顧客満足の複雑さ193「元には戻れないハリウッド?」
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も国内外含めて、混乱・騒乱は避けがたいだろうが、そろそろ人類も正気を取り戻してもいいのに、と思う。ならずもの国家は言うに及ばず、国連をはじめとする一応の権威?ある組織さえも、英知と賢明さを保っているとの信頼を置きにくい。そこはやはり、物言う大声の意見が重視されがちだし、また少数派であっても、人権・平等に関する事象であれば、ズカズカと我が物顔で人の庭に入り込んでくる。何を言っても反応しない国・組織に対しては、素直に何も言わないずるさといやらしさがある。そろそろ、経済と安全保障以外の世界組織は、ガラガラポンと解体・再生してほしい。
さて、お正月といえば、必ず映画館に足を運んでいたのを思い出す。それは中学生から高校生まで続いた。まだ日本映画が若者を惹きつける魅力ある作品を増産できていない時代で、もっぱら観るのはハリウッド映画だった。英仏独伊作品も上質で魅力ある作品が多かったが、スケールと圧倒的な面白さでは、やはりハリウッドがダントツだったように思う。多くの資金を投じての活劇は観るものを飽きさせなかった。西部劇などは幅広い年齢の支持を集めていた。映画の背景をより知りたくて、「西部開拓史」などの本を読み漁った記憶がある。日本での時代劇のようなものだ。が、しかし、日本では時代劇が映画・書籍ともに現代もゆるぎない魅力と支持を保っているのに対し、西部劇はほとんど目にしなくなった。確かにアカデミー賞候補の条件として、出演者に多様性を持たすこと、または制作側のスタッフが多様性に満ちていること、などが規定されているようだが、昔の歴史劇などを完全に否定しているわけでもなさそうだ。それなら何故、西部劇が衰退したのだろう。勧善懲悪のわかりやすい、素直に面白い映画が多かった中で、ネイティブアメリカン、つまりインデアン虐殺の歴史を抜きにして語れない作品が多かったのも事実だ。つまりアメリカ歴史の汚点が西部劇に集約されているのかもしれない。ネイティブ支配のみならず、奴隷制度も消し去ることの出来ない歴史的事実で、それらを背景とせざるを得ない西部劇が、衰退していったのも、アメリカの事実なのだろう。
時を経ても映像化される忠臣蔵やその他、魅力ある時代歴史劇を次々に楽しめる日本という国に改めて誇りを持ちたい。そこには、今の感覚でしか物事をとらえられない矮小で卑小な規律はない。勿論、変質はしていくだろうが、悠久につむいできた歴史を、現代において振り返ることができる自由を、これからも楽しみとしたい。
2025年1月1日 間島