昨今、「食」に関する課題提言は、安全をはじめとして私達の回りにあふれかえっています。
今まで、食の問題に無関心すぎたツケが、一挙に回ってきたという印象を受けます。
豊かになればなるほど、食品種が多くなればなるほど、食品への目が厳しくなるというのも
皮肉な話です。度重なる食品偽装は多分、かなり以前から表面に出てこないままに
存続していたはずです。“消費者の目が厳しくなったから“も確かに一因ですが、より大きな
要因は内部告発でしょう。世の中の人心が変化したのです。偽装を続けることが難しくなった
のは、歓迎すべきですが、悪事がばれるのは殆どが内部告発によるとは、情けない限りです。
食品関連業者の企業倫理の遵守とそれをチェックする行政の矜持ある姿勢に期待する
ほかありません。
先日、“本当にいいものは高いので消費者も良品を買い支えるべきだ”がテーマの
食に関する本を読みました。値段はその食品の質を反映しているのは確かです。
でも、“安い”を第一義にとらえる消費者の傾向を、本当に優れた食材・食品が支持
されにくい理由付けにしているのには、疑問がわいてきます。消費者は、最後に買う人です。
消費者がお金を支払って、流通は完了するのです。安い物を買うのか、高くても上質の物を
買うのかは、完全に消費者の自由な裁断にゆだねられているのです。せっかく作った
上質の物が売れないのは、売る側の戦略・努力が足らないからに他なりません。
また、手をかけ時間をかけて作った物は、大量に売ることを目的にはしていませんし、
大量に供給も出来ないのです。
以前から、筆者も“本物”重視、つまり“もどき”は買いたくないと述べてきました。
みりんもどき、酒もどき、醤油もどき商品は、価格を安く設定するために生まれたような
ものです。多くの消費者が、せめて基本食材くらい本物を購入する意志をしめせば、
劣悪なもどき商品は、姿を消していくはずです。でも肉や野菜などの食品は、本物ともどき、
の差を見極めるのは難しい。とすれば安いにこしたことはありません。いつの時代も、
高級品はあるのです。どの値段帯を購入するかは、全く、その人の財政状況、こだわり
度合いによって異なるのです。消費者は馬鹿ではない。やむを得ず、その価格で購入する
ケースが殆どなのだと、思っています。
食の安全や質の確保は、提供する側の倫理責任以外に、その責を問うことは出来ま
せん。リーズナブルで良い食材・食品を提供するのが、作る側の責務です。どうしても
高く売らざるを得ない食材・食品は、本当にそれが良い物であるなら、一部の消費者が
買ってくれるでしょう。それが、自由流通なのです。
平成20年8月15日 P&Cネットワーク 間島万梨子 食生活アドバイザー