顧客満足の複雑さ131「広報の意義と実行」
ある程度の規模を備える企業なら、業種業態を問わず広報部門があって、対外の関係者および不特定多数に向けて自社のPR業務を行っている。広報とは“一般に広く知らせること”を原則としながら、目的は自社のファン作りであり、社内の一丸化である。各社によって、具体的実施方法の差異はあるが大体が似通った広報活動となっている。宿泊業界や飲食店業界も同様である。ただ、それが成功しているかどうかの判断は難しく、直接売り上げに即、結びつくものもあれば、効果に時間がかかる活動もあり、一概にこの方法が正しい、と言えるものでもない。広報活動が似通ったものになる所以でもある。しかし、情報化社会において、広報の意義は大きく、決してないがしろに考えてはならないと思う。そして、中小企業ほど広報が必要なのに、実際に力を入れているのは、大体が大企業ないし有名企業という現状がある。
広報というと、部門を作り専門人員で組織化し経費もかける、との認識から、中小企業ではとてもそこまで手が回らない、との反論がありそうだが、多種多様な広報活動は大小にかかわらず企業にとって必須であるという意識の転換が必要だろう。まず自社・自店の存在を知ってもらい、何をどのように売っているのか、そこにどのような魅力が付加されているのかを知らしめずして、どんな将来図を描けるのだろう。一般消費者向けのビジネスではなくても、チャンスは意外なところからやってくるものだ。一人一人の背景には、また異なる人がいて、さらに異なる環境が広がっていく。一例として、車での移動中、前の車の後部や側面に会社名が記載されているのを良く目にする。社用車だろうが、会社名のみなので一体何の商売をしているのか分からないケースが殆どだ。もしそこに、取扱い商品や何のビジネスかが分かる見やすい文面があれば、頭の一隅に残る。ひょっとすると探している分野かもしれないし、知人が関連している分野かもしれない。ひとりの人間はひとりではないのだ。広告の場を自ら閉ざしているようなもので、車体広告費が発生してもテレビなどとはまた異なる効果も期待できよう。
有名企業であろうと、広報活動を怠ると必ずしっぺ返しは来る。人は忘れやすいし、自社名は思うほど浸透してもいない。あるテレビ番組で、出演している芸能人の名前を街の人に尋ねる、という企画があった。大物芸人と自負していそうな出演者たちが正確な芸名を呼んでもらえずに次々と討ち死に?していた。世間とはそんなものなのだ。ショック度が大きすぎたせいなのかは不明だが、その番組企画はすぐに姿を消した。広報の真髄は、謙虚さと一生懸命さに尽きる。繰り返し自社・自店を思い出してもらう、という活動は無駄に見えても、ボディブローのように効いてくる。最近、自宅近隣の飲食店が閉店した。割烹か小料理店の店構えで、気にはなっていたのだが、とうとう行かずじまいだった。その店からの広告パンフなどは届いたことはなかった。閉店の理由が定かではないので決めつけることはできないが、徒歩圏内にある住民に対して何の熱意もPRもなかったのは確かだ。経費をさほどかけずに実施出来る広報はいくらでもある。やってみることの大切さが広報の意義と、言えなくもない。 2019年11月1日