顧客満足の複雑さ」カテゴリーアーカイブ

顧客満足の複雑さ197(これこそ顧客不満足 )

    顧客満足の複雑さ197「これこそ顧客不満足」 

関西大阪万博の入場券をローソンで購入した。Loppi端末機を相手に、何とか希望日の券をゲットできてやれやれと思ったが、良く見るとそれは引換券で、当日会場のゲート前の引換所で本チケットに変えなければ入場できないらしい。本チケットとは何ぞや?と調べてみたら、QRコード付きチケットだという。当日並ぶのが嫌なら、万博専用ネット画面での手続を経ねばならない。完了した暁には、3回の日時変更が可能となり、パビリオン予約もパソコン画面やスマホからできるらしい。その段取りは一応画面上で説明してあるが、今までネット上での手続きでスムーズにいった試しがない。ある知り合いがその手続き完了までスマホ画面で三日間もてこずったと聞いておじけづいた。で、たとえ当日並んでも、そのままの引換券で行くことにした。不思議でならない。どうしてシンプルに、コンビニで売るチケットでそのまま入場できるようにしないのだろう。個人情報を得るためか?などと勘ぐってしまう。そのような二重手続きが何故必要なのだろう。まさに顧客不満足の極みだ。 

で、思い出した。コロナの時期、旅行クーポンなるものを、京都府と大阪府からもらったことがある。京都のそれは、帰りのサービスエリアでそのまま簡単に使用でき、そのお得感がありがたかったが、大阪発行クーポンはサービスエリアでは使えず、近辺や帰路でも使える店がなかった。しかもスマホからそのクーポンのQRコードを読み取って電子クーポンに変換せねばならなかった。使える店がないのにと、バカバカしくて破いてしまったが、その不親切さに驚いた。大阪府民として、忸怩たる思いをした。一体、どんな人間が担当したのかと。万博などは、多くの人が気楽にそしてスムーズに来てくれて、はじめて万博といえる。混雑を避けるための、ただその一点で、このような発券二重システムを考案したのなら、ご苦労なことだ。混雑を避ける発券方法など、子供が考えてもわかる。一日の発券数を集中コンピューターで管理把握すればよいだけの話だ。パビリオン予約は専用の画面で受け付ければよい。 

あとしばらくは日本で開催される国際万国博覧会は無いだろう。その意味ではやはり今回、足を運びたいという人も多いはずだ。もっと面白く楽しいテーマパークはあるだろうけれど、その時代ならではの万博経験は記憶の中に確実に刻まれていく。さてはて当日、どのくらいの時間、並ばねばならないのか予測不能だがシンプル イズ ベストは、まさにベストの中のベストであるべきだ。複雑化するほうがエラクみえる、などとまさか関係者等が考えてはいないと思いたいが、真の顧客満足を官に求めるのは無理なようだ。 

2025年5月1日 間島

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顧客満足の複雑さ196(大いなる喪失 )

      顧客満足の複雑さ196「大いなる喪失」 

作家の曽野綾子さんが2月28日に亡くなられた。あと数年はお元気で執筆を続けられるだろうと思っていたので、享年93才という長寿にもかかわらず、残念の言葉しか出ない。人に対する、ことさら貧しい人たちに対する目線の優しさは時に痛みを含み、言葉だけではない実践に基づく論調は、身を引き締めさせる厳しさをも内包し、勝手弟子を多く作られた。自分もその一人だ。なので勝手に、先生と呼ばせていただく。今、先生の死を受けて、朝日新聞のネット版に、「右派の論客」と形容していたのが、あまりに朝日新聞らしいと感心していたのだが、二日後には「保守の論客」と言い変えられていた。どういう成り行きで変わったのか、知るよしもないが、右派、と決めつける方が、素の朝日らしかったのにと、ある意味残念ではある。 

先生の著書は少なくとも30冊は読ませていただいた。40年もの長きにわたって、海外で活動する日本の神父やシスターたちを支援するNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」の代表を勤め、その間、日本財団の会長を7年間勤められた。どちらも無給であり、それら活動に関するエッセイが多い。なかでも実際に足を運んでのアフリカへの援助にまつわる数多くの事象を日本に関連づけた主張は、厳しさを含有せざるを得なかったのだろう。それほどに、アフリカの絶対的貧しさをその目で見た人は多分、先生を置いていないだろうと思われた。日本の貧しさは本当の貧しさではないと。その厳しい視点が時として反発を招いたこともあるようだが、良く読めばわかる。叱責の中に含まれる限りの無い慈愛と人生に対する深い哀しみが軸として燦然とあることを。 

先生は口先だけの人道主義者を嫌っておられたように思う。優しい言葉ならだれでもいえる。正義など、人の数ほどにある。そういう意味では、世渡り上手ではなかったのだろう。ただ現実に自費で何度もアフリカに足を運び、昭和大学の医師たちとともに、口唇口蓋烈の人たちに無償で手術を施すという行動など、普通はできるものではない。医療に見捨てられた人たちを目のあたりにして、日本がいかに幸せの中にいるかを伝えられた。その鋭い切り口と、相反する深いやさしさが好きだった。ただただ、著書を読んだだけの一介の読者だったが、これからあの一見矛盾する複雑さの中の、単純明快な朗らかな文章に出会えない寂しさがつのるばかりだ。

2025年4月1日 間島

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顧客満足の複雑さ195( 機械化によって失うものの大きさ ) )

顧客満足の複雑さ195「機械化によって失うものの大きさ」

 レストランの席についたとたんに「ご注文はこのQRコードからどうぞ」と指示?された。それを聞いた同行3名のうんざり顔もさることながら、堂々と店側のシステムを客側に強いて負担を増やすという行為が徐々に浸透している現状に驚く。その店は確かに、ボリュームがあってまずまずのリーズナブル価格という若者が喜びそうなイタリアンレストランではあるが、場所柄と雰囲気からみても落ち着きのある店で値の張るコース料理も何種類かあり、年配者も結構多かろうにと、QRコードからのオーダー制に多少の違和感を持った。そのシステムはすでに経験済みだが、同席のだれかに役目が集中し、そしてだれもがその役目を嫌がる。当然だろう。同席客が多ければ多いほど、その人が携帯電話とにらめっこして、人差し指を駆使するはめになる。気の毒に思うが、誰もその役目を担いたがらない。各自がそれぞれ自分の携帯電話から注文すればよいのかもしれないが、その景色というのもなかなかシュールすぎて、とてもではないが、ゆっくりと会食を楽しむ雰囲気にはならない。              

不思議で仕方がない。客とのコミュニケーションチャンスを何故、取り逃がしてしまうのかと。オーダー受けはスタッフと客との最初の接点であり、信頼関係の構築に大きな力を発する。さりげなく本日のおすすめを進言したり、量的なアドバイスも含め、客にとっての最適なメニュー作りに加担するという、重要な役割がオーダー受けなのだ。メニュー名だけでは内容がわかりにくい料理もある。ボリュームはどうなのか、何人くらいでシェアできるのか、味の特徴は?とかを客に伝えて、うまく店側の望むべき方向に誘導するのが、オーダー受けの醍醐味なのであって、それを放棄するとは誠にもったいない商法だと思う。結局、携帯電話からのオーダー受けは、人力の欠如の結果なのだ。アルバイト中心で常に人手不足のなか、教育する手間も時間もない、という現状が機械化を促進せざるを得ないのだろう。その点、厨房とフロアを夫婦や家族で切り盛りしている店は、QRコードからどうぞ、はまず無い。どんな料理を夫(妻)が作っているのか熟知している妻(夫)は、客に対して堂々とおすすめ料理を進言できるし、コミュニケーション力がどれほど店の売り上げに貢献できるかを知っている。 

その昔、神戸で評判のヌーベルシノワ(新中華)のレストランを数名で訪問したことがある。メニューブックにはコースメニューが無かったが、フロアを受け持つマダムによって各客の嗜好やボリュームバランスを取り入れた魅力的なコースが即興で組み立てられた。もう客は生徒であった。後にも先にも、そのような店に出会ったことはない。あれは夢だったのか、と思うほどに見事なフロアサービスだった。

 2025年3月1日 間島

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顧客満足の複雑さ194(楽しい○○)

                                顧客満足の複雑さ194「楽しい○○」

「楽しい日本」が、内閣を牽引する現首相が示した、年頭に当たっての国民へ向けた基本方針らしい。これに関しては、すでに辛辣な論調が多く出回っているが、なんとものんきで的外れな言葉を選んだものだ。「楽しい」は、数値である程度評価比較できる「豊か」とか「強い」と比べると、あくまでも主観に基づく動詞であり、個々の人が楽しいと感じるかどうかなど、他人、それも国にわかるわけもないし、完ぺきに個人的な感覚だということに、気づいていないのだろうか。気づいていないのなら「気味が悪い」の一言に尽きるし、気づいて取り上げたのなら「国民に責を負わせる卑怯さ」がかいまみえる。率直に言って、文化文明が発達すればするほど、「楽しい」感覚は個々によって複雑さを増す。その他人には測ることのできない感情を目的にする幼稚さに、脱力する。これは、まともな国のまともなトップが発信する言葉ではない。まだ、トランプ氏の「アメリカファースト」のほうが、賛同するかどうかは別にして、余程、具体的でわかりやすい。 

と、ここで最近、経験した飲食店での些事を思い出した。「楽しい飲食店」に幸いにも立て続けに出会ったのだ。まず、年末に予約した中華料理店から一方的に、店側からキャンセルされるという衝撃的な出来事のあと(なんでも、当方が予約した4日後に20名の団体予約が入ったので、席がなくなった、とのことだった)、急ぎ、別の中華料理店に予約を入れて席数を確保したのだが、当日は満席ながらてきぱきとフレンドリーな対応に、気分よくミニ忘年会を終えることができた。それにしても先約をほごにする飲食店は初体験だ。年が明けて訪問した日本料理店は、予約時の対応もさることながら、当日の接客も料理も思わず笑顔がこぼれる丁寧さで、しかもリーズナブルだった。「楽しい飲食店」は、ひとえに店側の基本方針と客へのリスペクトによるもので、かれらは客に「楽しい」を強いることはないし、確かめもしない。真摯で具体的な総合的方針の遂行が、結果に結びつくということだ。 

「楽しい」といえば、訪日外国人客の楽しそうな雰囲気が、ユーチューブなどに多く拡散されている。時間と費用を作りだして訪問したのだから、目いっぱい楽しんでいただくのは吝かではないが、実際に繁華街や交通路では、今までにない外国人のあまりの多さにたじろぐ。耳に入ってくるのは多種多様な言語で、暑かろうが寒かろうが、元気そのものである。時代は変わったものだ。いまのところ、人気の都市や観光地に集中しているが、交通網の発達している日本のあらゆるところに外国人観光客の姿が見えてくるだろう。47各都道府県がそれぞれ独自の特質を持つ日本は、飽きることが無い魅力を備えている。彼らを受け入れる全国民に還元するためにもそろそろ、インバウンドからの「お楽しみ税」なるものの出番を期待したいところだ。

              2025年2月1日  間島

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顧客満足の複雑さ193(元には戻れない?ハリウッド)

顧客満足の複雑さ193「元には戻れないハリウッド?」 

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 

今年も国内外含めて、混乱・騒乱は避けがたいだろうが、そろそろ人類も正気を取り戻してもいいのに、と思う。ならずもの国家は言うに及ばず、国連をはじめとする一応の権威?ある組織さえも、英知と賢明さを保っているとの信頼を置きにくい。そこはやはり、物言う大声の意見が重視されがちだし、また少数派であっても、人権・平等に関する事象であれば、ズカズカと我が物顔で人の庭に入り込んでくる。何を言っても反応しない国・組織に対しては、素直に何も言わないずるさといやらしさがある。そろそろ、経済と安全保障以外の世界組織は、ガラガラポンと解体・再生してほしい。 

さて、お正月といえば、必ず映画館に足を運んでいたのを思い出す。それは中学生から高校生まで続いた。まだ日本映画が若者を惹きつける魅力ある作品を増産できていない時代で、もっぱら観るのはハリウッド映画だった。英仏独伊作品も上質で魅力ある作品が多かったが、スケールと圧倒的な面白さでは、やはりハリウッドがダントツだったように思う。多くの資金を投じての活劇は観るものを飽きさせなかった。西部劇などは幅広い年齢の支持を集めていた。映画の背景をより知りたくて、「西部開拓史」などの本を読み漁った記憶がある。日本での時代劇のようなものだ。が、しかし、日本では時代劇が映画・書籍ともに現代もゆるぎない魅力と支持を保っているのに対し、西部劇はほとんど目にしなくなった。確かにアカデミー賞候補の条件として、出演者に多様性を持たすこと、または制作側のスタッフが多様性に満ちていること、などが規定されているようだが、昔の歴史劇などを完全に否定しているわけでもなさそうだ。それなら何故、西部劇が衰退したのだろう。勧善懲悪のわかりやすい、素直に面白い映画が多かった中で、ネイティブアメリカン、つまりインデアン虐殺の歴史を抜きにして語れない作品が多かったのも事実だ。つまりアメリカ歴史の汚点が西部劇に集約されているのかもしれない。ネイティブ支配のみならず、奴隷制度も消し去ることの出来ない歴史的事実で、それらを背景とせざるを得ない西部劇が、衰退していったのも、アメリカの事実なのだろう。 

時を経ても映像化される忠臣蔵やその他、魅力ある時代歴史劇を次々に楽しめる日本という国に改めて誇りを持ちたい。そこには、今の感覚でしか物事をとらえられない矮小で卑小な規律はない。勿論、変質はしていくだろうが、悠久につむいできた歴史を、現代において振り返ることができる自由を、これからも楽しみとしたい。 

 2025年1月1日 間島

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顧客満足の複雑さ192(旅館経営の厳しさ)

       顧客満足の複雑さ192「旅館経営の厳しさ」 

いわゆる企業としての「宿泊施設」は、なかなか望ましい利益をあげにくい体質にあるらしいが、その倒産率は突出してはいない。2023年時点で、日本のホテル・旅館総数は5万523軒だが、倒産は67軒で倒産率は約0.1%となっている。飲食店の2023年度倒産件数は930軒で、総数約82万5000軒の0,1%前後と、宿泊施設とほぼ同率だが、閉店・廃業を含めると、はるかに飲食店の廃業率の方が高いものと思われる。宿泊施設は負債過剰による倒産が主であるのに対し、飲食店は売り上げ低下と後継者不足が主な原因の、負債の無い閉店・廃業が非常に多いからだ。その意味では、宿泊施設は、客が入っていても苦しい経営状況があり得るのだ。 

宿泊施設の中でも、特に旅館はビジネスホテルなどと比べ、人・モノ・カネが非常に多くかかる。宿泊した方ならお分かりだろうが、部屋・料理・風呂に、パブリックスペースや土産店の保持にかかる人手と経費は半端なものではない。部屋は毎度の清掃に定期的なリニューアル。料理は飲食店と同様の手配が必要で、風呂も毎日のケアが必要だ。備品の管理も半端ではない。そこで起こるのが資金ショートで、今や銀行のお世話になっていない施設を見つけるのは難しいかもしれない。それらを考えると、大手グループの傘下に入り、資金や人手のスケールメリットにより経営がなりたつ方法を選ぶのも、生き残り戦術の手段だとは思う。

そして今、大きな合併ニュースが耳に入ってきた。温泉宿を展開する大江戸温泉物語と湯快リゾートが合併し、全国66施設、日本最大級の温泉宿グループになったという。数的には大江戸が37施設で、29施設の湯快を上回るが、完全平等合併らしい。大江戸の方が若干早いものの、両社ともに2023年前後に、アメリカのファンド会社ローンスターグループに売却されている。望ましい経営状態ではなかったということだ。大江戸と湯快の成り立ちは時期も2001年・2003年とほぼ同じだし、手法も確かによく似ている。その意味では合併に至るまでの親和性は高いのだろうと推察するが、なんとも劇的な収束を見せたものだ。両社の軌跡は異なるものの、経営不振の旅館を受け継いでグループを大きくしてきた手法は同様で、傍目には、両社ともに勢いがありそうだったが、資金面から皮肉なことに両社ともに同じファンド会社の経営下になり、結果として2024年11月に新設持株会社GENSEN HOLDINGSをたちあげて、ひとつになったというわけだ。当面は、湯快リゾートの社長がGENSENの社長の任にあたるという。ただしローンスターグループの傘下であるのは変わりない。利用者にとっては、今回の合併でプランの選択肢が広がり、楽しみが増えるだろうが、各観光地で頑張っている孤高の老舗旅館の存在がますます価値あるものに思えてくる。       

   2024年12月1日 間島

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顧客満足の複雑さ191(国内・海外旅行者数から見る経済)

顧客満足の複雑さ191「国内・海外旅行者数からみる経済」 

旅はいいものだ。見知ったところであっても、見知らぬところであっても、非日常感を味わえる。それは刺激であり、緊張であり、感動であり、喜びでもある。日本に来る外国人観光客の高揚感を隠し切れない表情をみるに、旅を楽しんでいる気配が伺える。外国に観光に訪れる機会に恵まれた彼らが、少し羨ましくもある。2019年には3188万人と過去最高の訪日人数を記録し、その後のコロナ禍で激減したものの2023年には2500万人、そして2024年は2019年を上回る3310万人の訪日人数が推定されている。一方、日本人の海外渡航者数は2019年の2008万人をピークとして同じくコロナ禍で激減。2023年には962万人。そして2024年は1450万人と予想されており、外国人観光客数のV字回復と比べ、日本人の海外旅行者数の伸びの鈍化は明白である。様々な理由があろう。いまだコロナ禍に慎重であること、安全面その他の現実論として、訪問したい国が減っていること、そして何より円安を始めとする経済的要因があげられる。                                     

一方、国内旅行者数はどうなのだろう。旅行宿泊者数は2016年の延べ3億2566万人をピークに、コロナ禍を経た2023年は2億8105万人。2024年は2億7300万人と予想され、観光庁の言う「弱い動き」が如実に表れている。海外旅行と比べ、日程・安全面ともに断然ハードルが低い国内旅行でも、回復しきれていないのだ。国内旅行では為替ルートは直接の関係は無いのにも拘わらず、需要が伸び悩んでいる。これも様々な要因があげられるが、一番の理由は費用の増大化だと思われる。宿泊費用の値上がりに、所得の伸びがついていけないでいる。光熱費やガソリン代の値上がりをはじめとして、あらゆる物品が値上がりしている現状下で、宿泊費用も上げざるを得ないのはもっともなのだが、結果として、旅行者数が回復できていない。日本人は貧しくなっている、という現実は、国家の最重要課題だと思うのだが、その危機感は時の行政・立法府から伝わっては来ない。各自治体の動きは臨機応変的なものがあって、なかなかに策をめぐらした政策もかいまみられるのだが、ここ数年の国の政策からは、笛吹けど人踊らず、ならず、笛吹けど企業踊らず、の、無力感が伝わってくる。民を豊かにすることが、国家最大の役割りとするならば、ここ数年のそれは、その役を果たしていない。 

国内旅行者数の推移だけをみても、その国の真の力がみえてくる。海外旅行者が消費する額に喜んでいる場合ではない。日本独自が生みだす儲け・利益の増加を図らずに、日本国民の豊かさは望めない。さてはて、かつてのエネルギーが日本によみがえるであろうか。 

      2024年11月1日 間島

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顧客満足の複雑さ190(安心できる国?)

       顧客満足の複雑さ190「安心できる国?」 

台風シーズンの到来は、何かとやきもきするものだ。かつてない迷走を続けた台風10号は言うに及ばず、おおよそ、その進路は予想通りにはいかない。それでも真っすぐに予想通り?に進む台風もあって、日本には影響を及ぼす危険性皆無となると、上陸された国には申し訳ないが、正直、ほっとする。しかし油断は禁物だ。いつ来てもおかしくないのが、地震と台風で、政治家が呪文のように唱える「安心できる国」などはどこにもない。いつどこでも危険は潜んでいるわけで、ユートピアはどこにも無い。日本にくる外国人観光客が、日本をユートピア化してくれることもあるようだが、それはあり得ない。ただ比較対象すれば、世界の中では日本は随分と安全な国たり得るのだろう。 

その意味では、最近、中国で日本人男児が中国人に刺され死亡した事件は、まさに「危険は隣り合わせ」の痛ましくも哀しい出来事だった。異国での事件はやはり、原因結果ともに両国の関係に微妙に左右されるものだ。もしも日本で中国人男児が日本人によって刺殺されたとすれば、日本政府はどういう対応に出ただろうか。また中国での被害男児が米国国籍またはフランス国籍であった場合は?それぞれの「安心」に対する認識度合いの相違が見られただろうし、国家間関係の温度差も勿論、あっただろう。「グローバル化」という言葉もまた、「安心」と同様に、念仏に近いものを感じるのだが、それは不幸なことだろうか。 

国の強さは、武力のみで守られるものでもないが、先の政治家たちの発する「安心できる国」の真意を問うてみたいとも思う。受け手もそろそろ、「安心」は各自の根底にある強さに基づいてこそのささやかな「果実」なのだと認識すべきだろう。強さは、優しさと相反することはないが、少なくとも、「いい格好しい」や「優柔不断」や「事なかれ主義」とは全く異なるものだ。正義を問うのはなかなかに難しいが、真実を問わない国・国民にはなりたくはない。元に戻ろう。ならば「安心できる国」とは?その答えはなかなかに難しい。多分、政治家の本意は社会保障制度をメインにとらえているようだが、なおさらに安心できないではないか。 

さて最近、テレビの時事番組で、「内需拡大」の必要性を説く主張をよく耳にするが、いまさら何を、の感もある。ただ日本経済において唯一?正しい方策だとも思っている。減少したとはいえ、この国土に1億2488万の人がいるのだ。その多くが真面目で働きものである。その人達にお金を使ってもらうには、どういう政策が必要か、など、小学生でもわかると思うのだが。とここで、自民党の新総裁決定のニュースが入ってきた。はてさて、この方は日本経済の躍進に注力されるだろうか。またしても緊縮財政?いずれ判明するだろうが、株価は急落した。

              2024年10月1日 間島

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顧客満足の複雑さ189(国際大会の特殊性)

      顧客満足の複雑さ189「国際大会の特殊性」 

何かと問題?の多かったパリオリンピックだったが、何よりテロを防いだという、この一点では褒められてよい。開催前の鉄道事故が、パリの対テロ姿勢を強化させたのだろうか。期間中、体調不良や窃盗に見舞われた選手は気の毒だったが、全員無事に帰国できたのは喜ばしいことだ。しかも金メダル20個を獲得して。自国開催大会を除いての最高のメダル数は、フランスでの開催という、決して好環境とはいえない条件下で、よく頑張ったものだと思う。今回のオリンピックでは、フランスの印象低下を嘆く向きもあったようだが、むしろ素のフランス色がはっきりとわかりやすく表れた大会だったといえるだろう。その点では大成功に違いない。パラリンピックもつつがなく終えてほしい。 

国際大会での競技は、勿論、各国が競うわけだが、日ごろ愛国心など歯牙にもかけないメディアも、目の色を変えて熱を入れての報道になるのが、面白い。これは悪いことではない。たまたまスポーツ競技の争いであって、国同士の究極の争いが戦争なのだ。平和の祭典オリンピックも過去度たび、戦争の影響を受けてきた。いまも勿論、局地戦の影響はあるものの無事に終えた背景には、どのような努力が積み重ねられたのかと敬意を表したい。ただ益々増加する多民族化には多少の違和感もある。良い悪いではなく、国の独自性が徐々に薄れていく。日本でも多様化が進んでいるが、欧米のそれは想像を超えている。特に陸上、バスケ、柔道などは、まさに一国における顕著な民族多様性をみるようだ。フランスはその代表格といってもよいだろう。ただし、観客席は従来のフランス人で多くを占められているところが、またこの国の特殊性を表しており、なかなかに興味深いものを見せてもらった感がする。                                 

さて、2025年の大阪国際万国博覧会もあと1年に迫った。これも立派な国際大会である。しかもオリンピックは都市主催だが、万博は国主催なのだ。大阪万博は2018年、博覧会国際事務局総会で開催決定した。時の経済産業相は政界の実力者世耕弘成氏、総理大臣は安倍晋三氏だ。そして大阪府知事は松井一郎氏。55年ぶりとなる大阪での博覧会開催決定は大きな喜びをもって迎えられた。が、しかし、コロナの影響やウクライナ戦争等によって世界情勢は大きく変化したのに加え、資材や人件費の高騰が追い打ちをかける。主に財界で構成される万博協会と、実働部隊の大阪府市との調整もなかなかにスムーズにはいかないようだ。政府の力も弱くなった。様々な万博の不備をあおるメディアの批判の矢面に立たされる大阪府市はご苦労なことだと思う。ま、これもなるようになるものだ。全く無責任このうえなくて申し訳ないのだが、あのフランス・パリでも何とかオリンピックを開催できたのだ。大阪府市と財界の力を結集できれば、できないことはない。まずは、万博協会が示した紙チケットの厳しい除外日ルール案が撤回され、大阪府市が主張する自由に入場できる案が採用されれば、やはり万博には行ってみたいと思うのだが、どうなることか。                          2024年9月1日 間島

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顧客満足の複雑さ188(国内旅行需要の拡大への努力が必至)

  顧客満足の複雑さ188「国内旅行需要の拡大への努力が必至」

コロナ禍を経て、日本を訪れる外国人観光客数が好調に推移しているようだが、旅行消費額は断然に日本人の国内旅行消費額が上回る。その額、令和5年で21兆9千億円で、インバウンド消費の5兆3千億のざっと4倍以上だ。一人分需要額はインバウンドが勝るだろうが、まさに国内需要こそが、宝の山なのだということを改めて業界も政府・行政も認識してほしい。そして国内需要は、周辺に及ぼす様々なストレス?なく、まだまだ伸びるはずだ。そこが、どの国とは言わないが、外国人観光客が落とすお金が国の収入の大きな柱となっている国との違いで、適切な対策・方法で国内需要は増えて、経済に寄与するだろう。大都市や観光地では、外国人客をターゲットとした高級ホテルの新規開業が加速しているが、果たして望ましい稼働率が確保できるのか、これからの課題となる。キャラクターや派手なジャパネスク様式を導入したコンセプトルームは一時の話題を集めても、ホテル自体の値打ち度を高めはしない。格式あるホテルは、人が要となる。洗練された、それでいてフレンドリーな接客ができる人材確保こそが今後の急務となるのは目に見えている。 

内需拡大に寄与する国内旅行需要を高めるための策は色々ある。まずは現役勤労者への取り組みのためには、休日の見直し・整理と、休暇の取り方の大変換が求められる。需要の拡散化だ。今は国が決めた休日の元で需要が集中するがゆえに、アンバランスな価格体制と不安定なサービス体制が、供給側の質そのものの値打ちを落としている。1年365日、ほぼ安定した価格こそが安定した内需を拡大できるというものだ。それにより宿泊施設そのものの力の底上げになるし、優れた施設がより活性化するだろう。いわゆる、ぼったくり価格が消滅する。一部政治家の強権により一度出来上がってしまった休日体制を転換できるかどうか、はなはだ心もとないが、安易に作りすぎた休日の見直しは急務だと思う。公的休日は元旦三が日のほかは日曜日だけでよく、年間休日数を法的に義務付け、自由に選択してもらうのだ。国はなるだけ国民の生活シーンに介入しないほうがよい。その方がうまくいく。 

一方で、休日にあまり影響されない高齢者へのニーズに応えることも勿論望まれる。施設そのもの見直しと新しいツアーの開拓だ。少子高齢化が加速する中、益々増えていく高齢者層の需要を喚起できれば安定した消費が見込める。施設内で段差を無くすといった基本的な対応から、より快適で時代に即したデザイン力が求められる。コンパクトで衛生的なベッドゾーンの設置は今後の急務であり、和風の部屋にあってなお、椅子・テーブル式の用意があれば、全世代に通じるリラックス度基準の向上となるだろう。和風文化を保ちつつ体に優しい空間の提供が望まれる。またツアーそのものの発掘もまだまだ発展途上だ。高齢者の体力に合わせた内容は多岐にわたる。家族で参加できるのか、車いす参加が可能なのか、見て回るだけのツアーではなく一点重視型なのか。ただ、ゆとりのあるスケジュールであればそれでよし、では無い。魅力の提供に知恵を巡らせてこそ、内需拡大の未来はある。

                  2024年 8月1日  間島   

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