某月某日 “外食の深い理由”の巻き
人間って、1日3回食べて生命をつないでいるんだよね。1日2食の人もいるけど、とにかく口から食べものを入れなければ、普通には生きていけない。なんて不便なんだろうって、時々思うわけ。変なこと、考えてるって?そうだよね。ありとあらゆる動物も、結局は食べることと生殖、この二つが行動を支配している。それと比べれば、色々な食べものが選べる人間は、まだマシか、となるんだけれど、面倒くさくなるのよね、これが。子供の頃からおもっていたこと。一週間のうち半分くらいは、1日一錠飲めば、完全栄養が取れて、充分元気に生きていける錠剤があれば楽なのになあって。別にその頃から、料理をしていたわけではないのに、食べることが面倒だった。まして大人になって、料理を作る側になると、なおさらのこと、そんな錠剤が欲しい。そんなだから人生、ずっと痩身です。食べることは好きなんだけれど、のべつまくなしに食べるなんて、考えられない。だから食べることは戦いなの。料理を作るのも戦いね。ほんと、腕のいい料理人を雇える大金持ちになりたかったと、思うわ。
私に何千億以上もの資産があれば、プロの料理人を雇って、毎日素朴な家庭料理やイタリアンや中華料理やたまには会席料理を作ってもらいたい。そんなプロはいないか。となると、外食ってことになるのよね。日本では、余程の金持ちでも、プロの料理人を雇っている家って少なそうね。外国では、当然だろうな、と思う。家の造りも違うし、感覚も違うのかな。ある金持ちの外国人の家で料理人兼家政婦の仕事をしている人の本を読んだことがあるけれど、そのお屋敷には、使用人専用のバス・トイレ、ミニキッチン付きの広い部屋が用意されているんだって。そんな家が日本にあるかいなってことね。
話が長くなったけど、外食は、人はさまざまな理由で利用しているのだってこと。家で作るのが面倒、家で作れないものを食べたい、仲間と会食したい、また、家で作れないから、お金を払って外食をする。さて、飲食店はそのさまざまな理由での利用に真摯に応えているかな?人間が口に入れるものを提供していることを分かっているのかい?と質問したくなる店もあるし、また来たいなと思ってもらえる料理を提供しているかい?と尋ねたくなる店もある。かと思えば、自分の店の立ち位置をきちんと把握して、誇りの持てる商売をしている店もある。ほんと、もう一度、外食の意味を真摯に取らえて、何をどういう風に提供して喜んでもらいたいのか、見つめなおしてほしいと思うわん。はい、今日はとてもマジメなお話でした。