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顧客満足の複雑さ197(これこそ顧客不満足 )

    顧客満足の複雑さ197「これこそ顧客不満足」 

関西大阪万博の入場券をローソンで購入した。Loppi端末機を相手に、何とか希望日の券をゲットできてやれやれと思ったが、良く見るとそれは引換券で、当日会場のゲート前の引換所で本チケットに変えなければ入場できないらしい。本チケットとは何ぞや?と調べてみたら、QRコード付きチケットだという。当日並ぶのが嫌なら、万博専用ネット画面での手続を経ねばならない。完了した暁には、3回の日時変更が可能となり、パビリオン予約もパソコン画面やスマホからできるらしい。その段取りは一応画面上で説明してあるが、今までネット上での手続きでスムーズにいった試しがない。ある知り合いがその手続き完了までスマホ画面で三日間もてこずったと聞いておじけづいた。で、たとえ当日並んでも、そのままの引換券で行くことにした。不思議でならない。どうしてシンプルに、コンビニで売るチケットでそのまま入場できるようにしないのだろう。個人情報を得るためか?などと勘ぐってしまう。そのような二重手続きが何故必要なのだろう。まさに顧客不満足の極みだ。 

で、思い出した。コロナの時期、旅行クーポンなるものを、京都府と大阪府からもらったことがある。京都のそれは、帰りのサービスエリアでそのまま簡単に使用でき、そのお得感がありがたかったが、大阪発行クーポンはサービスエリアでは使えず、近辺や帰路でも使える店がなかった。しかもスマホからそのクーポンのQRコードを読み取って電子クーポンに変換せねばならなかった。使える店がないのにと、バカバカしくて破いてしまったが、その不親切さに驚いた。大阪府民として、忸怩たる思いをした。一体、どんな人間が担当したのかと。万博などは、多くの人が気楽にそしてスムーズに来てくれて、はじめて万博といえる。混雑を避けるための、ただその一点で、このような発券二重システムを考案したのなら、ご苦労なことだ。混雑を避ける発券方法など、子供が考えてもわかる。一日の発券数を集中コンピューターで管理把握すればよいだけの話だ。パビリオン予約は専用の画面で受け付ければよい。 

あとしばらくは日本で開催される国際万国博覧会は無いだろう。その意味ではやはり今回、足を運びたいという人も多いはずだ。もっと面白く楽しいテーマパークはあるだろうけれど、その時代ならではの万博経験は記憶の中に確実に刻まれていく。さてはて当日、どのくらいの時間、並ばねばならないのか予測不能だがシンプル イズ ベストは、まさにベストの中のベストであるべきだ。複雑化するほうがエラクみえる、などとまさか関係者等が考えてはいないと思いたいが、真の顧客満足を官に求めるのは無理なようだ。 

2025年5月1日 間島

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食文化の豆知識215 食文化の現状194( 郷土料理はやはりその地で )

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食文化の豆知識215 食文化の現状194(郷土料理はやはりその地で)

流通網の発展により、いろいろな食材が手に入る時代です。ひと昔前なら、その地でしか頂けない食材を使った料理というものがあったような気もしますが、今や情報はすぐに巡り、ネットでの取り寄せも盛んになり、名産品なるものも手に入りやすくなりました。自宅で各地の名産品を味わえるとあって、ネット販売は今後も拡大しそうです。それは喜ばしいことですが、やはりその地で味わってこそ、という料理や食材もあります。逆に言えば、普遍的な料理にはならない名物料理、というものです。逆に、すき焼きやしゃぶしゃぶ、うどんすきやオムライスなども、発祥地があるのですが、たちまちのうちに全国的な料理になって、今や、どの地の名物料理、という言い方はされません。 

その地でいただいてこそ、という料理があるのもいいことです。金沢の治部煮は勿論美味しいのですが、自宅で作ろうとは思わない。長崎の旅館でいただいた卓袱料理も、普段の外食時に食べたい、とはなりません。秋田県のしょっつる鍋も秋田で味わってこそ、というものでしょう。やはりそれらは、その地でこそ、いきいきと根付いてきた料理で、気候や採れる食材や味の好みなどが微妙に入り組んでできあがった、郷土料理なのです。その地で食べてこその味わい、ということでしょうか。逆に言えば、どこででも食べたい、と強く思うものは、この時代、すぐに全国料理になるということです。てっちりや鯖寿司、お好み焼き、たこ焼きなどが一例です。その地にあってこそ輝きを放つ郷土料理は、これからもずっと受け継がれていくことでしょう。旅の醍醐味、というものです。

食生活アドバイザー  間島万梨子 

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その215某月某日「大丈夫?」の巻き

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   OL N子の勝手リサーチ 215 “大丈夫?”の巻き

これだけ物価があがると、消費者のみならず、提供側にも手痛いしっぺ返しがくるような気がするわ。ほとんどの人が、この値上がり状態にうんざりというか、節約志向というか、怒っていると思う。ワタチも少々、イカッテいるよん。だって、なんでもかんでも値上がりで、値段をあげりゃいいってもんじゃないわよね。そりゃ、光熱費やガソリン代、人件費が上がれば、最終商品に跳ね返ってくるのはわかるけど、程度問題ってのもあると思う。それを越してしまった典型なのがお米価格かしらね。備蓄米を放出しようが、2024年ものが結構、豊作であろうが、相も変わらず5キロ4000円前後の値がついているわ。育ち盛りの子供さんを抱えているおうちは大変だよね。中高生の男子なんて、どんぶり飯8杯は食べるもんね。そこまでは食べない?失礼しました。

飲食店もじわりと値上がりしているけど、これも限界があって、原材料の値上がりに耐え忍んでいるところも多いと思う。でもこのところ、以前と比べて客入りが少ないかな?と感じることが多くなったわ。皆、お客さんたちも自衛に入ったのかな。つまりなるだけ消費しないでおこう、という壮大?な心構えになってしまったかもよ。生鮮食材とかはなかなか削りにくいけれど、外食は減らそう、という人もいるよね。でもこうなると負のスパイラルに陥ってしまいそうで、わらわはどうしようかいな。別にワタシには何の影響力もござんせんが、いい加減に政府も、この高騰ラッシュを根っこの部分で抑えないと、エライことになるよ。今できることは、ガソリン代の減税と光熱費の補助ざんす。その二つをとりあえず実行すれば、特効薬にはなるわ。それをしてなおかつ、店や商品が値上がりしたままの場合は、必ず客に見捨てられます。消費者はバカじゃござんせんよ。おっとっと。政府もお役人さんも、生産者さんも、卸店さんも小売店さんも大丈夫?

             ・・・・・続く

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顧客満足の複雑さ196(大いなる喪失 )

      顧客満足の複雑さ196「大いなる喪失」 

作家の曽野綾子さんが2月28日に亡くなられた。あと数年はお元気で執筆を続けられるだろうと思っていたので、享年93才という長寿にもかかわらず、残念の言葉しか出ない。人に対する、ことさら貧しい人たちに対する目線の優しさは時に痛みを含み、言葉だけではない実践に基づく論調は、身を引き締めさせる厳しさをも内包し、勝手弟子を多く作られた。自分もその一人だ。なので勝手に、先生と呼ばせていただく。今、先生の死を受けて、朝日新聞のネット版に、「右派の論客」と形容していたのが、あまりに朝日新聞らしいと感心していたのだが、二日後には「保守の論客」と言い変えられていた。どういう成り行きで変わったのか、知るよしもないが、右派、と決めつける方が、素の朝日らしかったのにと、ある意味残念ではある。 

先生の著書は少なくとも30冊は読ませていただいた。40年もの長きにわたって、海外で活動する日本の神父やシスターたちを支援するNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」の代表を勤め、その間、日本財団の会長を7年間勤められた。どちらも無給であり、それら活動に関するエッセイが多い。なかでも実際に足を運んでのアフリカへの援助にまつわる数多くの事象を日本に関連づけた主張は、厳しさを含有せざるを得なかったのだろう。それほどに、アフリカの絶対的貧しさをその目で見た人は多分、先生を置いていないだろうと思われた。日本の貧しさは本当の貧しさではないと。その厳しい視点が時として反発を招いたこともあるようだが、良く読めばわかる。叱責の中に含まれる限りの無い慈愛と人生に対する深い哀しみが軸として燦然とあることを。 

先生は口先だけの人道主義者を嫌っておられたように思う。優しい言葉ならだれでもいえる。正義など、人の数ほどにある。そういう意味では、世渡り上手ではなかったのだろう。ただ現実に自費で何度もアフリカに足を運び、昭和大学の医師たちとともに、口唇口蓋烈の人たちに無償で手術を施すという行動など、普通はできるものではない。医療に見捨てられた人たちを目のあたりにして、日本がいかに幸せの中にいるかを伝えられた。その鋭い切り口と、相反する深いやさしさが好きだった。ただただ、著書を読んだだけの一介の読者だったが、これからあの一見矛盾する複雑さの中の、単純明快な朗らかな文章に出会えない寂しさがつのるばかりだ。

2025年4月1日 間島

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食文化の豆知識214 食文化の現状193( 季節を味わえる楽しみ )

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食文化の豆知識214 食文化の現状193(季節を味わえる楽しみ) 

季節の変わり目は、新しい食材が登場するのが楽しみでもあります。一年中、安定して供給される牛肉・豚肉・鶏肉などと異なり、収穫できる時期が限られている野菜や果物は、まさに走り・旬・名残りで表される食材です。「今は鶏肉が旬を迎えています」などとは確かに聞いたことがありません。まだ魚の方が、旬の時期を持っているものがあるように思います。一年中目にする魚もありますが、季節性を持つのは、秋刀魚、フグ、カツオ、新子あたりでしょうか。いわゆる回遊魚です。それとて著しい冷凍技術の躍進によって、年中、市場にでまわるようになっています。その意味では、野菜も水煮などで季節を超えて楽しめますが、新鮮さを味わえるものはダントツに季節を選びます。 

いよいよ登場のタケノコも水煮仕様がありますが、生タケノコの独特の風味とエグサは、やはり獲り立てのものでしか味わえません。なんだか毎年、収穫量が少なくなっているように感じますが、気のせいでしょうか。タケノコの煮物は大の好物です。母のように若竹煮や木の芽和えなどの丁寧な料理は作れませんが、豪快にタケノコだけを鍋一杯煮つけます。穂さきだけでなく、硬い部分もまた美味しい。これからの楽しみです。 

ソラマメも出回り始めました。ここ関西では鹿児島県産のものが主に入荷されるようです。ちょっとした高級野菜で、気楽に食卓で楽しめないのが残念ですが、独特の旨みで、これまた春のメッセンジャーです。他にも、菜の花、蕗、さやんどうなども、売り場に並び始めました。相変わらずの高値仕様のキャベツや白菜とは、もうオサラバして、これから出回る春夏野菜を存分に味わいたいと思いますが、お求めやすい価格で食卓ににぎわいを加えてほしいものです。 

食生活アドバイザー  間島万梨子 

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その214某月某日「snsいろいろ」の巻き

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OL N子の勝手リサーチ 214 “SNSいろいろ”の巻き

かつては、テレビや新聞からしか得られなかった情報やニュースは、今や簡単に自分のスマオから得る、って人は結構多いよね。現実に、新聞を取っていない人やテレビを持たない人も徐々に増えてきてるようだし、世の中の大体のことは、スマホのニュース画面やSNSから閲覧できるものね。エライ時代になりましたわい。でも、スマホから閲覧できる各新聞社のニュースは紙面の映像化なので、大元とほぼ同じだけれど、ユーチューブなどで流れる個々人からの情報はまさに百花繚乱、嘘八百、捏造画面も多く混じって、取捨選択技術も問われてしまうわ。っていうと、なんか難しそうだけど、あおりや捏造SNSって、何となくわかるのよね。まず誤字が多いってのが、特徴かな。それに表題と映像と内容がまるで一致していないとかね。

自分の日常生活をアップしたものも、無責任で見れて最初は新鮮でも、どうしても飽きがくるのよね。人んちの生活をのぞき見させてもらう楽しさも、やはり飽きてくる。動物ものでも人気が出れば出るほど、こねくり回した内容になってしまって、無理が出てくる。最初は結構稼げても、徐々に閲覧数も減ってくるとあせるよね。でもこれはSNSの宿命かな。やはり個人ユーチューバーはインカムが目的の場合が多いので、限界が出てくるわけで・・。常に新しく興味をそそるものを視聴者?が探している、ってことね。

SNS(ユーチューブ)は結局のところ、好き勝手に見てるのに限るわ。時間つぶしに閲覧して、飽きたら他の画面を探す。お気楽この上ない。でも、作っている当事者は大変だろうな、ってお察しします。がんばって。今日は、妙に真面目なお話でした。

                  ・・・・・続く

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顧客満足の複雑さ195( 機械化によって失うものの大きさ ) )

顧客満足の複雑さ195「機械化によって失うものの大きさ」

 レストランの席についたとたんに「ご注文はこのQRコードからどうぞ」と指示?された。それを聞いた同行3名のうんざり顔もさることながら、堂々と店側のシステムを客側に強いて負担を増やすという行為が徐々に浸透している現状に驚く。その店は確かに、ボリュームがあってまずまずのリーズナブル価格という若者が喜びそうなイタリアンレストランではあるが、場所柄と雰囲気からみても落ち着きのある店で値の張るコース料理も何種類かあり、年配者も結構多かろうにと、QRコードからのオーダー制に多少の違和感を持った。そのシステムはすでに経験済みだが、同席のだれかに役目が集中し、そしてだれもがその役目を嫌がる。当然だろう。同席客が多ければ多いほど、その人が携帯電話とにらめっこして、人差し指を駆使するはめになる。気の毒に思うが、誰もその役目を担いたがらない。各自がそれぞれ自分の携帯電話から注文すればよいのかもしれないが、その景色というのもなかなかシュールすぎて、とてもではないが、ゆっくりと会食を楽しむ雰囲気にはならない。              

不思議で仕方がない。客とのコミュニケーションチャンスを何故、取り逃がしてしまうのかと。オーダー受けはスタッフと客との最初の接点であり、信頼関係の構築に大きな力を発する。さりげなく本日のおすすめを進言したり、量的なアドバイスも含め、客にとっての最適なメニュー作りに加担するという、重要な役割がオーダー受けなのだ。メニュー名だけでは内容がわかりにくい料理もある。ボリュームはどうなのか、何人くらいでシェアできるのか、味の特徴は?とかを客に伝えて、うまく店側の望むべき方向に誘導するのが、オーダー受けの醍醐味なのであって、それを放棄するとは誠にもったいない商法だと思う。結局、携帯電話からのオーダー受けは、人力の欠如の結果なのだ。アルバイト中心で常に人手不足のなか、教育する手間も時間もない、という現状が機械化を促進せざるを得ないのだろう。その点、厨房とフロアを夫婦や家族で切り盛りしている店は、QRコードからどうぞ、はまず無い。どんな料理を夫(妻)が作っているのか熟知している妻(夫)は、客に対して堂々とおすすめ料理を進言できるし、コミュニケーション力がどれほど店の売り上げに貢献できるかを知っている。 

その昔、神戸で評判のヌーベルシノワ(新中華)のレストランを数名で訪問したことがある。メニューブックにはコースメニューが無かったが、フロアを受け持つマダムによって各客の嗜好やボリュームバランスを取り入れた魅力的なコースが即興で組み立てられた。もう客は生徒であった。後にも先にも、そのような店に出会ったことはない。あれは夢だったのか、と思うほどに見事なフロアサービスだった。

 2025年3月1日 間島

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食文化の豆知識213 食文化の現状192( 売れてこその価格 )

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食文化の豆知識213 食文化の現状192(売れてこその価格) 

今年の冬はしっかりと寒いです。夏もとんでもなく暑くて長かったことを思い出しました。秋と呼べる時期は個人的に見て、10月下旬から11月初旬に限られたような気がします。果たして今年の春はどの程度の期間、楽しめるでしょうか。できれば、長~く、春が続いてほしい。理想としては3月からきっちり3か月間は、春を感じさせてほしいと、けなげ?に思います。電気代も助かります! 

かつては、農作物、とくに果物は季節の変動を明瞭に見せてくれましたが、最近はとまどうことが多くなりました。温州みかんは子供のころは11月下旬から3月いっぱいまで十分に味わえましたが、まだ2月半ばというのにすでに店頭は、異なった柑橘類が主流です。伊予かんに加えて、様々なみかん種が並んでいます。総じてお高い。物珍しさについ、早くもお目見えした、しらぬいを買って帰りましたが、みずみずしさはとっくに飛んで、カサカサ状態でした。店頭に並べても、誰も買わなかった、ということです。二度とこの種は買わないでしょう。みかんに、吃驚するような値付けをしてはいけません。売れる価格で売る、が商いの原則です。売れなければ商売は成立しないのですから、客が買える範囲で値付けをして、買っていただいて、儲けをどこで採るかを必死で考えるのが、商売です。馬鹿正直に買い付け価格に利益を上乗せして売るのは、まるで素人、プロではありません。 

米騒動もそうです。長い間、高値が続きました。新米が穫れているはずなのに。そして、ようやく政府の方針による備蓄米の放出です。アクションが遅いなと思いますが、しないよりマシでしょう。さて、高値目当てに出し惜しみしていた業者は?なんだか最近、日本も正直者商売が少なくなったように思えるのは気のせいでしょうか?気のせいであることを祈ります。 

食生活アドバイザー  間島万梨子 

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その213某月某日「何かいろいろ」の巻き

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OL N子の勝手リサーチ 213 “何かいろいろ・・”の巻き

2月に入ってすぐに暖かい日が続いて、もしかして春?、と思いきや、そんな甘い考えを吹っ飛ばす大寒波の襲来で、ほんと自然は気まぐれですわ。この大寒波も「人間のCO2排出による異常気象だぁ」と言ってた人がいるのよ。信じられる?脳みその中を見てみたいわ。なんでもかんでも、異常気象だぁ、と叫んでいればそれでOKなの?それよりか、大雪地帯の家々の屋根の雪かきを何とか、助けてあげてくだされよ。異常気象だぁと叫ぶなら、とりあえず人助けに走れ!ワタシ?ワタシは、すべて異常気象だぁ、なんて、そんなアホなことは言いませんが、力も金もありませんので、祈るだけでやんす。ゴメン!

で、気を取り直して、昨夜、友人と夕食を共にして、駅までタクシーに乗ったんだけど、ちょうど心斎橋から難波付近に差し掛かると、なんだ?難民の群れか?って(失礼!)思えるほどの人の群れが。タクシーの運転手さんいわく、98%が外国人観光客らしい。御堂筋の歩道だよ。以前はポツポツと歩く人を見かけるくらいだったのが、スゴイの一言!まるでコンサート帰りのように、だんごになって歩いていらっしゃいましたわ。この人たち、どこに行くんじゃろと思ったけど、いらぬお世話だね。でも正直、ちょっと恐怖を感じましたわ。この寒い日本にきて楽しいんじゃろか、南国に行ってトロピカルドリンクを飲んで、フルーツを食べて、綺麗なお姉さまやイケメンのビーチボーイを眺めながらビーチに寝そべってた方が、よほど楽しかろうに、って思ったけど、これこそいらぬお世話だよね。はい、このちゃっぷい日本を楽しんでくだされ。風邪ひかんようにねぇ。責任は取らないよぉ。

当日は土曜日だったので、ビジネス街の訪問店はのんびりとした雰囲気だったけれど、あとから来るわ来るわ、10名ほどの男性団体が。ありゃま、これはウルサイかも、と恐れたけれど、静かに談笑していらっしゃいましたわ。よかったよかった。やればできるじゃん。そうよ、個室でもない限り、ほどほどの音量で、楽しみましょうね!

                   ・・・・・続く

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顧客満足の複雑さ194(楽しい○○)

                                顧客満足の複雑さ194「楽しい○○」

「楽しい日本」が、内閣を牽引する現首相が示した、年頭に当たっての国民へ向けた基本方針らしい。これに関しては、すでに辛辣な論調が多く出回っているが、なんとものんきで的外れな言葉を選んだものだ。「楽しい」は、数値である程度評価比較できる「豊か」とか「強い」と比べると、あくまでも主観に基づく動詞であり、個々の人が楽しいと感じるかどうかなど、他人、それも国にわかるわけもないし、完ぺきに個人的な感覚だということに、気づいていないのだろうか。気づいていないのなら「気味が悪い」の一言に尽きるし、気づいて取り上げたのなら「国民に責を負わせる卑怯さ」がかいまみえる。率直に言って、文化文明が発達すればするほど、「楽しい」感覚は個々によって複雑さを増す。その他人には測ることのできない感情を目的にする幼稚さに、脱力する。これは、まともな国のまともなトップが発信する言葉ではない。まだ、トランプ氏の「アメリカファースト」のほうが、賛同するかどうかは別にして、余程、具体的でわかりやすい。 

と、ここで最近、経験した飲食店での些事を思い出した。「楽しい飲食店」に幸いにも立て続けに出会ったのだ。まず、年末に予約した中華料理店から一方的に、店側からキャンセルされるという衝撃的な出来事のあと(なんでも、当方が予約した4日後に20名の団体予約が入ったので、席がなくなった、とのことだった)、急ぎ、別の中華料理店に予約を入れて席数を確保したのだが、当日は満席ながらてきぱきとフレンドリーな対応に、気分よくミニ忘年会を終えることができた。それにしても先約をほごにする飲食店は初体験だ。年が明けて訪問した日本料理店は、予約時の対応もさることながら、当日の接客も料理も思わず笑顔がこぼれる丁寧さで、しかもリーズナブルだった。「楽しい飲食店」は、ひとえに店側の基本方針と客へのリスペクトによるもので、かれらは客に「楽しい」を強いることはないし、確かめもしない。真摯で具体的な総合的方針の遂行が、結果に結びつくということだ。 

「楽しい」といえば、訪日外国人客の楽しそうな雰囲気が、ユーチューブなどに多く拡散されている。時間と費用を作りだして訪問したのだから、目いっぱい楽しんでいただくのは吝かではないが、実際に繁華街や交通路では、今までにない外国人のあまりの多さにたじろぐ。耳に入ってくるのは多種多様な言語で、暑かろうが寒かろうが、元気そのものである。時代は変わったものだ。いまのところ、人気の都市や観光地に集中しているが、交通網の発達している日本のあらゆるところに外国人観光客の姿が見えてくるだろう。47各都道府県がそれぞれ独自の特質を持つ日本は、飽きることが無い魅力を備えている。彼らを受け入れる全国民に還元するためにもそろそろ、インバウンドからの「お楽しみ税」なるものの出番を期待したいところだ。

              2025年2月1日  間島

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