顧客満足の複雑さ196「大いなる喪失」
作家の曽野綾子さんが2月28日に亡くなられた。あと数年はお元気で執筆を続けられるだろうと思っていたので、享年93才という長寿にもかかわらず、残念の言葉しか出ない。人に対する、ことさら貧しい人たちに対する目線の優しさは時に痛みを含み、言葉だけではない実践に基づく論調は、身を引き締めさせる厳しさをも内包し、勝手弟子を多く作られた。自分もその一人だ。なので勝手に、先生と呼ばせていただく。今、先生の死を受けて、朝日新聞のネット版に、「右派の論客」と形容していたのが、あまりに朝日新聞らしいと感心していたのだが、二日後には「保守の論客」と言い変えられていた。どういう成り行きで変わったのか、知るよしもないが、右派、と決めつける方が、素の朝日らしかったのにと、ある意味残念ではある。
先生の著書は少なくとも30冊は読ませていただいた。40年もの長きにわたって、海外で活動する日本の神父やシスターたちを支援するNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」の代表を勤め、その間、日本財団の会長を7年間勤められた。どちらも無給であり、それら活動に関するエッセイが多い。なかでも実際に足を運んでのアフリカへの援助にまつわる数多くの事象を日本に関連づけた主張は、厳しさを含有せざるを得なかったのだろう。それほどに、アフリカの絶対的貧しさをその目で見た人は多分、先生を置いていないだろうと思われた。日本の貧しさは本当の貧しさではないと。その厳しい視点が時として反発を招いたこともあるようだが、良く読めばわかる。叱責の中に含まれる限りの無い慈愛と人生に対する深い哀しみが軸として燦然とあることを。
先生は口先だけの人道主義者を嫌っておられたように思う。優しい言葉ならだれでもいえる。正義など、人の数ほどにある。そういう意味では、世渡り上手ではなかったのだろう。ただ現実に自費で何度もアフリカに足を運び、昭和大学の医師たちとともに、口唇口蓋烈の人たちに無償で手術を施すという行動など、普通はできるものではない。医療に見捨てられた人たちを目のあたりにして、日本がいかに幸せの中にいるかを伝えられた。その鋭い切り口と、相反する深いやさしさが好きだった。ただただ、著書を読んだだけの一介の読者だったが、これからあの一見矛盾する複雑さの中の、単純明快な朗らかな文章に出会えない寂しさがつのるばかりだ。
2025年4月1日 間島