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顧客満足の複雑さ157(日本の強みとは一体?)

   顧客満足の複雑さ157「日本の強みとは一体?」

明けましておめでとうございます。まだまだ、朗らかに新年を喜んではいられない状況下ですが、それでも昨年と比べれば、街は活況を呈しているようにみえます。このままコロナも沈静化へと向かってほしいものです。 

人間、2年間も緊張状態を維持できるものでは無いと痛感する。外国でのロックダウンにしろ、日本での緊急事態宣言にしろ、大体が数週間ながくて2カ月程度で、いったん規制の緩和へと舵がきられ、感染者数の推移を見て再び厳しい制約が設けられる。世界は延々と2年間もそれを繰り返している。そして段々と人も慣れてくる。で、日本も年末年始、繁華街も観光地もそれなりの賑わいを見せていた。自分自身にしても、旅行や外食はコロナ禍にあってもそれなりに楽しんできた。日本のすごいところは、どこでもいつでも、ほぼ100%マスク着用が徹底されていることで、このような国は他には見たことが無い。世界のどこの映像を見ても、高いところで5割程度の着用率といったところだろうか。これをもって、日本が勝っているのか、異様なのか、を判断するのは難しいところだが、感染者数を比較すれば、やはり国民の対応が勝っていることへの異論は出ないだろうと思う。 

さてこの混沌とした経済・安保の状況下において、日本の強みとは一体何だろうと考えてみたが、先の国民の真面目な意識や行動に関連すること以外、あまり思いつかないのに愕然とする。ワクチンはいまだ完成されていないし、切り札の治療薬も市場では現実化していない。先日、自宅のトイレが故障し買い替えするほかは無くなったところ、メーカー曰く、トイレそのものが品不足状態に陥っているのだという。コロナ禍におけるベトナムやタイ工場での製造中断に加え、半導体不足が致命的な理由らしい。幸い、最寄りの大手量販店に在庫品があり、早急に交換してもらえたが、メーカーに任せておけば、今でも多分、不便をかこっていただろう。半導体不足?1980年代には、日本は世界の6割以上の半導体を製造していたのではなかったか。現在の惨状に至るまでの経緯は、多分明確なのだろう。どのような外圧があったにせよ、日本には強くてしたたかで先見の明のある経済人も政治家もいなかった、ということだ。では、”おもてなし”が日本の強みだろうか。確かに、日本の飲食店や旅館・ホテルより勝る上質のホスピタリティは、海外ではなかなか出会えないし、国民は親切な人が多い。訪日観光客にとっての体験目的の上位であり、外貨稼ぎの優等生であるのは間違いがない。しかしながら、日本の経済軸を支えるにはパイが少なすぎる。日本はもっと豊かになって良い。先のマスク着用率に限らず、その真面目さ・誠実さは世界が認めるところだ。その国民を束ねてリードするべき経済人や政治家・ひいてはメディアに求められるべき最も重要な素養は、”国益の重視”だろう。今の数倍、数十倍のてこ入れでも、世界では普通、となる。言葉は悪いが世界は、より狡く、よりしたたかで、よりえげつない。素直で人が良いだけでは国が傾く。リニアモーターカーにしても、東京大阪間を約1時間で結ぶことの意義を、国内に限った感覚でしかとらえられない意見もある。今の新幹線で充分ではないかと。考えてほしい。この技術を喉から手がでるほど欲しい大陸国家がどれほど存在するか。このままでは、日本がリニアカーの先陣を切るのが難しくなってきた。何とか世界でいち早く完成させて、日本の外貨稼ぎを増やしてほしい。加えて、国民生活の軸である食料とエネルギーの自給確保を真剣に目指さなければ、この国の将来は危ういと感じるのは悲観論すぎるだろうか。  2022年1月5日  間島

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顧客満足の複雑さ156(内需拡大を真剣に)

     顧客満足の複雑さ156「内需拡大を真剣に」 

国連世界観光機関(UNWTO)によると、2020年の国際観光客数は前年度より10億人減少。損失額は約113兆円に及ぶと発表した。全世界の観光規模は30年前と同レベルに沈んだらしい。観光はコロナ禍による影響をもっとも受けたと思われるが、タイやインドネシアは、諸条件があるものの徐々に外国観光客の受け入れ再開に踏み切りつつある。アジア諸国にとって観光業が国の収入に占める割合は大きく、重要度は先進国の比ではないだろうと推察できる中で、日本も徐々に入国枠を増やしつつあった。その動きに水を差したのが、南アフリカ由来と言われる、コロナの新しい変異株・オミクロン株で、感染者が世界で確認されだした。その詳しい性質はまだ解明されてはいないが、感染力の強さを懸念する声が多い。何とも不気味な事象で、激減状態の日本のコロナ感染者数に影響を及ぼさないことを祈るばかりだ。

さて今秋、京都でささやかな同窓の会に参加した。一年に一回の集まりで、かれこれ5年ほど続いているのだが、京都はインバウンド状況を表すモデルともいえる街なのだと痛感する。大体が晩秋の時期で、5年前はまだ外国人観光客の多さを意識しなかった。そして4年前には、河原町近辺はすさまじい人の波であふれていた。混乱を避けるべく乗ったタクシーの窓から見えたのは、通りを埋め尽くす人・人・人で、一種異様なものを見ていると感じた。紅葉の名所も人であふれ、紅葉狩りはあっさりと諦めたものだ。そして昨年と今年。京都は静かで居心地の良い古都に戻った。コロナ禍にあっても、マスク姿で密を避けた国内観光客が点在し、静かに京都観光を楽しんでいる。今後、益々増えていくだろう。在京のメンバーも現在の状態を歓迎していた。インバウンド減少の影響をもろに受けて苦労している事業者の方々には申し訳ないが、大方の国民の思いだろう。大阪・心斎橋の閉店ラッシュも落ち着いてきた。多くは外国人経営による外国人向けの店舗だった。さっと波がひくように姿を消してしまった。さて、何年後にまた復活するのだろうか。

少子高齢化で人口減を嘆いている前に、1億2600万人の国内消費をいかにあげるかの知恵と努力が望まれよう。ちなみにコロナ前の2019年の国内延べ旅行者数は5億8710万人で前年比4,5%アップ。消費額は7%アップの21兆114億円だった。同年の訪日外国人観光客数は3188万人で、消費額は4.8兆円だ。国内旅行消費額が圧倒している。単純比較でいえば、国内旅行者数が20%強増えれば、外国人観光客の消費額をほぼカバーできるということだ。あくまで計算上の数字なので現実はそうは簡単なことではないのは当然だが、まだまだ国内旅行消費は伸びしろがあるし、不可能な数字でもない。日本の各地方の魅力は並大抵のものではない。外国人のリピート率の高さが証明している。休日のあり方を含めて、国内観光消費の増加対策に真剣に取り組んでほしい。                            2021年12月1日   間島

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顧客満足の複雑さ155(表題の真偽と相対性)

     顧客満足の複雑さ155「表題の真偽と相対性」 

新聞は読んでいる。購読部数が全新聞社で減少しているが、新聞にはネットには無い良さもある。色々な情報が誌面に詰めあわされているので、読みたいものだけを取捨選択できる。またシリーズ化している記事が興味を惹けば、ひとつの楽しみにもなる。あとでじっくり読み返したい場合は切り取りも出来る。これらはすべてネットやユウチューブでも出来ないことはないが、選び方次第で情報がかなり偏ってしまうきらいはある。新聞は一紙の中で、政治・経済・文化・娯楽等々、寿司詰め状態だ。ただその内容がいい加減で、子供だましとしか言えないとすれば問題だ。 

某新聞の2021衆院選関連記事で、女性議員志望の少なさを提言していた。表題は「女性議員志望わずか8%」。どういう数字かと読めば、日本財団が18~69歳の女性1万人を対象に行った調査で、政治家になりたいかを尋ねたところ、“思う”と“やや思う”を合わせてもわずか8%弱だったという。記事は「議会には多様な世代と性別の人がいるべきだ」と訴えている。じっくりと読み進んで驚いた。その調査は31年前の平成2年に実施されたものだった。現状を提言するときに、31年前の調査結果を元にして内容を組み立てることなどあり得ない。しかも男性を対象にした結果は無い。男性の議員志望率が女性のそれよりもはるかに高いというデータが何もない。すべては比較対象してこその訴求力であって、ただ単に主張したいことを、はるか前のデータで無理やり関連付けしたとしか思えない。

比較することで物事を実証するのは相対的評価であって、正確で信頼できる最新のデータまたは実際の見聞が必要だ。コロナ情報はそれに属するが、往々にして情緒論に陥り、ただ不安をあおるのが目的になってしまっている場合も多くある。本当の情報を欲しければ自分でデータを探し、自ら分析することは可能だが、面倒ではある。よってテレビや新聞(新聞の方が少しはマシだが)の情報を表層的に受け取ってしまう。ここで思い出した。日本の著名なジャーナリストが中近東の王族の方と対談している場面で、彼は自分の持論を“国民はみんなそう思っている”と伝えた。いつもの常とう手段だ。日本ではだれも反論しない。ところが相手は、“それは貴方の意見でしょう。(I‘t Your Opinion)“とすぐに切り返し、当のジャーナリストは何も反論できなかった。日本のマスコミ層の甘さが露呈した場面だ。主張や論議の元は、相対的な判断力が不可欠で、データのすべては相対的評価の基となる。飲食店や宿泊施設も相対的価値感による評価が基となり、実際の体験が加味され、満足度が決まる。ただし、自分自身に対する幸福度や満足度は、絶対的評価に基づいた方がストレスは少ない。 

淡路島のリゾートホテルに泊まる機会を得た。すべてに整ったホテルだったが、内外の広いスペースを各種プールが占めているのがいかにも勿体ないと感じた。それらプールが息づくのは夏の3カ月ほどだろうか。代わりに温泉の大浴場があれば、より魅力が増すだろう。バブル景気末期に誕生したそのホテルは運営主体を変えていた。これからも続く厳しい時期を乗り越えてほしいと願うと共に、地に足の着いた日本ならではの魅力の発信に期待したい。日本人客のニーズにいかに合わせられるかが、今後の成否を決めるだろう。   2021年11月1日 

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顧客満足の複雑さ154(日本における平等の感覚)

   顧客満足の複雑さ154「日本における平等の感覚」

 宿泊施設にしても飲食店にしても、高級路線を取っているところは多くある。宿泊に関しては、施設そのものが一泊6万円以上の富裕層限定対応の特別豪華仕様のところとは別に、様々な利用目的に応じて値幅を広く取っている高級旅館やホテルもある。その場合、価格差は、部屋の広さや設備によって決められている。スイートをはじめとする高価格帯客室を設けてはいるが、都心の場合はビジネス客から一般客まで幅広く受けいれているのが現状だ。よってパブリックスペースはすべての客の共有利用スペースとなる。あくまで価格差は部屋次第というわけだ。内部飲食店も予算に応じて、好きな場所を選べる。そこには予算次第で自由に楽しんでください、というおおらかさがある。だからホテル利用時には、どのクラスの部屋を選んでも、それは部屋の中だけの満足感となる。高級旅館にしても、露天風呂付きや広さ如何での価格差が一般的で、大浴場やロビー、その他はすべての客が利用できる。そのスタイルが変わりつつある。 

日本では高級ホテルに宿泊することなどめったに無いが、かつてカナダに取材訪問した際は、主催がカナダ大使館ということもあり、大使館側が用意してくれたのは、すべてが高級ホテルだった。部屋も高層の高価格帯であろうと思われ、殆どのホテルに高価格帯客室利用客専用のエグゼクティブラウンジがあったのを覚えている。強く記憶に残っているのはそのゆとり感とリッチ感、そして特別感だ。殆ど客がいない空間には、常時スタッフが待機し、利用者が入るや否や、至れり尽くせりのサービスを受け、高層ゆえの広がる眺望を独り占めできる。まさに特別待遇そのものだ。ただ、リラックス感と一抹の罪悪感を覚えつつ、このスタイルは日本ではなじまないだろうな、とも思っていた。予算に応じた選択肢は勿論あるものの、独特の平等意識が日本にはある。そして今、遅まきながら、高価格帯の客室利用客専用の「エグゼクティブラウンジ」をハイアットリージェンシー東京ベイ、神戸メリケンパークオリエンタルホテル、帝国ホテル大阪が新設するという。密を防ぐという、コロナ禍での需要や、コロナ禍収束後の富裕層インバウンドを見込んでの新設なのだろうが、それが高額消費者を取り込む一因になるのかどうかは分からない。 

友人が数年前にバリ島観光に行ったところ、あまり楽しめなかったという。理由を聞くと“周辺から疎外されたリゾート地で、そこだけがリッチな空間だった。周りは貧しそうに見えた“のが気になったらしい。随分とセンシティブだなと思ったが、自分自身のフィリピンのセブ島観光を思い出した。充分にリゾート感覚を楽しませてもらったが、バスで市街地に行った際に見た、裸足で重い荷車を曳く痩せた男性、家の前でぼんやりとただ地べたに座っている男性の姿が、胸に重く入ってきた。友人と同じ感覚だ。この感覚は、多分欧米人には無いだろうと思う。かつてアジア・アフリカに植民地を持ち、奴隷制度も歴然とあった国々の人々は、特権をいとも簡単に享受してためらうことはないだろう。日本人のナイーブな、そして独特の平等感覚は、いつまで続くだろうか。

          2021年10月1日 

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顧客満足の複雑さ153(真実を見極めたい)

     顧客満足の複雑さ153「真実を見極めたい」 

JR渋谷駅近くの、16歳から39歳を対象とした予約不要なコロナワクチン接種会場に、初日の8月27日早朝から接種希望の人たちの長蛇の列が、1キロに及んだ。限度300名でもって接種は打ち切られ、28日からは並んだ人たちによる抽選制に移行したという。外れれば“労多くして成果なし”ということだ。黙々と並ぶ若者の映像を見て、胸が痛くなった。“若者にはワクチンを打ちたがらない人が多い“とのメディア報道の決めつけが、いかにいい加減なものかが分かる。確かに確率からみれば、ワクチンに拒否反応を示す人は、その他の年代よりも若干多いかもしれないが、圧倒的に打ちたい人が多いのだ。冷静に考えれば、打った方がメリットで勝ることくらいはだれでも分かる。喫緊の年齢別感染者数をみれば、一目瞭然だ。8月26日の65歳以上の大阪府内感染者数割合は全体の3.4%だが、半年前の2月の時点では、35%を占めていた。今、65歳以上の2回ワクチン接種率は85%を超える。いくらメディアがワクチンへの恐怖をあおっても、データには勝てない。そして若者たちも一部を除いては、ワクチンを打ちたがっている。酷暑の中で静かに並んでいた彼らの表情が目に焼きついて離れない。一日も早く、ワクチンを希望する人たちへの接種を、ありとあらゆる知恵と手段を結集してすみやかに完了してほしい。

さて最近、驚愕というより、むしろ嗤える事件があった。テレビ朝日のオリンピック担当者たち総勢二ケタ台の人間が集まって、オリンピック閉会後の8月8日夕刻から9日未明にかけて、一次会から二次会まで打ち上げを十二分に楽しんでいたというものだ。緊急事態宣言下での堂々たる会合だ。従来なら、外部にはばれなかったところが、二次会のカラオケ店で同席していた女性が二階踊り場から飛び降り、道路に転落。外を歩いていた一般人が驚いて警察に通報したことから、この前代未聞の醜聞が明らかになった。あくる日、同局の朝のニュースで、MCが謝罪したらしいが(観ていないのでその時の様子は分からない)、その後、何の説明も無い。最も不思議なのが、週刊誌に関連記事が一切掲載されないことだ。官僚や議員、その他著名人のコロナ自粛破りを事細かくあげつらって非難していたのに、揃って沈黙を守っている。同じ穴の貉だからか?と思ってしまう。テレビ・週刊誌・新聞等メディア関連者のレベルは所詮こんなものです、と自ら言っているようなものだ。それとも内部調査に真剣に取り組んでいるがゆえの沈黙で、追って上層部の謝罪や説明が聞かれることになるのだろうか。いずれにしても、久々に嗤わせてもらった。そりゃ皆、楽しみたいよね、と寛大な気持ちになりそうなのが恐い。                              2021年9月1日 

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 顧客満足の複雑さ152「勝つことの価値」

     顧客満足の複雑さ152「勝つことの価値」 

東京オリンピックが開催された。日々熱戦が繰り広げられ、日本選手の活躍ぶりに目が離せない。主催国の有利さは当然としても、増えていくメダル数は率直に誇らしくもある。無観客開催に関しては否定的な意見の方が多いようだが、苦渋の決断であったのだろう。プロ野球などは観客を入れているではないか、との指摘はあるが、50種類もの競技が日々展開されるオリンピックと同列には扱えない。競技に伴い会場も時間帯も規模も異なるのだ。観客を入れてのコロナ対策にも限界があろう。無観客なら、感染者数の多さに苦しんでいる他国でもどこでも開催できる、というのも暴論だ。開催がどれだけ大変なことか、の想像力に欠けていると言わざるを得ない。大変だからこそ、4年に一回であり、最近では手を上げる候補地が減少しているのだ。名誉ではあるが、負担がとてつもなく大きい。連日の戦いを観るにつれ、現場で競技を支える人達の働きに敬意を表したい。そして何より無事に閉会式を迎えられることを祈るばかりだ。

メダルを勝ち取った選手の喜びは一様に晴れ晴れとしている。一方、期待されながらメダルを逃した選手もいる。勿論花舞台には立てず、メディアも黙殺する。スポーツは強弱を競う勝負なのだと改めて痛感する。技を極めるために、そして頂点に立つためにどれだけ日々の訓練が重ねられたのか、素人には想像もつかない。世の中にはスポーツを得意とする一般人は多い。レベルの高い人も結構いるが、オリンピックでの勝利の果実は、ただそのことだけに、飽きることなく、日々練習を重ねることによってしか得ることが出来ない。そして勝負はほとんどが微差によって決着がつく。特にオリンピックでの勝利は選手にとっては一生の勲章となる。そこが他の大会と大きく異なるところだ。その意味でも、東京オリンピックが開催出来たことは意義があると思う。大会運営に関しての各国の選手や関係者の不満を、ことさらに取り上げて放映するメディアのだれが、力を駆使して戦う選手たちを観る以上の喜びを視聴者に与え得るだろうか。

さて、コロナ感染者数が激増している。この2年、年齢別感染者数を追っているが、ここ数週間は明らかに年代別感染者数に大きな変化が表れている。60才以上の感染者が激減し、7月30日では、大阪でも94%を50代以下が占めた。現役世代であるこの層の感染者数は、緊急事態宣言を再動しても著しい減少は難しいだろう。各国の状況を見ても分かる。とにかく事業所、学校、その他コミュニティごとに、ワクチン集団接種を急ぐしかない。ワクチン接種後の特典付加も一案だ。“不平等だ!”の声をはねのけるパワーが現政権にあるとすればだが。
                                間島      2021年8月1日 

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 顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」

     顧客満足の複雑さ151「歴史の光と影」 

緊急事態宣言を受けて休業していた近隣の日本料理店が、このほど久しぶりに営業再開した。早速、昼食に訪れたところ、広い店内は平日にも関わらずほぼ満席状態だった。なかには10名以上の団体客もおり、“生ビール!”のオーダーも飛び交っていた。都心から離れているとはいえ、自粛疲れを吹っ飛ばしたい、という声が聞こえるような風景だった。三世代の集まりとも見られる家族連れは、楽し気な解放感から、祖父母や両親のワクチン接種が完了した上での会食なのだろうと推察された。大阪市が要請する“アルコール提供は二人客のみを対象とし、時間は19時までとする“の内容が、誤解を恐れずに言えば、いかにもみみっちく感じたのは、亡国の極みだろうか。“いや、他国はどうであれ、日本はこのくらいの慎重さで良いのだ”と素直に受け入れるべきなのだろうか。

さて、この5月に東北の仙台と平泉を旅した。半年前から予定を立てての旅行だった。飛行機も宿もその他の観光エリアも、万全のコロナ対策を施しており、その努力に支えられ、無事に行程を終えて帰還したのだが、これほどゆったりと楽しむことが出来た旅行はかつてない。ちょうど梅雨入り直後のあいにくの天候も加味したとは思うが、従来なら観光客でにぎわいを見せているであろう、平泉の世界遺産である金色堂も独占させてもらった。規模はさほどではないが、予想通りの絢爛豪華さは日本の誇る歴史的建造物の一つに違いない。何より感動したのは、昭和期に改修されたとはいえ、平安時代から美しいままに現存していることであった。すさまじいまでの富の偏在がもたらした稀有な建立物は、その背景や目的如何に関わらず、技の叡智が結集された超一級の芸術品として、これからも多くの人に感動を与えていくだろう。考えてみれば世界の観光スポットは、自然を別にすればほとんどが歴史的建造物で、城であれ大聖堂であれ、時の権力と富の象徴だ。音楽にしても、人を惹きつけてやまないクラシック音楽は宮廷音楽、つまり強いパトロンに支えられた才能が産みだしている。彫刻も絵画もしかりだ。長い年月を経てもなお燦然と輝いている。

米国では歴史を見直そうという動きがあるらしい。建国の父といわれるジョージワシントン像も奴隷を所有していたとして、人種差別活動家によって撤去されたのを始め、各地で元大統領らの像がターゲットとされている。ジョージワシントンにしてもその功罪は複雑で、清濁併せ呑む政治家だったのだろう。幸い、日本では歴史認識の違いはあれど、現存の像などを撤去しようという動きは無い。歴史の見直しはいつの世でも起こって当然だとは思うが、現在の価値観で自国の歴史や人物を断罪することの危うさを、日本人が持ち合わせていないことに安堵する。それにしても、世界は恐ろしい動きの波にのまれはじめていると感じるのは杞憂だろうか。                           2021年7月1日         間島

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 顧客満足の複雑さ150「発想の転換」

      顧客満足の複雑さ150「発想の転換」 

日本でも、ようやくワクチン接種がスタートした。徐々に軌道に乗り、7月までに高齢者の接種が終了したとするなら、コロナ禍の状況は大いに改善されるだろう。高リスク層の感染者が激減すれば、重症者数・入院数ともに減少し、騒がれている病床数の逼迫も一息つくものと思われる。今、もっとも危機感があらわになっているのは、病床数の余裕の無さだからだ。医療先進国日本において病院数を誇っていたはずが、何ゆえに病床数不足になるのか、考えるのも嫌になる。理由は簡単だと思うが、とにかく感染者数を抑えましょうね、の号令に乗っていくしかない。で、ワクチン接種だ。その浸透の度合いが、コロナ禍を脱する実現度を高くする。 

一方、東京オリンピック・パラリンピック開催の是非に関して、巷間にはかまびすしい意見主張があふれている。これもいずれかで決着がつくだろうから、悩むことも無いのだが、何だか背骨の部分が欠落しているような気がする。中止を望む声の中心は、コロナ禍が収まっていないのに開催すれば、またまた感染者が増えるではないか、オリンピックなど開催できる状況下か、ということだろう。世論調査もなぜか頻繁に行われ、中止を望む人が半数を占めているらしい。もっともだとも思う。ただ、コロナ禍にあっての特殊な形式での、つまり無観客や縮小型のオリンピックも、歴史の中でそれなりに記憶に残るものになり得るのだ。世界的災厄状況下で、どのように東京でオリンピックが行われたのか、選手たちがどのような輝きを見せたのか、また感染者の推移がどうだったのか、が数年先、数十年先に、オリンピックの歴史のひとつとして刻み込まれる。派手な開会式も閉会式も無く、観客の歓声も聞こえない中で、選手たちの試合に臨む心意気と勝利を競う躍動だけが一層、感動を与えるに違いない。華やかなオリンピックが出来るはずもない。それでいいのではないか、とも思う。あの選手の試合、あの選手の活躍、あの競技を見てみたい。そして多分、彼らは充分に期待に応えてくれよう。勝っても負けても、4年に一回のスポーツの記録として立派に残っていく。

コロナ禍は、収まった後が各国の勝負所になる。どの国がいち早く景気を回復させるのか。すでに米国のV字回復は始まっている。種類は違えど今後、再び危機が襲ってきたときに、コロナ禍の教訓が生かせるのか。今までの対処法ですり抜けられるとは到底、思えない。日本人特有と評される真面目さ、誠実さに加え、肝の座った発想と実行力が為政者・国民双方に求められる。               2021年6月3日

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 顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」

        顧客満足の複雑さ149「結局、よく分からない」 

レジ袋有料化が発令されて十カ月になるが、その間、確実に家計費は増えた。自前のエコバッグを使用しようが、レジ袋仕様のポリ袋を使おうが、いずれにしても負担は増える。エコバッグは度々、洗濯しないと不潔極まりないし、ポリ袋は別に購入する必要がある。結果として儲かったのはエコバッグを売っている企業と、レジ袋の原価代が不要になった小売り店、そしてポリ袋生産業者だ。今、スーパーのレジ袋仕様のポリ袋の商品棚は種類も増え、価格も上がり、ポリ袋特需現象を生み出している。元々、商品購入時に手渡されていたレジ袋は、殆どがゴミ収集時に二次利用されていた。一体、何のための法律かと問えば、地球環境問題の国民への意識づけ、という美辞麗句が返ってくるのだろう。一種の啓蒙活動か。海洋ゴミにならない条件を満たしたレジ袋は、有料義務化の範疇外となるが、殆どの小売店ではその条件を満たしたレジ袋への転換による無料配布をする気は無い。そして従来型の海洋ゴミ化の恐れのあるポリ袋が、市場で売れに売れている。冗談のような話だ。 

地球環境問題と言えば、温室効果ガス上昇を抑える動きも、実際のところよく分からない。自然に発生する大気中の二酸化炭素やメタンガスなどの温室効果ガスは、太陽からの強烈な熱を封じ込め、地表を温めるのに欠かせない働きをするので、無くては困る。だが大量に発生すると、これら温室効果ガスは地球温暖化の原因になり気象災害をも引き起こすと、悪玉扱いされている。で、先進国各国が、人間が出す温室効果ガスをゼロにすると意気込んでいる。我が国でも、米国が主導した気候変動サミットにおいて、2030年に温室効果ガスを46%削減、2050年を目途にゼロにするという宣言が出された。電気自動車への転換や電気熱源をすべて太陽光発電や風力発電にするということだろうか?それでクリーンな地球に生まれ変わり、めでたしめでたし、ということだろうか?そもそも、地球温暖化そのものの定義が非常にあやふやで、確固たる数値は無い。一時間に50mm以上の雨量を指す、いわゆるゲリラ豪雨の頻度の高さも、地球温暖化の影響と危惧されている。ちなみに、気象庁データによる日本全国での年間発生数をみると1990年に380回、2000年が320回、2010年が265回、2015年260回、2016年330回、2017年320回、2018年350回、2019年380回、そして2020年300回だ。極端に増えているとは思えない。台風の上陸数にしても1990年が6個。2000年が0個。2010年が2個、2015年4個、2016年6個、2017年4個、2018年5個、2019年5個、そして2020年0個。微妙な変異で明白な数値の変化はとらえにくい。気象庁も、地球温暖化が影響しているとの明言は避けている。多分地球温暖化が進んでいるのではないか、というニュアンスだ。統計をみるに、災害の激甚化は起きてはいないのだ。

結局、温室効果ガス削減は、世界規模で巨大なビジネスとなり得るのだろう。先のレジ袋有料化と根っこは同じだ。本質を解明せずに形だけの変革へ向けての、日本の真面目一辺倒な姿勢は、国力を疲弊させ、ひいては富の減少につながるのではと心配になってくる。ちなみに、太陽光発電を電流に変換する際に必須素材のポリシリコンは、中国が世界の50%の生産量を占めている。                          2021年5月1日

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 顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

     顧客満足の複雑さ148「作られる世論」

  久々に胸のすくような文に出会った。産経新聞に掲載されたスポーツジャーナリスト増田明美さんのコラムだ。東京五輪の開閉会式のクリエーティブディレクター辞任に関して、女性タレントの容姿を侮辱したという根拠がいかに理不尽であるかを、理詰めで主張されている。詳しい説明は避けるが、要は1年前のしかも色々な意見が出されるべき会議での発言について、今、糾弾しようという卑しさに怒りを感じるというものだ。極めて正論だろう。ディレクターが出した案はその場で没になったもので、本人もすぐに謝罪して撤回されたという。会議では様々な意見が交わされ、時には極端な案も出るものだが、おおむね常識範囲内の結論に収束していく。その場で取り上げられなかった意見ひとつひとつが後になって糾弾されるとするなら、誰も何も言わなくなる。会議は成立しない。的外れな告げ口によって辞任に追い込まれたと一喝されている。この一連の問題の根は、卑怯な告げ口を仰々しく取りあげた、大衆ご注進メディアの劣化としか言いようがない。しかし、そのメディアに大きく影響を受ける人たちは存在する。ある日の飲食店での昼食時、嫌でも耳に入ってくるほどの大声の客がいたが、その人の話はテレビの某番組コメンテーターの主張と全く同じ口調と内容であった。誤解を恐れずに言えば、その内容は無見識かつ一方的に、ある人を糾弾するもので、せっかくの料理がまずくなってしまった記憶がある。 

 さて、最近は家の固定電話を殆ど使用しなくなった。大体が携帯電話で事足りる。むしろ携帯電話の方が受信送信いずれにおいても便利だ。だから固定電話のベルは殆ど鳴らない。鳴ったとすれば10数年前の電話の持ち主あてにかかってくるか、 営業の電話なのだが、たまに世論調査なる電話もある。すべて自動音声で、答えを促すメッセージが流れるとすぐに切ってしまう。自動音声の世論調査に付き合うほど、暇ではない。新聞社ごとに定期的に世論調査の結果が公表されるが、あのような方法で、つまり自動音声による電話での調査に真摯に答えてくれる人たちがどれほどいるのかを考えるとき、調査結果はにわかに信じがたいものになってしまう。世論調査結果を盾に、自社の主張を正当化しようとしているのではないか、などと穿った見方もしてしまいそうになる。世論をリードするのが、メディアの役割ではないのだ。彼らは勘違いをしている。たまにメディアの扇動が政局を動かすこともあるが、重なる選挙によって、やがて良識ある結果に落ち着いてくるように思う。 その選挙結果をも、民意を反映していないと主張するメディアは、民主主義を理解していない。                     2021年4月1日

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