくさは、宿泊業界での年末年始、特に31日から1日にかけては歴然と残っている。製造業では需要が増えれば量産することで対応可能だが、宿泊施設は部屋数は一定なので、需要が集中すればするほど、価格高騰に結びつくことになる。高くても売れる、という構図だが、需要集中日が年末年始に限られる、という弱さがある。会社関連の忘年会需要も飲食店と同様に減少傾向にあり、かつてのゴールデンシーズンの勢いは無い。年末年始だけで一年分を稼げれば問題は無いが、やはり一年中、浮き沈みなく集客できるのが望ましい。外から与えられるハイシーズンに頼った商売の危うさを直視し、オフシーズンを安定したオンシーズンへと変えるための知恵や努力が望まれる。地域あげての戦略も必要だが、自店自ら、魅力を創り出すことで季節を問わず集客することは充分に可能だ。飲食店の場合は、クリスマス前の一週間ほどは、多くの店が平常の3割増し以上の値付けの特別コースを組むが、果たして望むべき需要があるのかどうか疑わしい限りだ。それより、むしろこの時期には店から平常価格プラスアルファーのサービスが受けられる、というサプライズの方が余程、客の心を掴めると思うのだが。

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 顧客満足の複雑さ131「広報の意義と実行」

      顧客満足の複雑さ131「広報の意義と実行」 

ある程度の規模を備える企業なら、業種業態を問わず広報部門があって、対外の関係者および不特定多数に向けて自社のPR業務を行っている。広報とは“一般に広く知らせること”を原則としながら、目的は自社のファン作りであり、社内の一丸化である。各社によって、具体的実施方法の差異はあるが大体が似通った広報活動となっている。宿泊業界や飲食店業界も同様である。ただ、それが成功しているかどうかの判断は難しく、直接売り上げに即、結びつくものもあれば、効果に時間がかかる活動もあり、一概にこの方法が正しい、と言えるものでもない。広報活動が似通ったものになる所以でもある。しかし、情報化社会において、広報の意義は大きく、決してないがしろに考えてはならないと思う。そして、中小企業ほど広報が必要なのに、実際に力を入れているのは、大体が大企業ないし有名企業という現状がある。

広報というと、部門を作り専門人員で組織化し経費もかける、との認識から、中小企業ではとてもそこまで手が回らない、との反論がありそうだが、多種多様な広報活動は大小にかかわらず企業にとって必須であるという意識の転換が必要だろう。まず自社・自店の存在を知ってもらい、何をどのように売っているのか、そこにどのような魅力が付加されているのかを知らしめずして、どんな将来図を描けるのだろう。一般消費者向けのビジネスではなくても、チャンスは意外なところからやってくるものだ。一人一人の背景には、また異なる人がいて、さらに異なる環境が広がっていく。一例として、車での移動中、前の車の後部や側面に会社名が記載されているのを良く目にする。社用車だろうが、会社名のみなので一体何の商売をしているのか分からないケースが殆どだ。もしそこに、取扱い商品や何のビジネスかが分かる見やすい文面があれば、頭の一隅に残る。ひょっとすると探している分野かもしれないし、知人が関連している分野かもしれない。ひとりの人間はひとりではないのだ。広告の場を自ら閉ざしているようなもので、車体広告費が発生してもテレビなどとはまた異なる効果も期待できよう。

有名企業であろうと、広報活動を怠ると必ずしっぺ返しは来る。人は忘れやすいし、自社名は思うほど浸透してもいない。あるテレビ番組で、出演している芸能人の名前を街の人に尋ねる、という企画があった。大物芸人と自負していそうな出演者たちが正確な芸名を呼んでもらえずに次々と討ち死に?していた。世間とはそんなものなのだ。ショック度が大きすぎたせいなのかは不明だが、その番組企画はすぐに姿を消した。広報の真髄は、謙虚さと一生懸命さに尽きる。繰り返し自社・自店を思い出してもらう、という活動は無駄に見えても、ボディブローのように効いてくる。最近、自宅近隣の飲食店が閉店した。割烹か小料理店の店構えで、気にはなっていたのだが、とうとう行かずじまいだった。その店からの広告パンフなどは届いたことはなかった。閉店の理由が定かではないので決めつけることはできないが、徒歩圏内にある住民に対して何の熱意もPRもなかったのは確かだ。経費をさほどかけずに実施出来る広報はいくらでもある。やってみることの大切さが広報の意義と、言えなくもない。                         2019年11月1日

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 顧客満足の複雑さ130「接客の形の変化と不変」

   顧客満足の複雑さ130「接客の形の変化と不変」 

時折ランチで利用する二つの飲食店が、タッチパネル式での注文に変わっていた。今までも、良く利用する回転寿司店ではタッチパネル式オーダーが主流だったので、別段、驚愕することもないのだが、この傾向はどの業種業態にまで浸透していくのか、興味をそそられた。店側の目的は、人手不足に対応するための接客時間の減少とオーダー受けミスの減少の両方取りなのだろうが、タッチパネルでの取り扱いに戸惑いを隠せない客への操作説明にスタッフがつきっきりの場面があちらこちらで見受けられた。客が慣れるまで相当の時間がかかりそうだが、いずれスムーズに当たり前の形として、この店では機械相手の注文が日常化していくのだろう。そこでどれだけの人手不足解消効果等が出るのか、実数として知りたい気はする。

コンビニエンスストアでは、24時間営業の是非が問題化しているが、一部の店では実験的に夜間無人化営業に踏み切ったという。入店するには何通りかの方法があり、客はどれかを選んで入店し、買物をして、自動レジで支払を済ませる。これも慣れない客の不平の声も聞かれているが、次第に、本当に深夜に買い物をしたい客だけが上手に利用していくのだろう。人間は慣れてくるものだ。機械相手の接客は今に始まったことでもなく、銀行のATMの歴史は古いし、駅の改札自動化も当初は画期的なものだった。無人化対象が広がっていくという流れは、社会構造の変化からみても止むことはないと思われる。その内、銀行の窓口が姿を消し、コンビニも昼間であっても、自動レジ化が進むのは充分に考えられる。

そうなると、未来に見えるのは縮小社会に他ならない。人口が少なくなれば機械ができる仕事は機械にまかせるのは当然の帰結で、その傾向は一層加速していくに違いない。いささか無味乾燥的な社会を連想してしまうが、都会は相変わらず人であふれ、人に酔うほどだ。利用者とサービス提供者の数的バランスが崩れ始めているのかもしれない。縮小社会への予感は、色々なところで見られる。もう今以上に、人口が増える時代はやってこないと覚悟すべきであって、そうなると売り上げを増やすのは困難で、経費削減に注力した方が得策だ、ということになる。その状態は悪いことばかりでもない。すさまじいまでのフードロスも見直しが進んでいる。一例だが、作りすぎて毎年売れ残り在庫を廃棄せざる得なかったXmasケーキを完全予約制に移行した店もある。これも一種の縮小経済だ。ただいつの時代でも、交流が大きな魅力となり、武器ともなっている業種業態は歴然と存在する。何十年も地域に根差している喫茶店や飲食店、そして人が安らぎと気分転換を満たしに訪れる宿泊施設などは一線を越えての無人化は難しい。刻々と変化していく社会で、接客の形も変化せざるを得ないが、不変性をどこにどうやって残していくのかの見極めが、ことさらに重要になってくる時代が来ようとしている。                       2019年10月1日

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 顧客満足の複雑さ129「リスク管理が重要」

      顧客満足の複雑さ129「リスク管理が重要」

すこぶる好調に推移していた韓国人訪日観光客が激減しているらしい。言うまでもなく日韓関係悪化が原因だが、日本の受け入れ側業者の中には、危機的状態と憂う声が聞かれる。今まで何もせずとも、旅行業者が送り込んでくれていた顧客がばったりと途絶えたら、それはやはり商売あがったりで死活問題には違いないが、今のところ、7月単体で7.6%減で、約56万人の韓国人観光客が訪日している。日本から韓国への月平均観光客数25万人前後と比べても、倍近い。ただ今後の減少は加速すると見る向きもある。それでなくても、韓国経済そのものの悪化は以前から指摘されており、訪日客数は今回のように極端ではなくても、徐々に減少していっただろうと思われる。

ビジネスは甘くはない。いつなんどき、上顧客を失うことがあっても不思議ではないのだ。そんな例は、飲食店をはじめ枚挙にいとまはない。そのようなときにビジネスの危機を最小限にとどめるのは、日ごろからのリスク管理に他ならない。ある特定の顧客層に頼りすぎないこと。これに尽きる。大阪の中心地に、目立つ看板で有名なカニの飲食店がある。自身も数年前までは、年に何度か訪問していたが、今は行かなくなった。中国と韓国からの観光客で店は占められ、日本人客が入る余地は無い、という噂が広がったからだ。事実、店の前を通ると、エントランスは観光客であふれ、日本人ならちょっと二の足を踏むだろう。これからもこの店は、外国人観光客だけで、充分に儲けられるのだろうか。 

違う例もある。市内で何軒か飲食店を経営している知人は、外国人客の受け入れは店のキャパシティーの2割以下に抑えている、という。外国人団体客の申し込みは激増しているが、どんな時でも、つまり空席が多い時でも、2割以下に限定していると。でないと、本来の日本人客が来なくなってしまうからだという。客同士、国籍を超えて仲良くグローバルに楽しめばいいのに、と性善説的な呑気なことを言えるのは、店の未来には責任のひとかけらも無い人達だ。知人の方策は賢明だと思う。リスクの分散はビジネスの基本であって、それを怠ったがために撤去を余儀なくされた例はいくらでもある。旅行業者が送り込む団体客に頼り切っていた巨大旅館は、ことごとくつぶれた。個人客の開拓などする気も起らないほどに、大量の団体客でうるおった時期は、それほど長くは続かなかったということだ。 

韓国人観光客の減少は、地方の施設にとっては辛いものだと思う。もともと日本人客でうるおっていたわけでもなかったのが、ここ2~3年、吃驚するほどの外国人観光客が来てくれて、ほっと一息ついた矢先のことで混乱状態にあるだろう。ただこういうことは、いつでも起こりうる。リスク管理の重要性は、時代を超えて、また業種業態を超えて不変であって、今からでも異なる販路拡大に経営者自ら走り回る覚悟で臨めば、また道は思いがけない形で開けるものと信じたい。 

                   2019年9月1日

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 顧客満足の複雑さ128「ホームページの再チェック」

      顧客満足の複雑さ128「ホームページの再チェック」

今や、内容の充実度の差異はあるものの、自社のホームページを持たない宿泊施設は皆無と言っても過言ではないだろう。ネットで検索して出てこないと、途端にその施設への信用度はゼロに近くなる。それほどまでに、ネットの存在は大きくなった。これもほんの20年ほどである。かつてはゆっくりと文明は進化していき、20年の差は、変化の流れを把握できる期間だったが、ネットの普及は確実に、文明のというより、情報の伝達速度を変えた。今後、どのような進化を遂げるのか、空恐ろしささえ感じる。然しながら、人間が人間として生きるには、快食快眠快便が基本であるのは、どの時代にあっても変わることはなく、それを考えると、少しほっとしてしまう。

さて、宿泊施設のホームページだが、利用者側から見れば、親切度というか、充実度は大きく異なる。ネット検索者の検索理由は様々である。最初から宿泊を決めて空き室チェックなり、料理選別なりをする人もあれば、どこか適切な施設を探して観にきている人もいる。そのいずれにも、完璧に対応しなければ、ホームページの意味がない。まず後者にとっては、魅力をいかにアピールできているかの是非である。平面画面のみが何ページか続いておわり、という極めて面白みのないのもあるが、やはり画面は立体的で流動的でなければ興味を惹きつけられない。自店の売りは、どこなのか、温泉施設なのか、料理なのか、眺望なのか、部屋なのか、自慢できるところを集中してアピールすべきであるし、料理などはファミリー層向け、高齢者層向け、また大食漢向け、いいもの少し派向け、豪華好き向け等、選択肢は多い方が時代に即応している。部屋もしかり、温泉もしかりである。加えて周辺の観光スポットをうまく情報として取りいれた、観て楽しいホームページが望ましい。せっかく作成しても、動きの無いペラペラ感がある画面では、客を取りこむことは難しいだろう。今一度、自店のホームページの見直しをはかるべきだと思う。

前者の、宿泊を決めて検索してくる人への配慮は、とにかく画面を動かしやすいこと、これにつきる。そして宿泊日にどのようなプランが用意されているか、選択肢を広げる親切さも必要だ。この一連のながれも、不便さが無いかどうか、常に客の立場にたって、再チェックする必要がある。

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 顧客満足の複雑さ127「記憶に植えこむものは」

     顧客満足の複雑さ127「記憶に植えこむものは」

飲食店にしろ、宿泊施設にしろ、構成する要素はほぼ同じである。前者は料理とサービスと雰囲気。後者はこれに風呂施設が加わる。雰囲気は部屋と言い換えてもいい。それらのレベルで客単価が決まるわけだが、要素と客単価が見事にマッチングしていることもあれば、かなりの齟齬をきたし客の支持を失うこともある。やはり値付けは難しいマーケティング力による最終結果だ。それが、まず最初に値付けがあり、内容はあとから考えて、つじつまを合す、といった印象の店も結構目につく。

客単価一人3万円の店がテレビで紹介されていたが、料理を構成するのは、あわび、ウニ、マツタケ、和牛などの誰でも知っている高級食材の羅列オンパレードショーである。家賃も高いところなので、一日客2人でもいいから、客単価3万円ください、という思惑が見え見えの感がする。大体が新しい店で、これを売る、という目玉もなく、ただただ高級食材を提供するに終始する。何十年もその店の味を売ってきた老舗店とは比ぶべきも無い。新規参入大いに歓迎なのだが、やはりその店独自の技というか味で、そこそこの素材を使って1万円以下で提供する気迫をみせてほしい。 

さて、宿泊施設となると、値付けは複雑化する。ポイントを握るのは雰囲気だろうか。カニやフグなどの特別食を提供する宿は例外として、料理で客単価を決めるのは難しい。多少豪華か否かの差異が見られるにしても、お腹に収められる量は限界があり、また記憶として料理は、記憶の優先順位の上席にはこない。つまりたいして覚えていない、ということだ。大体が会席風の想像の枠内に収まるパターン化された料理であって、もっと刺激的にあっと言わせる料理があってもいいと思うが、なかなかお目にかかれない。一方、風呂は記憶に残りやすい。眺望、広さ、自然との一体化etc、五感を刺激するに充分な役割を果たす。ある旅館で、風呂を海とのインフィニティ式に改造し、同時に客単価もあげたところ、それでも客数が1,5倍に増えたという。自身にしても、谷間に位置し周辺を山に囲まれた中での露天風呂の記憶は鮮やかに張り付いて消えることは無い。また是非、と思うが残念ながら機会を得られずにいる。また、北海道の海を遠く見張らせる、御影石のすっきりとした長方形の広い露天風呂も、フラッシュバックして映像が蘇る。豊かな自然を独り占めできるリゾート式施設は、一泊十万円でも予約が取りにくいと聞いた。つまり自分のワールドがどれだけ広がりを見せるかが、価値を左右するのだと思う。 

人間の記憶に焼きつけるもの。もし風呂や環境に恵まれなくても、それを見つけなければならない。何に感動してもらうのかを見出し、創造し、磨き上げ、それを宝物にするのだ。旅行に行って帰りました。旅館に泊まりました。で、数日たてば忘れ去ってしまう。そのお客の脳裏に記憶に鮮やかに残るものを提供せずして、何の客単価だろう。いつでも蘇る楽しい・素晴らしい記憶。その中に自分の店が、旅館が入ることは、それほど難しいことではない。

 

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 顧客満足の複雑さ126「プラごみ削減に関する視点」

   顧客満足の複雑さ126「プラごみ削減に関する視点」

 プラスティックごみによる海洋汚染の深刻化を受けて、主に先進国主導の規制の動 きが活発になっている。世界の海に流出しているプラスティックごみが激増しており、魚類にもたらす被害がひいては人体に及ぶ危険性に、先進国が危機感を覚えた、ということなのだろう。被害が後進国内で収まっておれば、これほどの動きはなかったのではないかと勘繰りたくもなるが、海の汚染となると見捨ててはおけない。そこで、有機廃棄物の国際移動を規制するバーゼル条約の対象に、汚染された廃プラスティックを加えることが国際会議で決まった。先進国から途上国へ輸出されてきた膨大な廃プラの相当量が処理されぬままに捨てられ、結果として海を汚してきた。だから元を絶つことで、海への廃棄量の減少をはかろうとするのは、分かりやすい方策ではある。その他にも、取り組むべき対策は気が遠くなるほどあるが、まずは一歩一歩ということだろうか。 

 で、新聞各紙も廃プラごみ問題は、かなり重要視して頻繁に取り上げている。ただ問題の核心をどこに置くかで、論調がかなり異なるのは言うまでもない。某新聞の最近の社説を読んで、徹底した上から目線の内容に失笑を禁じ得なかった。まず日本は米国に次いで一人当たりの使い捨てプラごみ量が世界で二番目に多いとし、その量を減らしていかねばならないと説く。それには一人一人が日々のくらしを見直せとも説く。レジ袋や食器、ストローなどの使い捨てプラを利用しないようにして意識の共有が大切だとし、プラスティックの使い放題はもはや許されない、と結んでいる。日々、家から出る半端ではない量のプラごみに心を痛めている身としても、減らす具体的策を教えてほしいところだが、廃プラの一番の配給元である企業の姿勢に関しては、その新聞社説には一言もない。また実際に海を汚染させている海洋ごみ排出国に関する記述も無い。ちなみに喫緊のデータでは中国が882万トンで全体の28%を占め、以下インドネシア、フィリピン等アジア各国とアフリカが続く。アメリカは28万トンで20位、日本は6万トンで30位だ。これをもって、日本は少ない方だなどと逃避するつもりはさらさら無いが、現状は正しくかつ合理的に把握しなくてはならない。情緒的論調だけで読者を教育してほしくはない。 一方、前後して他新聞に、プラごみ撲滅の切り札、と称する記事が掲載されていた。日本の化学メーカー大手カネカが、海水中の微生物による分解が可能な素材を開発したという。それは生分解性ポリマー「PHBH」だ。100%植物由来のプラステ ィックで、30度の海水で6カ月以内に90%以上が水と二酸化炭素に分解されるのが特長。同社はPHBHの世界需要の増大が予測される2022年までに、2万トン規模の生産可能な製造設備の導入を検討している、とあった。すでにセブンイレブンなどでPHBH仕様のストローを提供するほか、資生堂はカネカとPHBH由来の製品共同開発に合意したという。なかなかの朗報で、国が積極的に支援すべきだと思う。廃プラごみ問題は、量の削減で効果が出るのを待つより、プラスティックそのものの環境への無害化を実現する方が解決への道筋が早いのは、だれもが考えれば分かることだ。先の新聞の一人一人の心構えを諭される記事より、はるかに前向きで現実的な内容に、各メディアの基本的姿勢の違いを見たというのは、早計すぎるだろうか。  

 

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顧客満足の複雑さ 125 「個人主義と集団主義がもたらす光と影」

   顧客満足の複雑さ125「個人主義と集団主義がもたらす光と影」

関西国際空港近辺エリアではホテル建設ラッシュが続いている。100室~250室の中規模スタイルで、部屋はツインルームが主流、価格は1万円足らず。ビジネスマンの出張需要型シングルルームが多い、既存の都市型ビジネスホテルとは一線を画した仕様になっており、対象を100%訪日外国人観光客に絞り込んでいるのは明らかだ。その殆どはレストランを有しておらず、宿泊客の朝食は、ラウンジやそれ専用の宴会場をもって対応している。そういう流れの中で、最近オープンしたホテルは、国内でのチェーン展開を図る有名企業のブランドのひとつで、上階に正式なレストランが入っていると知り、大いに期待していた。車で20分前後の距離にあり、利用してみたいものだと。ところがオープン後のホテルホームページを見ても、レストランの詳細案内は掲載されていない。で、よく目を凝らしてみるとレストラン写真の下部に「朝食1000円、夕食2000円」の提示があった。そういうことか、と納得がいった。このホテルは、いわゆる宿泊客囲い込み型施設であって、レストランも宿泊客専用であり、外部客を対象としていないのだ。 途端に興 味を無くした。宿泊客は、ここで1000円の朝食を取って観光に出かけたのち、2000円相当の夕食を取って一日の閉めとする。修学旅行生をメイン顧客ととらえてオープンした、ユニバーサルスタディオジャパン近隣のホテルと同じコンセプトなのだ。一人一律数万円の特定格安団体ツアーをさばくためのホテルであって、地域住民は全く無視されている。このような完全に特定外国人団体観光客を対象と捉えたホテルは、外国主要都市にもあるのだろうか。ただ時代の趨勢が変われば、このレストランも一般客向けのメューを用意して対外に宣伝する日が来るかもしれない。集団から個へ。そんな変わり身の早さを予感させるホテルの誕生だった。

 1948年に祝日法が制定されて以来、最長という10日間大型連休の話題はもっぱら日本からの海外旅行状況に集まっている。JTBによると海外旅行の予約はこの時期の例年8割増だとか。期間が長いことから、行き先も欧州やハワイ、近隣国に わたって分散されているようだ。その意味では選択肢の広がりを持てる連休となった。一方、喜んでばかりもおられない企業・人達も多い。非正規雇用者しかり、病院しかり、製造業しかり、激務が予想されるサービ業しかり、教育関連しかり。要となる道路やエリアの酷い混雑等は、普段使いの人にとっては大いなる迷惑だ。某新聞が実施したアンケートでも、10連休を歓迎しない派が、6割を超えていた。連休イコール旅行イコール経済効果、という何とも古臭い政策を政治家や役人の浅知恵、と切って捨てた意見があった。お上の号令の元、一斉に休む日本人の働き方に疑問を抱く声も多い。このような集団での休暇の取り方しかできない日本人が外国人観光客のことをとやかく揶揄するのも、妙なことかもしれない。ご退位ご即位という慶事を国民として喜びつつ、いつになれば、個々人がまとまった休暇を独自の計画に基づいて取れる時代が来るのだろうかと思う。

 

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顧客満足の複雑さ 124 「健全なおもてなし」

      顧客満足の複雑さ124「健全な、おもてなし」

 日本の労働生産性の低さの遠因として、度が過ぎるサービス文化をあげる意見がぼちぼちと聞かれ始めてきた。日本が誇るおもてなしは、結果として生産性を低めている、ということらしい。ただ、一口にもてなし文化と言っても、様々な要素がからみあっているので、どの部分を削れば、より生産性が上がるのかの明確な分析は難しい。喫緊の具体論で言えば、コンビニを始めとする店舗の24時間営業や、希望時間宅配システムなどがあげられるだろう。消費者にとっての便利さは、ときとして企業と働く人の消耗を生む。果てしの無い消費者のニーズを満足させるために、企業はまい進してきた。まずは自社商品を購入し、利用してもらわなくては利益を獲得できないのは自由市場では当然なので、便利さと、高品質と、安価は、そのための必須条件ととらえられてきた。勿論、その範疇に入らない絶対的価値を持つ商品もあるが、概ねその三つがビジネスの根幹条件だろう。その中で、最も日本的なものは、便利さではないかと思う。その便利さの永続性が、今、問われている。少しは不便さも我慢すべきではないかと。でないと、提供側がもたないと。でもちょっと待ってほしい。コンビニは24時間営業すべきだと、消費者がデモをしたという話は聞かない。過度ともいえるサービスやもてなしは、いつも提供側の忖度と競争心と決意によって実施されている。 

そろそろ、おもてなしの意味の転換をはかっても良い。少子化はいや応なく加速する。人的サービスは限界に達する。便利さの象徴ともいえる日本全国にある自動販売機も、定期的に補充する人の手が無ければ成り立たない。訪日外国人観光客目当ての商法も右肩上がりの保証はない。国別に偏り過ぎた現状が、盤石だとは思えない。もっとも直接的に顧客と接する飲食店や宿泊関連も、今後のサービス体制を見直すべき時期かもしれない。健全で合理的ながら利益が出る、おもてなしへの転換だ。客自身の志向の変化に気づかないままに、旧態依然とした接客体制を続けていると結局、新たな顧客層の獲得が出来ずに、じり貧になってしまう恐れがある。一例として、多くの客にとって、部屋食は決して有難いシステムとは捉えられていないし、仲居制度や布団敷きも、ときとして面倒なサービスと思われている。だとすれば、今は大きなチャンスといえよう。接客行動の集約化を図るとともに、施設面への投資によって、未来構図を描くことだ。投資額は、客単価の上昇で回収するのが望ましい。消費傾向の潮流は変化し続けている。 

すぐにでも実施すべきは、笑顔とウィットで顧客の満足度を高めることで、言葉は悪いが、このふたつで、かなりの欠点はごまかせる。実際に、このふたつが不足している施設は結構あって、ただただ客をこなしている感は、意外に老舗や旧公的施設に多い。消費者も提供側も、未来にわたって持続実行可能なサービス体制のあり方を、模索することが望まれる。

           2019年4月1日  間島   

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顧客満足の複雑さ 123 「プラスティックゴミの憂鬱」

量販店でのㇾジ袋の有料化が加速している。プラスティック海洋ゴミによる環境汚染が問題化し、その対策のひとつとして先進国間で取り入れられており、日本でも早晩レジ袋有料化の義務づけが実施されると思われる。しかし、レジ袋有料化が、プラスティックゴミの減量にどれだけの効果をもたらすかは、はなはだ疑問でもある。何故なら、レジ袋は大方の家庭でゴミ袋として有効利用されているからだ。我が家でもしかり、生ゴミなどは必ずレジ袋相応の袋に小分けしたうえで、大袋に入れて出しているので、配布されなければ買うことになる。よって、使用する全体数が変わることは無い。ゴミ袋有料化による変化と言えば、月に80円ほどの家計負担がふえることと、無駄なゴミ量は若干抑えられるかもしれない。ただ、プラスティックゴミ量を減らすことは難しい。生ゴミと異なり、消費者だけの努力でゴミ量を減らせるものでもないからだ。殆どの商品がプラスティックゴミを連れてくる。 

最も問題化しているプラスティックゴミによる海への環境汚染だが、2050年にはプラスティックゴミ量が魚を上回るだろうという説もある。海洋ゴミを多く排出している発展途上国にまで、その危険性の意識が浸透するには気が遠くなる時間がかかりそうだ。となるとやはり喫緊の解決策は、発生させないこと、に尽きる。ペットボトルが一応、リサイクルゴミとしてかろうじて還元できているとするなら、すべての包装にプラスティック材の使用を禁止すれば、一気にプラスティックゴミ問題は解消する。無いものからは、問題は発生しない。ただ、一時的でも経済は後退するだろう。取扱い企業の混乱とダメージは予想を超えて大きいと思われる。また、プラスティック製品の世界規格を建てようと模索する欧米企業に、日本はうまく連携が取れないままに、後追い型になってしまう恐れもある。先進国では、プラスティック材の生産~消費を規制する動きが現実化している。 

プラスティックゴミ問題の解決は簡単ではない。国同士の攻めぎあいもあるだろうし、何より企業と消費者の責任所在の着地点もまだ見いだせていない。消費者としての小さな対策としては、詰め替えタイプの商品を買う、ばら売りの野菜や果物を買う、などがあるが、スーパーの売り場を見るとめまいがしてくる。ずらりと並んだ即席麺コーナーはプラスティックのオンパレードだし、対面のお菓子・コーヒー売り場も、プラスティック包装が殆どを占める。加えて、野菜や果物、魚・肉類までも、廃棄するしかないプラスティック材に大切に包まれている。日本はプラスティック天国だ。消費者が出来ることは限られており、これらのゴミ化防止への道は容易ではない。ただ世界の、特に先進国での動きは過激かつスピーディで、日本も現在の企業寄りの消極的な姿勢から脱する、有効な対策を世界に示す必要がある。プラスティック素材に代わる、自然回帰型の画期的な技術が日本から生まれる可能性を信じたい。今をときめくIT関連のGAFAより、地球そのものの存続に貢献できるのは確かだ。                       2019年3月1日  間島   

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